31 婚約破棄の提案
もちろん、証拠も何もなく、ただの噂に過ぎないことだった。
ただ前日に言い争いをしていたというだけで、オリバーがその事故を仕組んだという確証はない。
シーラも父オリバーが祖父ローガンを殺そうとしただなんて、思ってはいない。
想像するだけでも恐ろしいことだった。
シーラはローガンが住んでいる邸宅の中に入り、客間で彼と向かい合って座っていた。
あの事故の影響で彼の左目は閉じており、今は右目の視力もあまり良くないのだという。
「私の目が見えるうちに会えてよかったよ……シーラ、大きくなったね……」
「お祖父様、お久しぶりです。私も会えてとっても嬉しいです」
シーラはローガンにニッコリと笑って言葉を返した。
前世を含めると、十年は祖父と会っていなかった。前世では良き公爵夫人になるため勉強ばかりしていたし、とても領地へ行く時間など取ることができなかった。
それに、ローガンは父オリバーと折り合いが悪かったため、父の顔色を窺って会いに行くことができなかったのだ。
(今思えば、とても愚かな選択だったわ……)
いくら当主がオリバーに代わったとはいえ、ローガンが権力を失ったというわけではなかった。元々先代国王からも強い信頼の置かれていた彼は、隠遁した今でもなお社交界でたびたびその名が挙がるほどに名が知れていた。
ローガンの発言はかなりの力を持ち、オリバーですら軽々しく無視することはできない。
(お祖父様はとっても優しい人だったわ……まったく、どうしてこんなに素敵な人からあんなどうしようもない男が生まれてしまうのかしらね)
愛人母娘に夢中な父よりも、可愛がってくれた祖父を頼るべきだったのだ。
シーラは二回目にしてそのことにようやく気が付いた。
「元気にしていたか?ずっと会いに行けなくてすまなかったな……」
「いえ、お気になさらないでください」
気のせいか、前に会ったときよりも声に力が無かった。
それにシーラが記憶しているローガンの姿よりも、かなり老けているように見える。時間の流れを嫌でも感じてしまい、彼女は何だか切なくなった。
「久しぶりに孫娘の顔を見れて嬉しい……アイツは相変わらずか?」
「………ええ、そうですね」
ローガンの言うアイツとは、まさしく父オリバーのことだ。
彼は今、実の息子であるオリバーとは一切の連絡を断っている。
(お祖父様の人生を一変させたあの事故を仕組んだのがお父様だって言われてるんだもの、そういう風になってしまうのも仕方が無いのではないかしら)
ローガンが王都に来れないのも、そのような理由が多少なりとも含まれていた。
もし、事故を仕組んだ張本人がオリバーであれば、彼は安易にアンダーソン邸へ来ることができなかった。
「困ったものだな……あれだけシーラを大切にするように言ったというのに」
「私は平気ですから」
ローガンは罪悪感でいっぱいになった顔でシーラを見た。
相変わらず彼は優しい人だった。シーラは久々に家族の優しさに触れたせいか、また泣きそうになってしまった。
(泣いちゃダメよ……きちんと言わないといけないことがあるんだから……)
シーラは何とかこみ上げる涙を抑え、ローガンを真っ直ぐに見つめた。
「お祖父様……今日、私がここへ来たのには理由があるんです」
「何だい?」
そのような顔のシーラが珍しかったのか、ローガンは目を丸く見開いた。
今から話すことは、彼女にとってかなり勇気のいることだった。もし父や義母に言えば、間違いなく反対されて終わりだろう。
しかし、ローガンならちゃんと一から話を聞いてくれるのではないかとシーラは信じていた。
少なくとも、彼は父と違って話のわかる人間だったからだ。
「お祖父様、私―――レイヴィス公子との婚約を破棄したいんです」
「…………何だと?」
ローガンは信じられないというように、あ然とした。
シーラが婚約者のヘンドリックに纏わりついているという噂は、かなり有名だった。そのため、突然婚約破棄したいと言われて驚くのも無理はない。
「お祖父様、私は本気なんです。本気でヘンドリックとの婚約を無しにしたくて……」
「シーラ、落ち着いてくれ。そこまで言うということは、何か理由があるんだろう?」
ローガンはシーラを宥め、婚約を破棄したい理由を優しく尋ねた。
シーラはヘンドリックの不貞や暴言、嫌がらせなどを包み隠さずローガンに全て打ち明けた。
ヘンドリックの非道な仕打ちを知ったローガンは、怒りで拳を震わせた。
「……レイヴィス公子が、君にそんなことをしたと?」
「はい、全て本当です、お祖父様」
シーラは何としてでも婚約破棄を認めてもらうため、体を小刻みに震わせてわざとらしく悲しむフリをした。
しかし、ローガンを前に、その演技はあまりにも効果がありすぎた。
「レイヴィス家に抗議しよう。いくら公爵家とはいえ、ただでは……」
「ま、待ってくださいお祖父様!私はそこまでのことを望んでいません!」
シーラは今すぐにでもレイヴィス家に怒鳴り込んでいきそうな勢いのローガンを、何とか制止した。
彼女としては、婚約が無くなればそれでいいので、家同士を巻き込む大事にすることは避けたかった。
「お祖父様、私はヘンドリックとの婚約さえ白紙にしていただければいいのです」
「そうか?」
シーラはローガンの肩に手を置き、何とか彼を落ち着かせた。
そこまでの仕打ちを受けていて、何故相手を思うような行動ができるのか。ローガンはシーラの懐の深さに驚きを隠せなかった。
「……シーラ、大人になったな」
「そうですか?」
ローガンはクスッと笑い、孫娘の頭を優しく撫でた。
「今日はここに泊まっていくんだろう?オリバーたちには私から連絡を入れておくから、ゆっくりしていきなさい」
「はい、お祖父様」
シーラは満面の笑みで頷いた。
少なくとも、ここにいる間はくだらないことを気にしなくて済みそうだった。父も義母も異母妹もいない、快適な日々を過ごせそうだ。
(久しぶりにゆっくりできそうだわ)
そしてその頃、アンダーソン邸ではオリバーが怒りに震えていた――
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