57 前へ
そんなこんなで一時間にも及ぶ勉強会が終わり、シーラはアメリアを先に帰し、アルヴィンと二人で学園の外を歩いていた。
たった一時間と思うかもしれないが、シーラにとってはとても長く感じる時間となった。
「殿下……妹が迷惑かけてしまって申し訳ありません」
「気にしないでくれ、シーラ嬢は何もしていないではないか」
罪悪感で胸がいっぱいになったシーラに、アルヴィンは優しく言葉を返した。
アメリアの問いに間違いなく気分を害してしまったはずなのに、何故そこまで優しくできるのか。
「妹は少々……社交界の噂には疎いのです」
「そのようだな……」
目を輝かせて話すアメリアを思い浮かべたアルヴィンは苦笑した。
あそこまで感情を隠せない貴族令嬢は珍しい。不快感を抱かなかったと言えば嘘になるが、何だか逆に新鮮だった。
だからといって、彼女の遊びの誘いに応じるわけではないけれど。
二人は話しながら、アカデミー内をしばらく歩き続けていた。
こうしていると、まるで昔に戻ったかのようだった。
幼い頃に、皇宮でもこんなふうに二人でたくさん遊んだっけ。今ではあまり覚えていないけれど、義理の家族と馴染めなかったシーラにとってはとても幸せな時間だった。
アルヴィンは隣を歩くシーラの横顔を、見下ろした。
「………君は、前まではレイヴィス公子に夢中になっていたが、今はもう平気そうだな」
「……ヘンドリックのことは悲しく思います。ですが、私が何をしようとも彼は変わりませんから」
そう、ヘンドリックは何も変わらない。
彼女がどう努力したところで、彼のデイジーを想う気持ちが変化することはなく、シーラを憎く思う感情も同じままだ。
シーラは一度目の人生を経験して、どれだけ頑張ったところで不可能なものも存在するのだということを知った。
彼女はそういうわけで、今は何とも思っていないということをアルヴィンに伝えた。
彼はなぜか、その返しが気に入らないようだった。
(殿下ったら、一体どうしたのかしら?)
シーラが疑問に思っていると、彼は突然道の途中で立ち止まった。
彼女もそれに倣って少し先のところで歩みを止め、振り返る。
振り向いた先にいたアルヴィンは、僅かに視線を下げ、浮かない顔をしていた。
しばらくしてシーラと目を合わせると、何か言いたそうに彼女をじっと見つめた。
彼は彼女に一歩近付き、目の前までやってくる。
アルヴィンは揺れ動く瞳でシーラを見下ろすと、口を開いた。
「――ずっと俺と同じだと思っていたのに、今は何だか……俺を置いて君だけが先に行ってしまったようだ」
「殿下……?」
暖かい夏の風が二人の間を吹き抜けた。
暑苦しいはずなのに、なぜか今は冷たく感じる。冷え切った彼の心の中を直に感じ取ったからだろうか。
(殿下……やっぱりまだ彼女を失った傷が癒えてないんだわ……)
わざわざ言われなくともわかる。
この十二年間、シーラは幼馴染としてそれなりにアルヴィンのことを見てきている。彼女を失った当時の彼がどれだけ疲弊していたか、今でもよく覚えているのだから。
『シーラ嬢、俺はもうどうすればいいかわからない』
『殿下、元気を出してください。そんなに落ち込むことはありませんわ。殿下を心から思ってくれる人は、きっといます』
まだ幼い彼の弱々しい背中を、シーラは未だに鮮明に思い出すことができる。
だいぶ大きくはなったものの、何だか今の彼はあのときの彼によく似ていた。
「殿下は、伯爵令嬢のどのようなところがお好きだったのですか?」
「……?」
アルヴィンは突然何を言い出すんだ?とでも言いたそうに顔をしかめた。
シーラはそんな彼の様子を気にすることなく、ニッコニコの笑顔で返事を待った。
絶対に恋バナをするような雰囲気ではなかったものの、場の空気を変えるにはピッタリだろう。
