第十章 反旗(一)
キビからは、三段階に分けて大王がいるムキへ進軍することになった。
先駆けはタケル率いるイヌカイ族。
平地の争いに関わることを避けていたイヌカイ族だったが、タケルの父であるタマルが積極的に仲間を説得してくれた。
彼らもまた、時代の変化を敏感に感じ取っているのかもしれない。
ウラ率いるキビ軍とモモソヒメ率いるヤマト軍合同の本軍は、儀式から三日目の早朝にキビを発った。
イサセリとワカタケもこの部隊の一員だ。
後詰めにはトメタマやウメといった物資の運搬や傷の手当てを担う者たちが続くという。
大人数での進軍だ。
大王はすぐにモモソヒメたちが反旗を翻したことに気づくだろう。
そこで、カラヒサ率いるイズモ軍が全軍到着までの時間を稼ぎ、最後に後継者である大王子クニクル率いるヤマト軍がヤマトの地からやってくる計画だった。
夜営の火のそばで、イサセリは弓の手入れをはじめた。
数日来の長雨で緩んだ弦を外し、火のそばに吊るして乾かす。
弓を火であぶっていると、ワカタケが隣にやってきた。
イサセリは、疲れが滲む弟の横顔を覗き込んだ。
「大丈夫か?」
「誰の心配してんだ」
久しぶりの悪態を耳にし、頬が緩む。
「体のこともだが……いちばんは大王のことだ」
一呼吸置いて続けた。
「斬れるのか?」
「ふん」
ワカタケは鼻を鳴らした。
「いつぞやの逆だな」
「そうだな」
ワカタケは肩に立てかけていた剣の柄を右手でゆっくりと握った。
火の粉が舞い上がる。
「……大王も、人を褒めることはあったんだ」
休憩を取る兵たちの談笑が森の中に響く。
ワカタケの声量は小さかったが、なぜかはっきりと聞き取ることができた。
「俺一人じゃなくて、兵士全員に対してだけどな。小競り合いに勝った日は酒を振る舞ってくれた」
「酒か」
「末っ子のウグイスの前では、まるで別人みてぇな優しい顔して笑ってたんだ」
「信じられんな」
ワカタケの口角が僅かに持ち上がった。
「蝉が大嫌いで、夏はいつも不機嫌だった」
ワカタケから出てくる大王の逸話は尽きなかった。
どんな人にも良い面と悪い面がある。
知っている良い面が多ければ多いほど、その人の難を見なかったことにしたい気持ちは、イサセリにもよくわかった。
「無理しなくてもいいぞ」
イサセリは弓を裏返し、反対側も火であぶった。
「無理なんてしてねぇよ」
「大王のことだけじゃない。大王を守る兵たちだって、かつての仲間だろう」
ワカタケの眉間の皺が濃くなった。
彼の声は重かった。
「こちらとあちらの戦力差は圧倒的だ。降伏するなら助けてやりたいが、立ち向かってくるなら……」
炭が爆ぜた。
「俺は迷わず斬る」
弟の覚悟に、イサセリの胸が震えた。
ワカタケならやり遂げるだろう。
何でもないようなふりをして、表情一つ変えずに。
しかし、きっと陰では泣いているのだ。
カチツキの墓の前で「すまない」と繰り返していたあの日のように。
「あれは、まだ持っているのか」
「あれ?」
「黒曜石の鏃だ」
カチツキの腹を射た、右先端が欠けた鏃。
形や削り方を見れば、敵の正体が分かるのではないかとイサセリが尋ねた時、ワカタケは誤魔化すように鏃を隠した。
「本当はわかっていたのだろう。大王の兵が射たものだと」
ワカタケはすぐに答えなかった。
しばらく炎を見つめた後、懐から鹿革に包まれた黒曜石の鏃を取り出した。
「……どこにでもある物だったからな、ムキでは。いつも見ていた形だ」
イサセリはずっと誤解していた。
ワカタケは大王の安否が心配で、早く仲間の元へ戻りたくて、吹雪の中イヌカイ族の洞窟を飛び出していったのだと思っていた。
しかし、きっと違ったのだ。
あの日、カチツキの墓の前で話した時にはすでに、弟の胸には復讐の火が燃えはじめていた。
イサセリは黙って手を差し出した。
ワカタケも何も言わなかった。
ただ、鹿革をイサセリの手の上に置き、お互いの指の骨が軋むほど強く握ってから離した。
タケルがツァーマとともに駆けてきたのは、蛍の光が闇を彩りはじめたころだった。
イサセリとワカタケも、モモソヒメとウラへの報告の場に連なった。
タケルは息を整えながら告げた。
「フトニがムキから逃げた」
一同の表情が凍りついた。
「イズモ軍は何をしていたのだ」
ウラが琥珀色の瞳を怒らせた。
眉骨が高い分、影が落ちやすい。
暗がりに浮かぶ目には凄みがあった。
イサセリは喉を引き締めた。
「大王の軍と交戦はしたみてえだけどな」
「部下を置いて逃げたのね」
モモソヒメは長く垂らした縞模様の帯をきつく握った。
爪先が白く染まっていた。
イサセリはタケルに問いかけた。
「どちらへ逃げたかわかっているのか」
「海にはイズモ軍がいたから、船には乗ってねえはずだ」
「すぐ西はイズモの里があるし、だとすれば、南か東か」
幼いころからムキを知るワカタケなら、逃げた先が読めるかもしれない。
イサセリは弟に期待を寄せた。
「ワカタケはどう思う?」
彼は眉根を寄せ、途切れがちな言葉で考えを述べた。
「大王なら、とりあえずムキの南の山に入ったはずだ。狩りの時によく使っていた道がある。
その後は……そのままオオ山に向かうか、いや、南から俺たちが来ることはわかっているはずだから、東へ抜けて……そうか!」
ワカタケの眉間の皺が一瞬で消えた。
「アオヤだ!」
ワカタケの推測に、モモソヒメとウラは素早く顔を見合わせた。
理解が追いつかないのはイサセリだけだった。
「アオヤとは?」
「ムキよりも東にある海沿いの集落だ。里長は大王と懇意で、あそこからなら船が出せる」
「船で逃げられたら厄介ね」
モモソヒメは巫女らしくない苛烈な表情で虚空を睨んだ。
ウラがタケルに尋ねた。
「この話は、すでに他の軍にも?」
「他の奴らがしてるはずだぜ」
「では再度知らせを頼めるか? 俺たちは念のため、オオ山の東と西の二軍に分かれてこのまま北上する。
イズモ軍にはムキ周辺の捜索をしつつ船をアオヤへ移動するように、大王子率いるヤマト軍には最終目的地をアオヤへ変更するよう伝えてくれ」
「任せろ!」
タケルはすぐさまツァーマと駆け出した。
各地の山々に住まうイヌカイ族は、狼煙を立て、鹿笛を響かせて言の葉を運ぶ。
山から山へと知らせは飛び、瞬く間に仲間たちに届くだろう。
オオ山の西へ向かう軍勢の長には、かつて罪人の穴でイサセリたちの面倒を見た壮年の兵士サンが選ばれた。
イサセリとサンは目配せをし、頷き合った。
東へ向かう本隊はモモソヒメとウラが率いた。
イサセリとワカタケもこちら側だ。
アオヤへと続く道中、一同の顔が引き締まっていく。
大王との決戦が刻一刻と近づいていた。




