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アイリスは首を傾げるエミリーに推測だが経緯を説明した。
今から一か月前、ちょうどエミリーとウィリアムが二人で会うことを止めた日から一週間の事だった。
アイリスはあの時の令嬢から、とても嬉しそうに話しかけられる。
『余計なお世話かもしれませんが、私の婚約者もアイリス様のことを案じ、殿下にお話をしてくれたようですわ』
と。
当時はなにも思わなかったアイリスだが、シアンの言葉と先ほどのウィリアムの発言に、アイリスは点と点が糸で結ばれたように繋がった感覚に陥った。
アイリスから忠告を受けたウィリアムはエミリーとの逢瀬を止めた。
そこにタイミングよく形だけの婚約者であることを知らない令嬢令息たちは、捏造されたアイリスの話をウィリアムにする。
アイリスの恋人の存在も知らず、真に受けたウィリアムはアイリスを意識するようになった。
そして少し前にシアンに話した時に言われたように、ウィリアムはアイリスに恋をしたと思い込んでしまったのである。
ウィリアムが向けるアイリスへの想いを、アイリスは完全には信じていない。
何故ならウィリアムとエミリーは運命の赤い糸で繋がれているからだ。
アイリスは昔から人の幸せそうな表情を見るのが好きだった。
それが貴族や平民でも関係なく、嬉しそうに笑う人の幸せな様子はアイリスの心を穏やかにした。
アイリスにしか見えることが出来ない運命の赤い糸。
幼い頃はその糸で人々を出会わせ幸せに導いていたが、今は夢からの学ぶ知識や教養から、赤い糸に限らず人を幸せにする方法を見つけてきた。
だからこそ、今エミリーが悲しんでいる姿を見るのが辛かった。
アイリスはエミリーを抱きしめる力を弱めると、顔を合わせ、シアン以外には誰にも言わなかったことを話し出す。
「……私には運命の赤い糸が見えるの」
「赤い、糸?」
「ええ、将来結ばれる男女は生まれた時から見えない糸で繋がっている。どんなに伸びたり絡まったりしても、決して切れることはない、そんな糸が見えているからこそ、私はウィリアムとエミリーを応援しているの。でもあなたにも見えるでしょう?だって……-」
アイリスはそこまで言うと口を閉ざした。
夢の中の話は多少ならば家族には話しているが、この世界に似た物語があるということは話していない。アイリスが悪役令嬢として存在しない以上、その夢の中の物語は現実と違うものであることは確かだが、アイリスがウィリアムの婚約者として決まったことや、ウィリアムとエミリーが赤い糸で繋がれていること、そして物語に出てくる登場人物の多くがアイリスの知っている人と類似しているのだ。
物語という決められた未来に沿って、自分たちが動いているのだと勘違いしてしまえば、エミリーはウィリアムとの将来に安堵するものの、ショックを受けてしまうだろう。
だからこそ言うべきではないと口を閉ざす。
だがエミリーはアイリスの様相とは違う反応をした。
「赤い糸を私は見たことがありません……」
「え?」
アイリスは困惑した。
確かに物語のヒロインであるエミリーはアイリスが見えている筈の赤い糸が見える設定であることは間違いないはずなのに、それが見えない。
(でも、確かにエミリーから糸に関する話は聞いたことがなかったわ……。今まで私のように意図的に隠していたからこそ、話すことはなかったと思っていたけど、実際はそうではなかった……)
それが何を意味するのかアイリスにはすぐに答えが出そうになかったが、それよりも優先するべきことはエミリーを幸せにすることだ。
アイリスはエミリーの手を握ると、伸びる赤い糸に安堵しながら来た道を戻る。
(物語とは違うところがあっても、基本的には変わらない。エミリーがやった糸の具現化。魔法学を学んだ今の私ならそれができるわ)
沈み始める太陽は、まっすぐ伸びた廊下を幻想的な物へと変えていた。
夕日に染まったから赤いのか、それとも泣いたから赤いのか、はたまたエミリーに手を引かれているから頬を赤く染めているのか、エミリーはじっとアイリスを見つめていた。
そんなエミリーの視線を感じたのかアイリスは振り返る。
「論より証拠。見せてあげるわ。私が言っていることが本当だって」
アイリスは自信たっぷりに告げた。
人を引き付けるアイリスの笑みを正面から受けたエミリーは、まるで眩しいものをみたかのように目を細め、小さく「はい」と頷く。
そうしてアイリスとエミリーが図書館へと戻ると、なにやら不穏な物音が聞こえてきた。
ゴキッと耳を塞ぎたくなるような鈍い音、不安に掻きたてられたアイリスとエミリーは扉から見えたその光景に思わず息を飲んだ。
男が二人、殴り合っていたのだ。
いや、正確には銀髪の男がもう一人の男に馬乗りになり、容赦なく拳を繰り出す光景が見えたといったほうが正しいだろう。
だが衝撃的な光景にエミリーは恐怖で体を震わせると、口元を手で押さえた。
漏れてしまいそうな声を必死に抑えているのだろう。音を出さないように抑える仕草は、本能的な行動だと感じる。
一方アイリスは違った。
思わぬ光景に驚きはしたものの、銀髪の男はシアンだと気付くとその場を駆けだし、シアンを抱きしめた。
顔に胸を押し付けるように抱きしめたことで、シアンは息苦しさを感じたが、それでも落ち着くアイリスの香りに冷静さを取り戻す。
シアンがアイリスの背に手をまわしたその時だった。
「あ、アイリスから離れろ!!」
顔を血を流し、特に鼻辺りを真っ赤に染めたウィリアムは見知らぬ男からアイリスを守ろうと声を荒げる。
だがシアンに馬乗りにされていることから、なんとも格好つかない状態であったことはかなり残念だった。
それでもアイリスを危ない男から守ろうと声を上げたことは感心すべきことだ。一方的に殴られ、勝てる見込みもないことがわかっているうえでの行動だったのだから。
アイリスはウィリアムの声に反応することなく、腕から力を抜くとシアンの頬を包み込むように手を添え、シアンの顔を見つめる。
長い前髪からはっきりと目を見ることは出来なかったが、それでも髪色を黒から銀へと戻していたことから、少なからず確かめることが出来た。
アイリスはホッと安堵した。
「……よかった」




