35 終わり
完全に陽が暮れる前の薄暗い図書館の中、エミリーは完全に明かりがなくなる前に明かりを灯そうとその場を離れようとした。
だがアイリスの魔力が周囲を覆い、薄暗かった室内は光もないのに容易に見渡せるように明るく灯る。
(これが、アイリス様の魔力……)
温かくて心地いい。
まるでやわらかい布団に包み込まれているような感覚に、エミリーは目を閉じかけた。
だが自分の左薬指に見える赤い糸に目を見開いた。
信じていなかったわけではない。だが、知っていたとしても実際に目にすると驚いてしまうときのような、そんな心理に近いだろう。
エミリーは自身の赤い糸を目でたどる。そしてアイリスに教えてもらった通り、ウィリアムと繋がっていることを確認すると小さく息を吐き出した。
ウィリアムと視線が絡み合ったが、エミリーはもう気にしないことにしていた。
「アリー!もういい!大丈夫だ!」
エミリーはシアンの叫び声に顔を向ける。
二人を包み込むような厳重に結ばれる赤い糸に驚き、その幻想的な光景に息を飲んだ。
だがハァハァと荒い息で呼吸を乱し、顔を青ざめた様子のアイリスに驚愕する。
エミリーは思わず駆けだした。
二人を結ぶ赤い糸を具現化するだけ、アイリスも自身に満ち溢れた表情で宣言していたからこそ、なにもリスクなく出来るのだろうと考えていた。
だが違った。それは誤った考えだった。
見えないものを他人に見せる。それがどういうことか、エミリーには理解できていなかった。
だから苦しむアイリスに寄り添おうと駆けだすものの、目の前でシアンがアイリスに唇を合わせ、魔力を流し込むものだから自然と足が止まる。
魔力の残滓が残る中で行われる、魔力供給。いや、二人の口づけ。
エミリーにはまるで物語のような光景だと感じたのだ。
そしてそれはウィリアムも同じだった。
二人の愛を見せつけられた。
それだけでなく、二人を強く結びつけられるように絡み合う糸に、ウィリアムは愕然とする。
己の左手を見つめ、そして辿り着く先はアイリスではなく、確かに恋をした筈のエミリーの姿。
「……俺は、間違えたのか……」
その呟きは誰の耳にも届くことはなかった。
□
ウィリアムは、シアンから魔力供給を受けたアイリスが回復すると、頭を下げて謝罪をした。
シアンは不満げに鼻を鳴らし、アイリスは「王子たるものが頭を下げるな」と一喝する。
そしてエミリーは白けた眼差しでウィリアムを見つめていた。
ウィリアムは言葉を詰まらせたように唾を飲み込むと、アイリスの忠告など聞いてもいなかったように再び頭を下げる。
「エミリーもすまなかった!この通りだ!許してくれ!」
ウィリアムは床に頭を付けそうな勢いで謝罪の言葉を重ねる。
そして
「………私が殿下に平手打ちしたことと相殺してくれるなら許します」
そういったエミリーにウィリアムは嬉しそうに綻ばせた。
だが
「では私はこれで失礼します。……アイリス様、今までお世話になりました。実は礼儀作法について公爵夫人から合格と言ってもらえたのですが、明日からの教養については辞退させていただきたいです」
「……それで私に知らせたくて学園に戻ったのね。勿論、エミリーがそれでいいなら私は構わないわ」
「え、何を言って……」
「でもお世話になった、なんてまるで別れ話のような言葉ね。私とエミリーはウィリアムがいなくても仲のいい友人だと思っていたのだけど、違うのかしら?」
「アイリス様……」
「ま、待ってくれ!」
友情を確かめ合うように見つめ合うアイリスとエミリーの間にウィリアムが割り込む。するとウィリアムは二人からの白けた眼差しを間近で受けて息を詰まらせた。
「なにか?」
