22 視点変更(シアン)
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「そういうこと、か」
空き教室として使用された部屋の直ぐ上の屋根に一人の男性が胡坐をかいて座っていた。
まるで深い闇のように真っ黒に染まる漆黒の髪は、表情を隠しているかのように不自然に長い。唯一見える口元だけは弧を描いているため、男性は笑っているとわかる。
アイリスが防音魔法を使用し、王族に対する口調とは思えないほどに不敬罪な言葉を連発していたが、それをこの男は実際に聞いていた。
防音魔法と呼ばれる魔法は、周囲に音を漏らさず、秘匿したいやり取りをする場合によく使われる魔法である。
一度発動させてしまえば、術者に気付かれないよう傍聴することは不可能に近い。
だが、あらかじめ魔力による穴をあけていれば聞き耳を立てることも可能となる。
例えていうのなら、あらかじめ穴をあけた型に生地を流し込めば、穴の開いたスポンジが焼きあがるように、魔力を糸のように伸ばしておけば、気付かれない内に防音魔法にも隙間が生まれる。
その穴から後は風魔法を使って音を拾えば、例え離れた距離でも盗み聞くことができるというわけだ。
男は喜んだ。
アイリスとウィリアムの間に恋情が芽生えているわけではないこと、互いに婚約破棄を目指して動いていること、そしてウィリアムには既に相手が存在していることに、男は喜んでいた。
そもそもこの男は誰なのかというと、この国の第一王子であるシアン・ディオルである。
病弱で王宮から出ることが出来ないと噂されているが、それは正しくはない。
正確には王妃に毒を盛られたことで、倒れたシアンが病弱扱いをされている。というだけだ。
シアンは成長のために魔力操作を禁じられていても、自然と体から漏れ出るほどに魔力が多かった。
その結果、毒を盛られても体の防衛反応が働き、魔力によって毒を解毒していた為、病弱ではないし、毒にも侵されることはなかった。寧ろすこぶる元気で健康的である。
そんなシアンは幼い頃、毒を盛られたことで住んでいる場所が如何に危険な場所であることを理解した。
だが家はここしかない。実の母も側妃で実家の後ろ盾も弱く、頼ることは出来なかった。また父親である国王も、毒を持った犯人の伴侶であることから、完全に信用できなかった。
シアンは毒が脅威ではないことから、母の身に危険が及ぶことがないよう、身を潜めることにしたのだ。
その結果、病弱というレッテルが貼られたわけだが、平穏な生活を送ることが出来た。
平穏な生活を送っていたシアンは退屈だった。
引きこもりの毎日は好奇心旺盛な子供にはある意味毒で、ある日綺麗なバラが咲いている庭園を歩いていた。
そんな時に出会ったのがアイリスだった。
シアンを天使と呼び、恥ずかしげもなく運命の相手だと告白してきた女の子。
シアンは子供ながらにドキドキした。初めてだったのだ。同じ年ごろの女の子と話をしたのも、告白されたのも、全てが初めてだった。
シアンはどうすればいいのかわからず、とりあえずカッコ悪くならないよう、でも慌ててその場を立ち去った。
去り際に転んでしまったが、追いかけてこなかったことからきっと見えていなかったはずだと、当時はほっと安堵したことを覚えている。
だがすぐにアイリスとウィリアムの婚約が決まったことがシアンの耳にも入ってきた。
当時のシアンは落ち込んだ。
『どうして!俺の事が運命だって!あいつの婚約者になりたくないっていってたのに!』
初めての怒り。そして悲しみに、シアンはどうしていいかわからなくなった。
ただ涙を流し、どうすればいいのかわからない感情を溜め込んだ。
その結果、病弱と噂されたシアンは噂通り引きこもった。
そんなシアンは王妃に、王位の座を争うほどの器ではないと判断された。
盛られていた毒は徐々になくなり、文字通り平穏に暮らしていた。
だが王妃の予想とは裏腹にシアンは優秀だった。
なにもすることがないシアンは本を読んだ。一度読んだ本の内容は頭にみるみる入り、知識として蓄えられた。そして生まれ持った膨大な魔力はシアンの自頭の良さで、優秀な魔法使いへと成長させる。
それでも目立つことを恐れたシアンは、銀色に輝いていた髪を黒く染め、整った顔立ちを隠すように髪を伸ばした。服も少し大きめを選び、ダボついて着衣する姿はだらしなく見える。
だがそれがシアンの策略だった。
大人しく、目立たず、学園でもシアンはそうして過ごしてきた。
そして運命の人だと告白してきた女の子、アイリスが入学してきた。
同い年であるアイリスとウィリアムよりも前に、シアンが学園に通ったのは、ただ魔力の量が原因である。
側妃が国王に訴え、通常よりも一年早く通うことが認められたのだ。
シアンは久しぶりに目にするアイリスに釘付けになった。
可愛らしい見た目は美しく成長し、シアンは再びアイリスに恋をした。
だがアイリスはウィリアムの婚約者。
シアンは失恋から痛む心臓をぎゅっと握りしめるように服を掴む。
シアンはずっとアイリス一筋だったのだ。どんな女性を見ても運命の相手を知っているからか魅力を感じず、心惹かれることがなかった。
もしかしたら幼い頃に失恋を経験したことで、女性に対する興味がなくなったのではないかと考えることもあったが、アイリスを見てそれは勘違いだったと気付いた。
そして今、アイリスたちの会話を聞いたシアンは喜んでいた。
長い前髪の下に隠れている目は嬉しそうに細められ、シアンを祝うように雲一つない青天の空を見上げている。
『またな』
幼い頃、シアンがアイリスに言った言葉。
あの言葉をアイリスは覚えているだろうか。
アイリスはウィリアムとの婚約を続けながら、待ってくれているのだろうか。
シアンはあげる口元を戻すと、屋根に背を付け、寝転んだ。
そして青い空へと手を伸ばし、グッと握る。
「………君の隣に、堂々と立てるような、そんな男を目指すよ」
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