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【完結】地つなぐ者  作者: 駿河晴星
第九章 同盟

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第九章 同盟(三)

 イサセリは垂れ下がった麻布を払い部屋に入った。


 か細い呼吸が聞こえた。


 横向きに寝転ぶワカタケの背を、ウメがゆっくりとさすっていった。


「ウメ」


 ウメの顔には、何日も続く看病の疲れが染みついていた。


「変わろう」


「いえ、大丈夫です」


 イサセリが隣に座っても、ウメは手を止めようとしなかった。


「そんなこと言って、ずっと付きっきりではないか」


 イズモでの再会以来、ウメは一日中ワカタケの看病に徹していた。


 水を飲ませ、粥を口に運び、薬草を煎じる。


 その献身的な介抱は昼夜を問わなかった。


 このままではウメまで倒れてしまう。


 無理にでも休ませようかとイサセリが考えていると、弱々しい声が下から響いた。


「やす、め」


 ワカタケは僅かに頭を振り、黒目を目尻まで寄せてウメを見つめた。


「いい、から」


「でも……」


 本人に言われても動こうとしないウメだったが、新たな来訪者が場の空気を変えた。


「後は私たちにお任せください」


 部屋に入ってきたのは、ウラの妻アズキと数人の下女たちだった。


 アズキはイサセリを手招きし、小声で告げた。


「邸の外へウメさんを連れ出してください」


「しかし、私も弟の――」


 アズキは静かに首を横に振った。


「それは私たちにお任せを。里人の看病で慣れておりますので」


「そうか……すまないな」


「いえ」


 イサセリはウメに手を差し出した。


「ウメ、少し外の空気を吸いにいこう。話したいこともあるしな」


「……わかりました」


 手際よく動く下女たちの姿に安堵したのか、ウメは立ち上がった。





 外に出てから「行きたいところはないか」とウメに尋ねると、「海が見たい」と言うので浜へ向かった。


 活気に満ちた港をイサセリがぼんやり眺めていると、里人や海人あまたちに中に、見知った顔を見つけた。


「あれ、トメタマたちじゃないか? おーい」


 イサセリが手を振ると、トメタマとタケルも応えるように腕を上げた。


 近づいていくと、体中に入れ墨を彫った海人の男が彼らの前から立ち去った。


「何をしていたんだ」


「ちょっとした値切り交渉をね」


「俺は見学」


 タケルは歯を見せて笑った。


「もう終わったのか?」


「うん。いい交渉ができたよ」


 トメタマの細い目が三日月型に歪んだ。


「ちょっと話せるか?」


 イサセリが切り出すと、


「んじゃ、寝転がろうぜ!」


 タケルは両手両足を大きく広げ、砂の上に倒れこんだ。


「えー、やだよ。べたべたする」


「後で水浴びすればいいだろ」


 タケルは構わず、トメタマの腕を引っ張った。


「うえっ! 砂が口に入った!」


 トメタマの文句を無視して、タケルは振り向く。


「ほら、イサセリとウメも早く!」


 イサセリはウメと顔を見合わせた後、軽く頷いてから砂浜に身を横たえた。


 青空が広がっていた。


 やわらかそうな白い雲が右から左へゆっくりと流れていく。


 干した魚の香り、人々の熱気、寄せては返す波の音、すべてが潮風に乗ってやってくる。


 日に温められた砂が心地いい。


 微睡みかけていたイサセリの意識を、タケルの声が引き戻した。


「こうして四人で寝転がってると、罪人の穴を思い出すな」


 トメタマがげんなりした口調で応えた。


「なんでよりによってそれ? キビまでの道中とか、イズモとの往復とか、もっとあるでしょ」


「だって、その時は誰かが見張りをしなきゃだっただろ? 四人同時に眠れたのは、格子に守られてたあの時だけだって」


「格子に閉じ込められてた、でしょ」


 トメタマの合いの手に、タケルは