「な、何かって……エミリーは許してくれただろう。これからも俺の妃になるべく教養を続けてくれるんじゃないのか?」
「え」
「は?」
白けた眼差しは更に凍える程に冷ややかなものへと変えていく二人に、ウィリアムは思わず同じ男であるシアンへと顔を向ける。
あれほど痛めつけられたにもかかわらず、助けを求めるウィリアムにシアンは何の感情も込められていない眼差しでウィリアムを見るとこういった。
「自業自得なお前は王子教育よりも教会で教えをこいた方がいいな」
仮にも同じ血が半分は流れている兄弟の発言に、ウィリアムはショックで言葉を失った。
そんなウィリアムに三人は楽し気に会話を続ける。
「そうね。今回のこともあって、従者の選定を急ぐよう進言するつもりだったけど、シアンの言う通りそっちのほうがいいかもしれないわね」
「そうだろう。将来王として民を導くつもりなら、人の意見に揺らがない精神が必要だ」
「え、シアン殿下が王位に名乗り出るのではないのですか?」
「僕はアリーといれればいい。元々王位に興味もないしな。だけどアリーが王妃になりたいって言ったら本気出すぞ」
「私は王妃に興味はないわ。そのつもりもないから今まで自由に過ごしていたもの」
「私は殿下とアイリスが相応しいと思うのですが……、それよりも殿下の髪色は魔法で変えているんですか?」
「そうだな。染粉にも手を出したことがあるが、着色が甘く水に濡れただけで落ちてしまう。今ではもっぱら魔法で変えてるんだ」
「じゃああの時の男性は殿下だったんですね!」
「あの時って?」
「私がここに来る前に殿下にアイリス様の忘れものだとボールペンを渡されたんです。ですよね?」
「え、私の筆記用具はちゃんとあるけど……」
「え、ですが先ほど……」
「…………白状するよ。第二王子がアリーの魅力に気付いたってことを知って焦ったんだ。アリーにもしものことが起きた際、いつでも助けられるように転移魔方陣を刻んだボールペンを彼女にお願いした。勿論その理由は伏せてね」
「なるほど、愛されていますね!」
「エミリー待って。よく考えて。一歩間違えて、私が転移魔方陣を発動してしまったら、あられもない姿を見せてしまうことも可能性としてあったわ」
「確かに。アイリス様、魔方陣という魔方陣は解析しまくってますもんね。今は平民でも簡単に発動できるような設計をしているんでしたっけ?」
「そうよ。魔力量が少ない平民でも使えるようにね。だから魔方陣に気付いたらきっと解析のために発動してたかも」
「それは………」
「確かに……相当危険なことをしていたようだ。ただでさえアリーは美しいのに、二人っきりになってしまったら僕は……」
「シ、シアン?何言ってるのよ!」
「殿下、アイリス様は懐に入れた人にはとてつもなく甘いんです。関係を進めたかったら、押せ押せ、ですよ!」
「エミリー!?」
「わかった。心得ておく。………だが、僕も長年の恋が実ったばかりで、アリーの傍にいられるだけで満足なんだ。アリーの承諾なく無理に関係を進めるつもりはないよ」
「羨ましいほど愛されてますね!アイリス様!!」
「そりゃあもう狂おしいほどに愛してるさ。………他の男が愛を囁くところを聞いてしまったら、間違えてその男を殺したくなるほどにね」
「シアン、嬉しいけど状況的に笑えないわ」
そんな三人の会話は完全にウィリアムを除け者にしていた。
ウィリアムはポツンと蚊帳の外で三人を見つめると、シアンの言ったように、王子教育ではなく、教会の教えを請いて、精神面を鍛えるために励んだほうがいいのか、それともエミリーに許してもらうために頭を下げ続けた方がいいのか、または兄弟であるシアンに謝ったほうがいいのか、顔を青ざめながら悩んだのである。
終わり。
次の頁はあとがきです。




