第八章 イズモ(一)
ワカタケについて手がかりを得たイサセリは、すぐにタケルたちに知らせた。
ウメの口から嗚咽が漏れる。
タケルは眉間に深い皺を寄せた。
「場所はわかって良かったけどよ、ワカタケは無事なんだろうな」
「おそらく……」
それ以上の答えをイサセリは持ち合わせていなかった。
フルネの弟カラヒサが残した文字には、ワカタケの様子を示すものは何もなかったから。
ただ書かれていないということは少なくとも、布を持ってきた少年がイズモを離れるまでは、命の危険はなかったはずだ。
タケルが続ける。
「で? 当然助けに行くんだよな?」
「ああ」
タケルの横に立っていたトメタマが一歩前にでた。
「イズモの里には商売で何度も足を運んでいるから、道案内できるよ」
真剣な面持ちで提案する旧知の友に、タケルが鋭い眼差しを向けた。
「そんなこと言っておまえ、また俺たちを洞穴に閉じ込めるつもりじゃねえだろうな」
「やめてよ、俺はもう改心したんだ! 二度と……二度と裏切ったりなんかしないよ」
言葉尻を萎ませるトメタマの肩を、タケルは勢いよく掴んだ。
「冗談だろ? わかってるよ」
二人のやり取りを耳にしながら、イサセリは視線をウメに向けていた。
俯いたまま動かない小さな顔を覗き込む。
「ウメはどうする?」
「行きたい、です。足手まといかもしれませんが」
「いや、ワカタケが怪我をしているかもしれないからな。ウメの薬草の知識は必ず役に立つ」
「イサセリヒコ様、私……」
イサセリを見上げたウメの目は、磨き上げられた黒曜石のように深く輝いていた。
何か言いたげなその表情に、イサセリはゆっくりと頷いてみせた。
彼女が何かを隠していることには、もう気づいていた。
ただ、そのことを無理に追求するつもりはなかった。
「ワカタケを助けたら、ゆっくり話をしよう」
「はい……。私は、心の底から行きたいのです。これは私自身の意思です。それだけは、いまお伝えしておきたくて」
首長の部屋に戻ろうとしたイサセリだったが、モモソヒメとウラは会談中らしい。
彼女たちの話が終わるのを待つ間、港にいるネホコを訪ねることにした。
キビの里は、やはり広大だった。
春の暖かな陽気の中、田畑では里人たちが忙しなく働いていた。
陽はすでに中天に近くなっている。
姉上たちの会談は、いつまで続くのだろう。
荒起こし、麦の生育具合の観察、草むしり、水路の点検など、いつも通りの暮らしを営む里人たちの日常が、今は妙に遠く感じられた。
港に近づくほど活気は増していく。
潮の香りと魚を干す匂いとが混ざり合い、イサセリの鼻をくすぐった。
潮待ち・風待ちの港として栄えるキビの浜辺付近には、海人たちの宿や、積荷を守る高床の倉庫が立ち並んでいた。
浜辺を駆ける子どもたちや異国の言葉を交わす商人たち、荷役の人々の声が響き合う。
その喧騒をかき分けるように、ネホコの怒声が港に轟いた。
「おい、そっちじゃねぇ! 奥の船だ! 間違んじゃねぇよ!」
彼の気性の荒さに慣れているイサセリは、ためらわず歩み寄った。
「ネホコ」
イサセリの姿を認めたネホコは、びっしり生えた髭の下で唇を横に引き、両腕を広げた。
「おう、イサセリ。また胸が必要か?」
イサセリの頬が熱を帯びた。
「いらないよ! 私はもう成人したのだから」
ネホコの最後のサヌキ訪問は三、四年前。
イサセリが成人する前のことだった。
「まあ、見た目は変わったみてえだが、さっき飛びついてきたのはどこのどいつだぁ?」
「先ほどは寝ぼけていたんだ」
「はん。そういうことにしといてやるよ」
気恥ずかしくなったイサセリは、海の方を向いた。
懐かしい波の音だった。
「ネホコはイズモにも行ったことある?」
「……行くつもりか?」
「行く」
ネホコは乱暴に尻をかいた。
「北海は俺の領域外なんだよな。だが、フルネには会ったことあるぜ」
「イズモの首長?」
「ああ。ツクシで商売してる時に何度かな」
ツクシは西方にあり、大陸に最も近い地域だ。
その地の利を活かし、大陸の新しい技術をいち早く取り入れているという噂を耳にしていた。
「イズモはツクシと仲が良いのか」
「まあな。イズモとしては、ヤマトとツクシが手を組むことだけは絶対に避けたいのさ」
ネホコは浜を歩きはじめた。
海人たちに指示を出しつつ、話を続けた。
「今はな、ツクシに着いた商人たちは北海回りと瀬戸の内海回りに分かれる。だが、もしヤマトがツクシと手を組んだらどうなる?」
「……瀬戸の内海の経路が主流になる」
「その通りだ。そしたら北海の交易は廃れちまうだろう? だからフルネはツクシに掛け合って、ヤマトへの協力を控えるよう頼んでたんだ。しかしだ」
ネホコは浜に打ち上げられた一つのハマグリを拾い上げた。
砂に埋もれて朽ちかけた殻は、かすかに開いており、ネホコが軽く力を入れただけで二枚の貝殻に分かれた。
「フルネと違って、ヤマトと協力したいって奴らもイズモにはいたわけだ」
「それがイズモで内紛が起きた理由……」
「モモソたちも当てにしてた奴が殺されて、てんやわんやだろうな」
「当てにしていた?」
イサセリは眉をひそめた。
「おっと、まだ聞いてなかったか」
「ネホコは知っているのだな。姉上がここにいる理由を」
「モモソが乗ってきたのは俺の船だからな」
辺りを見回すと、海人や里人の中に、どこか異質な雰囲気の人々が紛れていた。
彼らの鉢巻には、目を引く独特な文様が縫い込まれている。
茜色の円が一つと、円の右下に刺さるような濃紺色の形が一つ。
山形の大地にあたる部分を内側にくぼませた形で、角はすべて鋭く尖っている。
かつてモモソヒメから、それは太陽に向かって飛ぶ烏を表すのだと教わったことがある。
ヤマト族を示す文様だった。
「彼らはヤマトの兵士だな」
剣と鎧を身に付けてはいないものの、その正体は明らかだった。
サヌキには宮女や祝はいても、兵士は常駐していなかった。
彼らは、ヤマトの地からやってきたに違いない。
「知りたきゃ、モモソから教えてもらえ」
「わかっている」
なぜモモソヒメやヤマトの兵がキビにいるのか。
キビの首長と仲が良さそうなのか。
神託とは、一体なんだったのか――。
様々な疑問がイサセリの中で渦巻いていた。
しかし、それら全てを忘れようと努めた。
今はワカタケのことだけに集中したかった。
「弟を助けたら、必ず聞かせてもらう」
商人たちの船が次々と出港していく。
潮時を逃すまいとする者たちの慌ただしい動きが、イサセリの焦燥感を煽る。
姉上たちの会談は終わっただろうか。
「武器や防具、旅に必要なものなら用意してやるぜ」
「ありがとう。ネホコも、もう旅立つのか?」
「いや、しばらくはキビにいるさ。だから、さっさと弟を救ってこい」
ネホコは鱗形の入れ墨が刻まれた大きな手でイサセリの頭を乱暴に撫でると、海人たちの元へ戻っていった。




