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【完結】地つなぐ者  作者: 駿河晴星
第八章 イズモ

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第八章 イズモ(四)

 矢はフルネの右腕を貫いた。


 呻き声が漏れ、銅剣が岩上に落ちる。


 太鼓と銅鐸の音が途絶え、祭祀場は静寂に沈んだ。


 しかしそれは一瞬の出来事にすぎなかった。


 戦々恐々とした声が次第に膨れ上がる。


 周囲を警戒する者、フルネに駆け寄る者、矢に怯え頭を抱える者――。


 その統率の取れていない様子から、イサセリは彼らが兵士でないことを見抜いた。


 イサセリは冷静に的を絞った。


 まだ銅剣を握っている者たちの腕を、次々と射貫く。


 その正確な仕事ぶりにタケルは口笛を吹き、楽しげに笑う。


 それから相棒のツァーマに声をかけ、一気に祭祀場へ駆け下りていった。


 タケルが岩場に足をかける頃には、銅剣を持っていた者のほとんどが武器を手放し、谷間の下へと逃げていた。


 イサセリは道案内の兵士を残し、坂を下りた。


 砂埃の向こうで、フルネが無傷の左手に銅剣を握り締めていた。


「ワカタケ!」


 イサセリが声を張り上げるのとほぼ同時に、剣先がワカタケの胸へ向かう。


「起きろ!」


 轟く絶叫。


 その瞬間、ワカタケが身を捩った。


 体勢を崩し、石の台座から転げ落ちる。


「ワカタケ!」


 慌てて駆け寄ったイサセリは、弟のそばに屈んだ。


「おまえ、なんで……」


 ワカタケは目を白黒させている。


 事態が飲み込めていない様子だった。


 立ちあがろうとして顔を顰めた。手で腹を押さえている。


「痛むのか」


 よく見ると、ワカタケの顔や手足には、青黒い痣が点々と浮かんでいた。


 右のみずらは切り落とされ、後ろの束ね髪は乱れて肩に張り付いている。


 艶を失い、所々縺れた髪は枯れ草のようだ。


 伸びきった左のみずらだけが、昔の面影を残していた。


 イサセリは怒りに震えた。


 ゆっくりと立ち上がり、台座の向こうのフルネと対峙する。


「おまえは何者だ?」


 フルネの声は凛として重かった。


 解いた帯で右腕の血を止めていたが、痛がるそぶりは微塵もない。


 その眼光には、戦い慣れた武人の凄みがあった。


 イサセリは負けじと睨み返した。


「ヤマト族の王子、イサセリ」


 フルネは片眉をわずかに上げた。


「トメタマだけ寄越したかと思ったが、気弱と評判の王子がここまで来るとは意外だった」


「弟は返してもらう」


 イサセリの剣幕に、フルネは鼻を鳴らした。


「あの大王の息子が、兄弟愛を語るか」


「あなたも同じだろう。一人は命を奪い、一人は幽閉した」


「違う!」


 フルネは額に青筋を立てた。


 顔に落ちた影の中で白目だけが浮かび上がっていた。


「イリネはイズモを危険に晒した。カラヒサは見て見ぬふりをした。奴らに罰を与えるのは、首長たる私の役目。すべてはイズモのためだ」


「カラヒサたちはヤマトと協力したいと考えていたはずだ。和平を探っていた人たちを、なぜ切り捨てる?」


「和平だと?」


 フルネは目を細め、銅剣を渾身の力で振り抜いた。


 石の祭壇に叩きつけられた剣は、ひびが入り真っ二つに割れた。


「お前も、あいつらも、何もわかっちゃいない! ヤマトはイズモの良いとこ取りをしたいだけだ!


 我らの交易力、技術力、軍事力! すべてを吸い尽くしたあと、捨て去るに決まっている!」


「そんなことっ」


 反論しかけて、イサセリは言葉を失った。


 大王フトニなら、ありえないとも言い切れなかった。


「イズモを守る。私はそのためだけに生きてきた。それなのにイリネ、あいつはよくも……」


 神宝を奪われた記憶が蘇ったのか、フルネの拳が震えていた。


 右腕の帯に血が滲んでいる。


「イズモはヤマトに屈しない。これはイズモの総意――」


「とは限りませんよ?」


 声は下方から響いた。


 イサセリが目を向けると、カラヒサが立っていた。


 彼の背後には百近い兵が整然と並び、その中にはトメタマとウメの姿もあった。


 イサセリと目が合った二人は、こちらに駆け上がってきた。


 ウメは涙を流しながらワカタケを抱きしめ、黒く光る練り薬を打ち身の箇所に塗っていった。


 祭祀の参加者の胸ぐらを掴んでいたタケルが、トメタマに声をかける。


「早かったな」


「カラヒサさんがみんなを説得して、すぐに船を出したんだ」


 イサセリは胸が熱くなった。


 イサセリたちが走り続けている間に、カラヒサは里の人々の心を動かしていたのだ。


 フルネは低く唸った。


「カラヒサよ。おまえはどちらの助太刀に来たのだ。答えようによっては、許さんぞ」


 カラヒサは一度目を瞑り、それから、覚悟を決めた目でフルネを見上げた。


「兄上。この兵を見てわかりませんか」


 両手を広げ、カラヒサは続けた。


「すでに人心は動いています。みな平和な世を望んでいるのです!」


「あほうどもめ。平和な世などありはしない。漢の国が今まさに戦乱の世に入ろうとしているのがわからんか。


 その波は必ずカン半島、そして海を越えてイズモにも及ぶ。平和などという偽りの戯言を信じた者から滅んでいくぞ!」


「だからこそです!」


 カラヒサは激高して叫んだ。


「戦乱の世がやってくるからこそ、巻き込まれても耐えられるよう、小が集まって大きな塊とならねばなりません!


 その期を逃すものこそ、時代遅れのうつけ者です!」


 カラヒサの言葉に兵士たちも頷いた。


 イサセリはフルネを盗み見た。


 相変わらず厳めしい顔つきだったが、その目からは何かが抜け落ちているようだった。


 しかしすぐにフルネの眼光は鋭くなった。


「うつけ者はおまえだ!」


 フルネは地面に落ちた銅剣を手に取ると、斜面を駆け下り、カラヒサに向かっていく。


 カラヒサは腰の鉄剣を抜いて迎え撃つ。


 剣のかち合う音が谷間に響く。


 フルネは年を感じさせない剛腕な剣筋だった。


 ワカタケを刺そうとしていた右手が利き手だろうに、左手でも確実にイサセリより強かった。


 しかし、流れるように剣を振るうカラヒサの技量には届かなかったらしい。


 倒れたのはフルネだった。


「兄上」


 カラヒサは倒れていくフルネの体を支えた。


 イサセリは斜面を滑るように下り、二人の近くに寄った。


 フルネはすでに虫の息だった。


 力なく濁った目で、弟と兵士たちを見上げ、一言――。


「イズモを、守れ」


 それだけを言い残し、フルネは静かに息を引き取った。

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