「そうとも言うな」


 と愉快そうに笑った。


「二人の掛け合いを聞いていると心が和らぐ。なあ、ウメ」


 イサセリは隣に寝そべるウメを見た。


 ウメは小さく笑った。


 しばらく、彼女の心からの笑顔を見ていない気がした。


 イサセリは一呼吸あけてから、すべてを三人に打ち明けた。


「実は、さっきモモソヒメたちから神託のことを聞いてきてな――」


 話し終えると、トメタマとタケルが口々に感想を述べた。


「神の言葉じゃなかったなんてね。さすがに驚いたよ」


「巫女ってのは、いちばん罰当たりなんじゃねえの」


「姉上が大神に好かれているのは間違いないからな。言葉は選んだ方が身のためだ」


 イサセリの苦笑まじりの忠告に、タケルは鼻を鳴らした。


「いいんだよ。俺はイヌカイ族だからな」


「イヌカイ族って何を信じてるの?」


 トメタマが尋ねた。


「んー、全部だな。砂にも、海にも、空にも、風にも、木にも――あらゆるものに神が宿ってんだ」


「砂に意思なんてないでしょ」


 疑わしげなトメタマに、タケルは足を激しく動かした。


 イサセリの足に砂がかかる。


「いや、そういうことじゃねえんだよ! あー、なんていうか、うまく言えねぇけど……。すべてのものと一緒に生きてるのが、俺たちってことだよ」


「ふうん」


 この流れで聞こうとイサセリは思った。


「サルメ族は、導きの神を信仰していたんだったな」


「……モモソヒメ様からは、何も?」


「ウメのことはウメに聞けと言われてな」


 沈黙が続く。


 タケルとトメタマは空気が変わったことを察したのか、示し合わせたように口を閉ざした。


 ウメは空を見つめ、それからゆっくりと言葉を紡ぎはじめた。


「私は最初から、()()()()()()()()()()()()のです」


 三人は静かに耳を傾けた。


「サルメ族は、ヤマトの南に住まう巫女の一族です。一族と言っても、血のつながりはありません。巫女の才がありそうな子どもを各地から集めてきて、教育するのです」


「では、ウメも……」


「はい。私も、実の親や故郷を知りません」


 ウメの声は感情を削ぎ落としたように平坦だった。


「私たちサルメ族のお役目は、歌と踊りで歴史を伝えること。今回も……イサセリヒコ様の旅について記すために、お供するよう言い渡されました」


「そうか」


 イサセリはウメから視線を外し、空を見上げた。


 先ほどと変わらぬ穏やかな青さが広がっていた。


 ウメもまた、誰かに定められた役目を背負う身だった。


 イズモへ向かう前、これは己の意思だと強く訴えた彼女の気持ちが、今になって理解できた。


「しかし」


 イサセリは言葉を区切り、ウメと出会った時のことを思い返した。


「私とワカタケがマイコにたどり着いたのは、まったくの偶然だった。なのに、ウメは何日も前からマイコの集落にいたと言っていたな。


 あれが本当のことだとすれば、どういうしかけなんだ?」


「もし別の道を通られていれば、別のサルメ族とお会いになっていたことでしょう」


「つまり、至るところにサルメ族の巫女が配置されていたと?」


「そうです。私がいた場所は備えの、さらに備えのような所でした。本来であれば、私よりもずっと優秀な巫女が付き添うはずだったのです」


 ウメとの出会いは仕組まれていた。


 だが不思議と、悵然とした気持ちは湧かなかった。


 その計らいの中にさえ、偶然は息づいていたのだから。


「初めて、ほんの少しだけ、大王に感謝したいと思ったよ」


「なぜですか」


「漂流したおかげでウメと出会えたのだから。ワカタケもきっと同じことを言うはずだ」


 イサセリの言葉に、タケルが勢いよく頷いた。


「そうだぜ! 堅苦しい巫女なんかじゃ一緒にいたっておもしろくねえよ!」


「俺も同感。ウメさんとだから楽しかったんだ」


「みなさん……」


 ウメの声が震え、目尻が光った。


「ありがとうございます」


 ウメの感謝の言葉に、三人は照れくさそうな笑みを返した。


