40 覚えの無い記憶 ヘンドリック視点
その頃、ヘンドリックは実家であるレイヴィス公爵邸で謹慎していた。
彼が学園長ロイドから言い渡されたのは、五日間の停学だった。貶めようとした生徒たちはその倍の十日間もの期間、アカデミーに行けないのだという。
犯した罪を考えれば、ヘンドリックに下ったのは比較的軽い罰だった。当初、ロイドは本気で彼を退学処分にしようとしていた。だが、被害者本人であるシーラが慈悲を求めたことでこのような処遇になったのだという。
本当ならば、シーラに感謝するべきだ。しかし、彼は到底納得していなかった。
「クソッ……何故こんなことになったんだ……」
彼はイラついた様子で傍にあった椅子を蹴った。
定期テストでは毎回一位を取り、スポーツテストでも上位の自分が停学になるだなんて。これ以上ない屈辱だった。
「デイジーは大丈夫だろうか……俺がいなくて他のヤツらに虐められてないか心配だな……」
謹慎中の彼の頭の中を占めていたのは、他でも無い最愛のデイジーだった。
ほとんどが貴族の子息息女であるアカデミーで、平民の特待生であるデイジーはかなり特殊な存在だった。
特待生とは、特別成績が良かった平民の生徒が得られる入学枠のことだ。デイジーはかなり頭が良かったため、激しい争いを勝ち抜いてその座を手に入れたのである。
ヘンドリックは一目見たときから、彼女のことが気になっていた。
かつて彼が心から愛した元婚約者にそっくりで、気付けばいつも彼女のことを目で追っていた。
二学年に上がってから同じクラスになり、デイジーと深く関わりを持ち始めた彼は、より一層彼女のことを好きになっていった。
独占欲の強いシーラに疲れ果てていた彼は、デイジーの包み込むような優しい愛に依存していった。
ヘンドリックはシーラを愛したことなど一度も無い。
彼が愛しているのは、この世でデイジーだけだ。そんな彼女が一人で学園に通っているというのは、かなり心配だった。
元々デイジーは妬みからか、いじめの対象となっていた。
ヘンドリックが傍にいる今ではだいぶマシになったものの、第一学年のときには階段から突き飛ばされたこともあったほどだ。
(彼女は俺が守ってやらないとダメなんだ……五日間も一人にするわけには……)
彼はデイジーのことだけが気がかりだった。
しかし、いくら心配していようと、一度決まった決定が覆ることは無い。平民であるデイジーと違って、長年貴族社会にいた彼はそのことをよく知っていた。
それに、今回の処罰を決めたのは他でも無い学園長ロイド・バースウッド王弟殿下だった。
ヘンドリックより身分が低い貴族家の人間ならどうにかなったかもしれないが、相手は王族ともなれば彼ができることなんて何もない。
(父上も、俺がやらかしたことにお怒りのようだし……まともに話を聞いてはくれなそうだな……)
父は今回ヘンドリックがしでかした一件を知り、すぐに彼に頭を冷やせと謹慎を命じた。そのため、彼は気軽に部屋を出ることができなかった。
扉の前には騎士が立っており、彼は軟禁状態だった。
あと五日間はこのような暮らしが続くのだと思うと、何だか憂鬱になる。
「今頃、アイツは俺のことを笑っているんだろうな……」
彼の脳裏に、銀髪に紫色の目をした一人の女が浮かび上がった。彼女のことを考えると、彼はいつもムカムカとした気分になった。
(アイツのこと考えるのやめよう……気が沈むだけだ)
ヘンドリックは適当に部屋の中を歩き回り、窓から外の景色を眺めた。
そのとき、正門の前にある人物が立っているのが見えた。
「デ、デイジー!?」
何と、レイヴィス公爵邸の前に制服姿のデイジーの姿があったのだ。
見間違えるはずがない、あの綺麗な金髪は間違いなく彼女だ。
彼はいても経ってもいられなくなり、施錠されていた窓を叩き割り、二階から飛び降りた。
着地に失敗して足を多少痛めたが、彼女に会えるのだと思うと気にもならなかった。
「公子様!?どちらへいらっしゃるのですか!?」
破壊された窓の向こうから慌てふためく騎士の声が聞こえてきたが、彼は気にすること走り去った。
正門を軽く飛び越え、彼はデイジーの元へと向かった。
「――デイジー!」
「…………ヘンドリック様!?」
彼はその場を立ち去ろうとしていたデイジーを抱きしめた。
彼女の体温をその身に感じると、謹慎の疲れが一気に癒やされるようだった。
「来てくれたんだな、デイジー!」
「ヘンドリック様……会えて嬉しいです……」
デイジーはヘンドリックの背中に腕を回し、二人は再会を喜び合った。
どうやら彼女はアカデミーを早退してヘンドリックの元へやって来たようだった。
(デイジー……君はそこまで俺を心配してくれていたのか……)
彼女の気遣いに、胸がじんわりと温かくなった。
やはり愛とは、こうあるものではないだろうかと彼は思った。シーラの暴走しがちな感情は、愛などではない。ただの執着である。
デイジーは手を伸ばし、彼の頬に触れた。
「ヘンドリック様、寂しくなかったですか?」
「そうだな……寂しかったけど……」
ヘンドリックはデイジーの額にチュッとキスを落とした。
「デイジーが来てくれたから、今はもう寂しくないよ」
「ヘンドリック様……」
頬を染めて見上げるその姿があまりにも愛おしくて、彼は今度は唇にキスをした。
「ヘンドリック様が私のことを忘れていたらどうしようと思っていました」
デイジーはそんなことを口にしながら、冗談っぽく笑った。
長く時間を共にしているヘンドリックは、デイジーのそんな冗談を聞き慣れている。彼女はたまに到底理解できないようなことを言うときがあった。
彼はあり得ない――と思いながら口を開いた。
「何を言っているんだ。俺が君を忘れるなんて、そんなことあるわけが――」
――そう言いかけたその瞬間、ヘンドリックを猛烈な頭痛が襲った。
頭痛なんてものではない、頭を硬い石で何度も打たれているかのような激しい痛み。
「な……何だ……?ッ……!」
内側からも外側からも襲い掛かる強い衝撃に、彼は耐えられず地面に膝をついた。
意識を保っていることすら難しいほどの痛み。ヘンドリックは頭を手で押さえているので精一杯だった。
「ヘンドリック様!?どうしたんですか!?」
デイジーが心配そうにかがみ、彼の肩に手を触れた。
その瞬間、彼の脳裏に見覚えの無い記憶が走馬灯のように流れた。
狭く薄暗い部屋の中で、彼は一人倒れていた。
体は何度も切り刻まれ、自力で立ち上がることすらできない。彼は真っ赤な鮮血を床に吐き散らしながらも、何とか言葉を紡いだ。
『シ、シーラ……すまなかった……』
その記憶を最後に頭痛は収まり、彼は目を開けた。
デイジーの心配する声など、彼の耳には入ってこなかった。
――今のは、一体何なんだ?
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