52 渇望 デイジー視点
――私の前世は、誰からも愛されなかった。
物心ついたときには両親はどちらもいなくて、私は養護施設で育った。
暗い性格のせいか親しいと呼べる友人もおらず、恋人もずっとできなかった。
大学を卒業した私は、一般企業に就職した。そこでもまた、空気のような扱いだった。
誰からも顧みられることなく、いてもいなくても何も変わらない。
つまらなかった。
毎日同じ仕事内容も、変化の無い日常も。
いつも同じ時間に家を出て、同じ時間に帰る。ご飯を食べてお風呂に入って、寝る。
そんな私にとっての唯一の娯楽が、スマートフォンでできる乙女ゲームだった。
乙女ゲームと言っても学園もの、オフィスもの、時代ものなど様々な種類のゲームが存在した。
平凡ではあるが美しいヒロインが、ハイスペックな男たちと恋に落ちる物語。
昔から異性とは無縁な生活を送っていた私は、それにどっぷりとはまってしまった。
いくつかのアプリをやったけれど、その中でも一番のお気に入りは異世界ものの乙女ゲームだった。
現実離れした世界観に、私はあっという間に虜になった。
アプリを開くと画面に金髪碧眼の美しい王子様が出てくるような世界。そう、私が求めていたのはまさにこういう楽園なのよ。
ここに出てくる男性たちは、現実にいる男たちの百倍はカッコいい。
今までは街中で仲睦まじく歩く恋人たちを見るたびに醜い嫉妬心が沸き上がっていたが、乙女ゲームを始めてからはそんなもの気にもならなかった。
彼氏がいたところで何?私はもっとハイスペックな男に愛されてるんだから。
アンタたちの彼氏なんて全く羨ましくないわ。
そんな風に、妄想の世界に浸かってしまっていたのが良くなかったのだろう。
ある日の朝、歩きスマホをしていたがゆえに私は赤信号で道路に飛び出してしまった。ちょうど最後のキャラの攻略がやっと一歩進んだところで、浮かれていたのだ。
気付いたときにはすべてが遅かった。
キャーという悲鳴と同時に、私は猛スピードで走ってきた車に轢かれてしまった。
彼の新しいスチルがちょうど表示されたところで、スマホはバキバキに割れて地面に落ちた。
(あ、あとちょっとで攻略できそうだったのに……)
慌ただしく動き回る人々と、鳴り響くサイレンの音を最後に、私の意識は完全に途絶えた。
しかし、そんな私の誰からも愛されなかった人生を神が憐れに思ったのだろうか。
――目が覚めたら、あの乙女ゲーの世界にいた。
目覚めて数日は気付かずに過ごしていたけれど、国名や王子や王女の名前からして、あの乙女ゲーの世界で間違いなさそうだった。
最初は夢かと思った。だけど、いくら頬をつねっても眠りに就いても目は覚めなかった。
こんなにも運が良いことはない。とても信じられなくて、何度も何度も確認した。上手くいけば、ヒーローたちにも会えるかもしれない。
あんな素敵な人たちと恋ができるのだと思うと、胸が高鳴ってどうしようもなかった。
――私はヒロイン。
この世の全てを手に入れるべき存在。
***
「――デイジー、寒くはないか?」
「……!」
我に返ると、ヘンドリックが彼女の顔を覗き込んでいた。
どうやら考え事をしていて、彼の話をまったく聞いていなかったようだ。
デイジーは心配そうな彼に、ニッコリと笑いかけた。
「ええ、もう大丈夫です」
「そうか、それでもまだ心配だ。アイツ……デイジーに一体何をしたんだ」
彼はチッと舌打ちをしながら、怒りで握りしめた拳を震わせた。
ヘンドリックが彼女を連れてきたのは、アカデミー内にある医務室だった。
デイジーは溺れる一歩手前のところでロイドに助けられたため、怪我はほとんどしていなかった。しかし、心配性の彼によって治療を受けることになった。
(ヘンドリックったら、ちょっと過保護すぎよね)
デイジーは医務室にある真っ白な医療用ベッドに寝かせられ、医師の診断を受けていた。
結果は異常なし。ほらやっぱり、どこも怪我なんてしていなかった。
彼女はベッドから起き上がると、傍を守っていたヘンドリックに礼を言った。
「ヘンドリック様、ここまで連れてきてくださってありがとうございます」
「何を言っているんだ。俺にとっては君の体が何よりも大切なんだから当然だろう」
「……そうでしたね」
出会った頃から、ヘンドリックは彼女に甘い言葉を囁いていた。
最初は胸がときめいたものの、やはり長く一緒にいると気持ちは次第に冷めていくものだ。
――デイジーにとっては、ヘンドリックの愛の告白などもう聞き飽きた。
どうせなら、他のキャラたちとも親しくなりたい。彼女の心には、そのような思いが芽生え始めていた。
(それにしても……)
デイジーは帰りの支度をしながら、さっき二人きりで話をしたロイドのことを思い浮かべた。
ヒロインに対する態度とは思えないくらい、冷たい目で自身を見つめていた彼のこと。難しいだろうという予想はしていたものの、あそこまでとは。
「……やっぱり、難易度SSSなだけあるわね」
「デイジー?何か言ったか?」
彼女の呟きに、すぐ近くにいたヘンドリックが反応した。
「いいえ、何でもありません」
デイジーはいつものように朗らかな笑みで何とかその場を取り繕った。
ヘンドリックは毎回、その笑顔に誤魔化されてばかりだった。
医務室を出た二人は、横並びで歩きながら帰路についた。
もう生徒たちはとっくに帰っており、残っていたのは彼らくらいだった。
「デイジー、いつもみたいに家まで送っていくよ」
「……まぁ、ありがとうございます」
デイジーはいつもみたいにレイヴィス公爵家の馬車に乗り込んだ。
馬車の窓から外に目を向けると、ちょうど離れたところにロイドとアルヴィンが話しているのが見えた。
てっきり全員帰ったと思っていたけど、まだあの二人は残っていたのか。
デイジーはしばらくの間、ヘンドリックには目もくれずに二人の美しい男を見つめていた。
彼女は今、アカデミーでは主に女生徒たちから羨望の眼差しを向けられていた。
公爵家の嫡男であるヘンドリックに愛されているという事実は、いつも彼女の最も誇れる点だった。
誰からも相手にされなかった前世と比べたら、今はとても恵まれていた。
だけど、それだけでは足りない。
―――私は、やっぱり彼らの方が欲しい。
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