アルヴィンは答えるつもりなど無かったようだが、逃げ道を塞ぐような彼女の問いかけを、流石にスルーできなかったようだ。
「……ほかの誰よりも美しくて、太陽のように明るいところが好きだったな」
「まぁ、そうだったのですね!」
素直に答えた彼が何だか面白くて、シーラはアハハッと声を出して笑った。
「俺が誰かを愛するのがそんなに変か?」
「いえいえ、そんなことはありません。恋は誰しもが通る道ですよ」
シーラのことをどうしても愛せず、前の婚約者を想い続けていたヘンドリックですら、デイジーという新しい愛に出会っている。
シーラは穏やかな表情でアルヴィンを見上げた。
「殿下の愛するお方なら、きっととても素敵な方なのでしょうね」
「そうだな……人としても尊敬できるような女性だったよ。落ち込んだときには寄り添い励ましてくれたな」
そのような素敵な人が早くに亡くなってしまうとは、神はなんて残酷なことをするのだろうか。
――もし、彼女が今も生きていたとしたら。
きっと私は、彼の婚約者になってわざわざ傷付くことも無かったんだろうな。
「気持ちを伝えても振られてしまったけどな。ヘンドリックが好きだからと」
「告白するだなんて、そう簡単にできることではありません。どんな屈強な騎士であろうと、気持ちを伝えるのは勇気がいるものです」
私なら絶対にできなかっただろうな、とシーラは思う。
だからこそ、彼の雄姿は個人的に称賛に値するのだ。彼女はアルヴィンとしっかりと目を合わせ、言葉を発した。
「――私は……そんな殿下の勇敢な姿を尊敬します」
「……」
その言葉は、嘘偽りのない彼女の本心だった。
たかが告白と思うかもしれないが、実際にそれができない者はこの世に多くいる。
「たしかに私は、少し前までヘンドリックのことが好きでした。ですが、それは過去のものです。彼を好きだった気持ちまで否定するつもりはありません。しかし、過去は過去なのです」
シーラはたしかにヘンドリックのことを心から愛していた。でも、今はもう愛していない。
行き過ぎた愛は自身を破滅させるだけだということに、ようやく気が付いたのだ。
彼を愛したことを後悔していないと言えば嘘になる。
しかし、過ぎ去ったことを悔やんでいたところで何になるというのか。シーラは今を生きるので精一杯だった。過去を悔いている暇は、今の彼女にはなかった。
「いつまでも後悔していたところで仕方が無いでしょう。いい加減、前に進まないと」
シーラも回帰してから一週間は毎日のように前世の夢を見ていた。
またああいうことになるのではないかという恐ろしさから、夜も眠ることができなくなっていた。
彼女自身、前に進めたのはつい最近のことだった。
「殿下も気持ちを切り替えてみてはいかがですか?彼女を失った悲しみ、振られてしまった苦しみではなく、彼女に出会えたことへの喜びや愛を教えてくれた大切な存在として……胸に深く刻み付けておくんです」
「シーラ嬢……」
「――その方が、きっと天国にいる令嬢も喜ぶはずですよ」
「……」
自身を見下ろすアルヴィンに、シーラはニッコリと笑った。
彼女の屈託のない笑みを、彼は久々に見た。
「その通りだな……ありがとう、シーラ嬢。君のおかげで、考えを一変させられたような気がするよ」
アルヴィンはようやく笑顔を取り戻し、彼女に笑い返した。
立ち止まっていた二人は、ようやく歩き出した。お互いに同じような傷を抱えているからこそ、気持ちが理解できるのだろう。
アルヴィンはどこか晴れ晴れとした顔で、笑う彼女の横顔を見つめていた。
「……」
そんな二人の様子を、物陰からじっと見つめていたある人物がいたことに、彼らは気付いていなかった――
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