12 変わらない婚約者
突然現れたヘンドリックの肩がぶつかり、シーラは思わず後ろによろけた。
転びそうになったのを、何とか寸でのところで阻止した。
顔を上げると、ヘンドリックがデイジーを優しくその胸に抱きしめていた。
彼らが人前で堂々とそのような行動をするのは、別に珍しくもない。この間だって空き教室でキスをしていたくらいだし。
婚約者のいる貴族子息として、いや、人として失格な行いである。
デイジーはまるで救世主が現れたかのように、嬉しそうに彼を見上げた。
「ヘンドリック様……!」
「デイジー、あの女に何をされた?」
「そ、それは……」
デイジーは言いづらそうに目を逸らした。
その反応を見たヘンドリックは、正面にいたシーラを鋭い目で射抜いた。憎悪の宿ったその視線に、シーラは一瞬ビクッとした。
――あの日、地下室に連れて行かれたときと同じ。
今すぐにでも激しい拷問を受けるのではないかと、体が急速に冷えていった。
(……この光景、何度も見覚えがあるわ)
そう、まさに前世でシーラがデイジーと対峙したときのこと。
ヘンドリックはいつも颯爽と現れては、事情を聞きもせずにシーラを悪者とし、デイジーの味方をするのだ。
――まるで、最初から仕組まれているかのように毎回同じ展開になるのである。
(こんなところでヘンドリックが現れるとはね……一体私たちが二人でいるのをどこで聞きつけたのやら)
シーラは険しい顔のヘンドリックに、冷静に言葉を返した。怖気づいている場合ではなかった。このままだとシーラが悪人だとされてしまう。
「ヘンドリック、私は何もしていないわ。ただキャンベルさんが話したいと私の元を訪れたから、ついて来ただけよ」
「何だと……?デイジーがお前にわざわざ会いになど行くわけがないだろう!」
ヘンドリックはシーラが嘘をついていると決めつけ、怒鳴った。
ええ、私だってそう思いますよ。でもね、彼女本当に自分から会いに来たんです。シーラはチラ、とデイジーに目を向けた。
その視線に気付いたのだろう。ヘンドリックの胸に抱きしめられていたデイジーが、そっと彼の腕に手を触れた。
「……ヘンドリック様、私が自分からアンダーソンさんに会いに行ったのは本当のことなんです」
「何だと……?何故そんな真似を……?」
彼はショックを受けたように、デイジーの顔を見下ろした。
何故そんなことを、と彼女を責めるような眼差し。デイジーは目に涙を溜めて彼を見上げた。
「アンダーソンさんに付きまとわれているヘンドリック様があまりにも可哀相で、私我慢できなくなって……一言言ってやろうと思って……それで……」
「デイジー……」
君は何て愛らしい人なんだ――とヘンドリックはデイジーを強い力で抱きしめた。
シーラは開いた口が塞がらないまま、そんな二人を眺めていた。
(な、な、な、な――何て茶番なの!)
シーラは呆れ果ててものも言えなくなった。
よくも人前でこんな恥ずかしいことが平然とできるな、と心の中で絶句した。
私だったらとっくに恥ずか死んでるわ。
「前に言わなかったか?二度とデイジーには関わるなと」
「……関わるも何も、そちらから話しかけてきたのよ?」
そういえば、前にデイジーに詰め寄ったときにそんなようなことを言われたような気がする。
しかし、今回ばかりは絡んできたのはデイジーの方だ。一体どうするのが正解だったというのか。無視したらしたでデイジーを無視するな!って怒ってくるんでしょうよ。
彼女が困り果てていると、デイジーがヘンドリックの腕の中から弱々しく呟いた。
「ヘンドリック様……私はいいんです。ヘンドリック様が幸せでいてくれたら、私は何を言われてもかまいませんから」
「デイジー……」
「……」
あの、私何か言いました?
たしかに過去のシーラはかなりキツいことを言ったかもしれないが、今回は特に何もしていない。それなのに、デイジーはいつも被害者のように振舞うのである。
「ヘンドリック、私は何もしていないわ。キャンベルさんはいつもそうやって私を……」
「――お前、いい加減にしないか!!!」
そのとき、ヘンドリックが突然シーラの体を押した。
「キャッ!」
シーラは尻餅をついて倒れ、その反動で落ちたカバンの中身が床に散らばった。
彼女の教科書たちや王都で買ったお気に入りのペンケースなどが地面に散乱する。
「いてて………」
「………何だ、これは」
その中で、ヘンドリックは彼女のカバンから飛び出たあるものに眉をひそめた。
それは、シーラが一時間近くかけて作った自分用のお弁当だった。
シーラは前世、毎日のように自分のとは別にヘンドリックの分の弁当を作っていた。
いつも朝五時に起き、高級食材をふんだんに使った料理を作っては彼のためにと持って行っていたのだ。
『ヘンドリック様にお弁当を作ってきたんです』
直接は会えないから、いつも人づてに渡していた。
しかし、それをヘンドリックが毎回食べずに捨てていたことを、シーラは知っていた。
それでも毎日めげずに弁当を作り、持って行っていた。今思えば、何て無駄な時間なのだろうか。
その弁当を目に入れたヘンドリックの顔が、みるみるうちに険しくなった。
彼の分ではなかったものの、姿形が全く一緒だったからだ。
「クソがッ!!!毎回こんなもの作りやがって!!!」
ヘンドリックはシーラの弁当箱を思いきり足で蹴飛ばし、蓋が外れて中身が飛び散った。
彼女が時間をかけて作った料理たちが、地面に散らばって土で汚れた。
「あ……」
「どうせ体液でも入れてるんだろう。そんなもの、俺は絶対に食べない」
冷たく吐き捨てると、ヘンドリックは地面に座り込んだままの彼女に背を向けた。
そのままデイジーの元へ向かい、彼女の腰を抱いた。
「行こう、デイジー」
「はい、ヘンドリック様」
「……」
ヘンドリックもデイジーも一度振り返ることなく、この場から去って行った。
床に座り込む彼女と、グチャグチャになった弁当のことを気に留める者など誰もいない。
二人が立ち去り、その姿が見えなくなった頃、耐えきれなくなったシーラの目から一筋の涙が零れ落ちた。
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