 海鳥の羽ばたく音が聞こえた。


「それで……みなは、これからどうするつもりだ?」


 イサセリの問いに、トメタマが真っ先に答えた。


「俺はフトニとの戦に加わるつもりだよ。物資の調達で協力する。間接的にでも、復讐できる機会があるなら乗らない手はないよ」


「そうだよな。タケルは?」


「んー、いずれは山に帰るけどよ、まだしばらくは、イサセリに付いて行きてぇ!」


「私に?」


「ああ。おまえのそばにいると、おもしろいことばっか起きるからな!」


「これからは、そうではないかもしれないぞ」


「なんでだ?」


「ウラから提案があってな。アシ川の東に土地をくれるそうだ」


「へえ、気前がいいね」


 トメタマが感心したように言った。


「ワカタケも一緒でいいと言っていたが、どうする? ウメも残るか?」


「え?」


「ワカタケと離れがたいのではないか?」


「でも、私……」


 言葉を詰まらせるウメに、イサセリは自分の経験を語ってみることにした。


「もう何年も前のことだが、私は妻と死別していてな」


 タケルが大声を上げた。


「え! イサセリ、嫁がいたのかよ!」


「三ヶ月だけな。……彼女を失って思い知ったよ。大切な人とは、できる限り長く一緒にいるべきだってな。


 だから、もし一緒にいたいなら、どんなことがあろうと己の気持ちには素直に従った方がいい」


「私の気持ち……」


 ウメの長いまつ毛についた水滴が、風に揺れていた。


 波の音と港の喧騒が混じりあう中、トメタマが静かに声を上げた。


「イサセリさんは、フトニとの戦に参加しないの?」


「姉上には参加する必要はないと言われたが――」


 言葉を一度区切ってから、イサセリは強く言い切った。


「行くつもりだ」


「おっ!」


 タケルの声が弾んだ。


「大王と……父と向き合わなければ、私の旅は終わらない気がするんだ」


 モモソヒメやウラの言葉を聞いて迷っていたのは、キビに残るかどうかということだけだった。


 大王と戦うことは、既に心に決めていた。


 この身にあの人の血が流れている。


 だからこそ、自分が戦わねばならないと思った。


 大切な人たちを傷つけた彼を許すわけにはいかない。


 それと同時に、もし叶うのならば、父が何を考えて生きてきたのか、イサセリたち兄弟のことをどう思っているのか、彼の口から直接聞いてみたかった。


 決意を胸にイサセリが立ちあがろうとしたまさにその時、下女の一人が青ざめた顔で駆け寄ってきた。


「みな様! ワカタケ様が!」


 イサセリたちは大急ぎで邸へ戻った。


 邸の門前では、モモソヒメとアズキが邪気払いの儀を執り行っていた。


 部屋に飛び込むと、ワカタケの体が弓なりに反り、手足が激しく震えていた。


 イサセリは下女と代わって跳ねるワカタケの体を押さえつけた。


 弟の体は、何か見えない力に操られているかのようだった。


「ワカタケ! しっかりしろ!」


 意識のないワカタケに何度も呼びかける。


 声が届くと信じて、何度も、何度も――。


「何か、何か手はないのか!」


 タケルは取り乱しながら、ウメの肩を掴んだ。


「必要な薬草は? あれば取ってくる!」


 だがウメは入り口で膝を折り、ただ俯いていた。


「ウメ!」


 タケルに肩を揺さぶられ、ウメはやっと声を絞り出した。


「必要な薬は……すべて煎じてあるのです。もう薬では……。あとは、ワカタケの体力がもつことを祈るしか……」


「そんな……!」


 イサセリの喉が震えた。


 このままワカタケを失うなど、考えられない。

 大王を倒したところで、何の意味がある。


 恐怖が全身を覆い、目の奥が熱くなった。


 イサセリは力の限り叫んだ。


 黄泉の国へ渡らんとする弟を引き留めるように。

 この世につなぎ止めるように。


「ワカタケ、いくな! もどってこい、いくな!」

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