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アイリスは戦々恐々としていた。
だが週末が近づいても変化はなく、変わらぬ毎日を過ごしていた。
「………どういうこと?」
思わずそのように呟いたが、油断は禁物という言葉通り、これからは婚約者としての義務を果たそうと気持ちを改めていた。
ウィリアムと同じ学園に通うという事から週一度の茶会は月に一度の頻度へと落とされていたことが救いである。
アイリスはその日だけは忘れないよう家族への周知と声掛けを徹底した。家を出る前に思い出すことが出来るため、おかげで茶会そのものを忘れることはない。
そして2学年へと進学したアイリスは遂に学園の外へ出る機会を得た。
「今年からは学園が管理する森で実際に魔物と戦ってもらう」
教師の発言に戸惑いを見せる生徒たちは、教室の扉が開けられ、入ってきた同じ学生服を身に着けた人たちに注目した。
「貴族の本分は国を守ることだ。それは王族だけを守るという事ではなく、自らの領民たちを守るという事。その為にも戦う力が必要となる。だがお前らはまだ魔法を覚えたばかりだということはわかっているから、しばらくの間優秀な成績を収めているお前らの先輩と一緒に同行してもらう」
実際に顔見知りもいるのだろう。互いに顔を合わせ、軽く会釈をしたり微笑んだりと、それぞれ行動する生徒たち。
その様子を眺めていたアイリスは強烈な視線を感じていた。
(……なんだろう)
アイリスは感じる視線を確認したい誘惑にかられた。だが何故か今は見てはいけないと本能が告げる。
それは恐怖からではない。見てしまえばなにもかも変わってしまうという、漠然とした予感からだった。
だが運命というものはいたずら過ぎるところがある。
現に今、アイリスとシアンを引き合わせた。
□
アイリスは今、一人の男性から目を離せないでいた。
その男性は黒髪、長い前髪で瞳の色はわからないが、見える肌は透明感のある肌でアンバランスな印象を与えていた。
だがアイリスが男性から目を離せないのは見た目の問題ではない。その男性の手から伸びる筈の赤い糸が見えないことが、アイリスの視線を釘付けにしていた。
アイリスたちは教師の指示に従い、学園の外へと出ていた。
だが外と言っても学園の保有する森の中である。手入れがされていることから、うっそうとする森、というわけではなく青々とした緑が差し込んだ光で輝きを見せる、綺麗な光景の森といった場所だった。
そんな場所にアイリスとウィリアム、シアンに他生徒たちがいた。
ちなみにエミリーはいない。クラスが違うからだ。
アイリスのクラスは十人。王族に公爵と言った高位貴族で構成されていることから人数も少なくなる。
引率者として一つ上の学年の生徒が三名という事は、三から四人の班分けという事になるだろう。
そしてその予想はあたり、アイリスとウィリアム、そして侯爵家の男性とシアンが同じ班になった。
まずは先輩からとシアンが自己紹介を始めると、アイリスはシアンを見て驚く。あるはずのものが見えないからだ。
思わず驚愕した表情でシアンを見続けるアイリスにウィリアムは首を傾げる。何をそんなに驚いているのか、ウィリアムにはわからないからだ。
ウィリアムはアイリスに事情を尋ねようとするも、シアンの紹介は直ぐに終わり、次はウィリアムを指名されたために尋ねることは出来なかった。
そしてアイリスもやっと我に返った様子で、ウィリアムに続き名を名乗り、簡単な自己紹介を終わらせる。
そうして授業が始まった。
シアンを先頭に三人は後についていく形で後方を歩いていた。だがただ歩くだけではない、先輩としてシアンは森の中を歩きながら、様々なことを教えていく。
「森は宝の宝庫だ、そこに生えている草も一見するとただの雑草にしか見えないが、薬の材料として使用できる。ツワブサという薬草だ。効能は切り傷、打撲、火傷、根は乾燥させると下痢止めとしても使用できる」
「材料、ということはそれだけでは効能はないのですか?」
「そんなことはない。薬草だけでも十分な効果はあるが、その効果を高めるために数種類から数十もの薬草を調合するんだ。複数の薬草を合わせる主な理由は三つ。薬草同士の相乗効果、副作用の軽減、そして多面的なアプローチ」
「多面的なアプローチ?」
「簡単に言えば風邪薬には様々な効果が込められている。解熱に咳止め、鼻水の抑制等、複数の薬草が調合されて一つの薬が出来上がるんだ。さっき教えたツワブサを例とすれば、強い抗菌力を持つドグダミと合わせることで効果はあがるだろう」
シアンは淡々と話していた。その話を聞き洩らさないように聞いているが、アイリスだけは心ここに在らずといったようにシアンの手ばかりに目線を向けていた。
(なんで、どうしてこの人が……)
ちらりとシアンの顔へと視線をあげるも、その長い前髪で表情はおろか造形もわからない。だが透明度のある肌から、決して見た目通りの人ではないようにアイリスは思った。
そして歩いているにつれて、アイリスは冷静に考えられるようになっていく。
運命の相手というものは一人に対し一人だけ。決して複数の人が当てられることはない。
この世界にそのような記載がある文献を見つけられることは出来なかったが、夢の中から得られる知識はもはや嘘偽りはないと信じていた。
だからこそ赤い糸の相手は唯一無二の存在。それが運命の相手だとアイリスは信じている。
つまり今目の前にいる黒髪の男性は、幼少期に出会った銀髪の少年なのだとアイリスは推理した。
(もしかして正体を隠している?)
