28 視点変更(エミリー)
エミリーは学園に戻るとガゼボに向かった。
婚約者との茶会の場として、アイリスがエミリーの為に人の目でも様子を窺うことが出来る場所を指定したためだ。
そんなアイリスにエミリーは感謝した。
放課後の時間帯、エミリーは学園にいることは少ない。公爵家で礼儀作法を学んでいるからだ。
それなのにアイリスは少しでもエミリーの不安を解消すべく、エミリーに寄り添った提案をしてくれた。エミリーはそれだけでアイリスのことも大好きになったのだ。
そんなガゼボに二人の姿は見えない。
時刻はもう十九時を過ぎていた。授業が終わってから既に一時間以上が余裕で過ぎていることから、婚約者としての茶会の時間も終わったのだろう。
ではどこにいるのかと考えた時、アイリスならば図書館にいるのではないかと思いつく。
貴族の娘として、そして貴族の頂点である公爵家の人間として恥じない行いを、アイリスは幼い頃から実行してきた。
エクシロン公爵領から広まったコットンが混用されている洋服は、平民にとって非常にありがたいものだったが、男爵などの低位貴族にも影響を与えたのだ。
エミリーのタブリンク男爵家も例外ではない。
困窮しているほどではないものの、領地経営に回せる資金に余裕が出来たことは助かっていると、エミリーは父から聞いていたのだ。
それでもエミリーは、正直アイリスよりウィリアムに会いたい気持ちでいっぱいだったが、報告して褒めてもらいたいという気持ちが少なからずあった。
アイリスならば「凄いわ、その調子よ。頑張って」と応援してくれる。
だからこそ、エミリーはアイリスがいるであろう図書館へと向かう。
「ちょっと、いいかな」
エミリーは廊下を歩いていると一人の男性に声を掛けられた。
その男は黒い髪を顔の半分ほど隠すくらい伸ばしていた。男性はエミリーから見ても怪しく思えたが、堂々とした立ち振る舞いから少なくとも位の低い爵位の出ではないと感じ取る。
エミリーは足を止め振り返ると男性を見上げた。
「これを」
そうして差し出されたのは一本のボールペンだった。
「……あの……」
困惑するエミリーは差し出されるボールペンを受け取らずに、男性を見上げる。
そのボールペンにエミリーは心当たりなどないのだから当然のことだった。
「君のものではないことはわかっている。だがこれから図書館に向かうのだろう?そこにはエクシロン公爵令嬢がいる筈だ」
「は、はぁ……」
「彼女に返してあげて欲しい」
その言葉で見覚えのないボールペンの主はアイリスであるとエミリーは察した。
エミリーは男性からボールペンを受け取ると、「何故、ご自身で返さないのですか?」と問いかけた。
「………彼女には婚約者がいるだろう。落とし物を届けるとはいえ、婚約者以外の男性との接触は彼女にも悪い影響を与えかねないからな。君がエクシロン公爵令嬢と関りがあるかは知らないが、女性同士であれば問題ないと判断したまでだ」
男性の言葉にエミリーは納得した。
それはまさに自分がアイリスから注意された内容だからだ。
(アイリス様と接点がない方でもここまで物事を考え行動しているのね……。私はなんて浅はかだったのかしら)
エミリーは過去の自分を責めた。今はこうしてウィリアムと顔を合わせる機会を失ってはいるものの、それが当然であり、将来を考えれば我慢しなければならないこと。
決して自身の感情から動いてはダメだと改めて学んだ。
「行かないのか?」
「……あ」
ボールペンを見つめ、立ち尽くすエミリーに男性は声を掛けると、ハッと我に返ったようにエミリーは顔を上げた。
「今は陽が長いとはいえ、もう暮れ始めている。行くのなら早くしたほうがいいだろう」
「そ、そうですよね!では、失礼します!」
エミリーは男性に諭されると頭を下げ、ボールペンを握りしめながら廊下を走る。
本当に礼儀作法を教わっているのかと、エミリーの後姿を見ていた男性は呆れた眼差しを向けていた。
そうしてエミリーは図書館へと辿り着く。
走ったからか息を切らし、エミリーは大きく息を吸うと荒れた呼吸を整えた。
(せっかく公爵夫人から合格点をもらったのだから、アイリス様の前ではちゃんとしないと!)
どうやら廊下を走る行為が令嬢として、相応しくない行動だと認識できていた。
それでも走ったのは急いだほういいといった男性の言葉があったからだろう。
呼吸を整えたエミリーは扉へと手を伸ばす。
だが
『俺はエミリー嬢じゃなく、お前が好きなんだ!』
会いたかった相手の、聞きたいと毎日耐えて我慢した声が、エミリーの心を突き刺した。




