37 母イザベラ
シーラは涙を流しながらも、日記を読み進めていた。
一度ページをめくると、何故か止まらなくなった。
そこに書かれていたのは、イザベラの侯爵邸での辛い日々だった。
母がどのような考えを持ってこの家で生きていたのか、どれほど辛い思いをしながら暮らしていたのか、日記を読むたびにそのことが伝わってきた。
父オリバーは、母にかなり残酷な仕打ちをしていたようだった。
初夜からお前を愛するつもりはない、などと言った暴言を吐かれたと記載されていた。
イザベラが子を身籠ってからは、完全に放置し、家にも帰らなくなった。
知らなかった、幼い頃の記憶なんてほとんど無かったし、シーラが生まれた頃にはすでに父親なんて家にいないことが大半だったから。
ある一日の出来事を記した一ページには、当時愛人だったセレナが父のいない隙を狙って乗り込んできたという記録があった。
イザベラはあらゆる罵詈雑言を浴びせられ、さらには花瓶の水を頭からかけられたそうだ。
彼女の娘であるシーラを長年虐待してきたセレナのことだ。母が生きている間、そのようなことをしていてもおかしくはないだろう。
『シーラ……あなたは私のようにはならないでください』
ごめんなさい、お母様。
私、前世であなたのようになってしまいました。
いや、あなたよりずっと酷い末路を迎えてしまったかもしれません。
でも、今回は絶対にそのようにはなりません。
(きっと大丈夫です……私には心強い味方がいるし、それに……)
シーラは時々現れるようになった謎のスクリーンを思い浮かべた。
二度目の回帰をしてからというもの、度々シーラの前に現れるようになったあのスクリーン。
あの画面やカードの正体が何なのかは、今でもわかっていない。ただ、あれに従って行動していれば、不思議と良い方向に進むことが多かった。
――まるで物語のヒロインが、着々とハッピーエンドに向かって行くかのように。
未来なんて誰にもわからない。
ただ、今自分ができる最善の行動をするだけだ。二度と、あのような末路を迎えないためにも。
『シーラ、私はあなたを心から愛している。どうか幸せになってね』
その一言を最後に、シーラは日記をそっと閉じた。
――『アイテム”イザベラの日記”を手に入れました』
***
翌日、シーラはいつも通りアカデミーに登校した。朝から家族たちに会っていなかったせいか、ずいぶんと気持ちの良い一日の始まりだった。
シーラは学校に来るなり、生徒会メンバーのクレアからヘンドリックたちの処分が下されたことを聞いた。
「あなたを貶めようとした生徒たちには十日間の、レイヴィス公子には五日間の停学が言い渡されたわ」
「そうだったのですね……大事になっていなくてよかったです」
期間が思ったよりも短かったのは、きっと被害者であるシーラ本人が慈悲を望んだからだろう。退学を宣告されていたときと比べれば、ずいぶんと軽くなった処分だった。
(今日から一週間はヘンドリックに会わなくて済むのね……)
それでもシーラを虐める者たちが学園からいなくなったわけではないが、多少は心が休まるようだった。
安堵の表情を浮かべる彼女に、クレアが話しかけた。
「シーラ、私はあなたが彼らを庇ったのが理解できないわ。どうしてなの?あの人たちがあなたに何をしたか……」
「クレア嬢の言いたいこともわかります。ですが、私は彼らの人生が潰れることまでは望んでいませんから」
彼らにされたことを思えば、到底理解などできないだろう。しかしシーラは余計な恨みを買いたくは無かったし、面倒事にもしたくなかった。
クレアは穏やかになった彼女の横顔を見つめながら、ポツリと呟いた。
「そう……シーラはとっても優しいのね」
「や、優しい……?いえ、そんなことはありません……」
驚いて彼女を見たが、お世辞を言っているようには思えなかった。
(私が優しい……?)
シーラはこれまで、ずっと周囲から悪女だの醜女だの言われて生きてきた。
そして彼女自身もそのことを否定しなかった。普段の行いを考えれば、悪女と言われても仕方が無かったからだ。
だが、クレアはシーラの綺麗な内面をしっかりと見抜いていた。
彼女にとっての悪はむしろ、ヘンドリックや浮気相手のデイジーたちなのである。
クレアはニコッと笑い、わざと周囲の生徒たちに聞こえるような大声で言った。
「――タメ口で良いわよ、シーラ。敬称もいらないわ。私、何だかあなたのことをとっても気に入ったみたい」
「き、気に入った……?」
名門ガーマン公爵家の令嬢であり、第一王子の婚約者でもあり、生徒会の副会長でもあるクレアはこの学園でもトップの権力を誇っている。
そんな彼女が、嫌われ者のシーラ・アンダーソンを気に入るとは、生徒たちは衝撃を隠せなかった。
「よろしくね、シーラ。今度よかったらガーマン公爵邸にいらして」
「え、ええ、ありがとう……ク、クレア……」
シーラは謙遜しながらも”クレア”と呼び、差し出された彼女の手を握り返した。シーラにとって、初めての友人ができた瞬間だった。
「――ですから、あまりにも罰が重すぎます!」
「……?」
突如聞こえてきた、廊下に鳴り響く甲高い声。
シーラを始めとした生徒たちは、声のした方に一斉に注目した。
そこでは金髪の小柄な可愛らしい女生徒が、教師を前に悲痛な面持ちで訴えていた。
「あれって……デイジー嬢じゃないか?」
「あぁ、レイヴィス公子の……」
デイジーは両手を前で組み、涙を浮かべながら上目遣いで教師を見上げていた。
耐えきれなくなったのか、とうとう大きな瞳から雫が溢れ出た。
「五日間も停学になるだなんて――いくら何でも、ヘンドリック様が可哀相です!」
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