だが何故。そして幼い頃に見た銀髪の少年と同一人物であるとしたら、何故顔だけでなく髪色まで変えなければならない理由がアイリスにはわからなかった。
そして同一人物であるのなら、何故アイリスを見ても何の反応もなくいられるのか。
もう一度会いたいと思っていたのは自分だけだったのかとアイリスは思うと、思わず唇を噛みしめそうになる。
実際に唇を噛む前、足を止めたシアンがアイリスたちに立ち止まるように指示を出した。
「最弱と言われる魔物、スライムだ」
ゼリー状で半透明のスライムが目の前に現れる。
顔はないが、見える核が上向いていることからアイリスたちを見上げていると思えた。その様子はなんともいえない庇護欲を掻き立てられるようで、アイリスも思わず「かわいい」と呟いている。
だがスライムはその見た目とは裏腹に人間にとって残虐な性質を持っている。ゼリー状の見た目を存分に発揮し、穴という穴に入り込み、窒息死を促すのだ。
そして今も一体が人間の前に現れ注意を引き付ける。音もたてずに忍び寄る、それがスライムの戦い方だった。
だがそれでもスライムが最弱と呼ばれるのは何故か。
ーパチン
小さく、だが響く高い音がした。
アイリスはふと顔を上げると手を前へと突き出すように上げるシアンが見える。今の音はシアンが指を鳴らした音だとわかった時には、後方でべちゃッとした音が聞こえてきた。
「………え」
アイリスは何かが飛び散ったような音に振り返ると、そこには核がわれ、ゼリー状の液体が散らばったスライムの残骸があった。
「な、なんだこれ!」
「うわぁ!い、いつの間に!」
声を上げるウィリアムと令息にシアンが両の手を合わせ音を出す。
「静かに。魔物は普通の動物とは違い、人間を捕食対象として見ているんだ。声を荒げることは場所を知らせることと同意。それがわかったなら声を荒げないことだ」
シアンの言葉に二人は手で口元を押さえるとこくこくと頷いている。
一方アイリスはこの光景に疑問を抱いた。
確かにゲームの中でも魔物を倒す授業というイベントは存在していたが、そこではシアンの存在はあっただろうか。今もアイリスが身を挺してスライムからウィリアムを守る場面だったような、そんな気がしてならない。
「スライムへの対処法は簡単だ。マナを含んだ攻撃や防御をする、ただそれだけだ」
「そ、それだけ、ですか?」
「ああ」
シアンはこくりと頷くと「見てみろ」と言って上を指さす。
いつの間に展開していたのか、四人を余裕で覆うほどの大きな結界が半円を描くように張られていた。
またそれだけではなく、木の枝から飛び降りたスライムが結界へとぶつかると、そのまま衝撃が核へと伝わり割れる。核を壊されたスライムは形状を保てなくなり、結果ゼリー状の体はドロッとした液体へと変わり地面へと落下した。
「物理攻撃はマナもしくはオーラを纏った攻撃でなければスライムの肉体に全て吸収され防がれてしまうが、マナは違う。見てわかると思うが、スライムはマナ伝道率が極めて高く、結界に張り巡らされたマナがスライムへ触れると核まで到達し勝手に自滅するんだ」
「つまりどんな弱小な魔法であってもスライムにあたることが出来れば勝てる、というわけだ」とシアンは続けた。
わかりやすい解説にこれならば自分たちもと、自信を持てた二人の男は戦いたいと申し出る。
勝手に自滅するスライムに戦うと言葉を使うのはどうなのだと思われるが、なにごとも最初の一歩が肝心だ。
シアンは「結界の中から攻撃するなら問題ないだろう」と告げると、ぐっと結界の範囲を狭める。




