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【完結】地つなぐ者  作者: 駿河晴星
第七章 キビ

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第七章 キビ(四)

 体を揺さぶられる感覚がした。


 あれほど重かった瞼が今なら開く気がして、イサセリは目元に力を入れた。


 かすんだ視界の向こうに、髪の長い人が座っているのが見えた。


 モモソヒメだった。


 なんだ、また夢か。


 そう思って、再び目を閉じようとした時――


「イサセリ」


 懐かしい声が耳元で響いた。


 イサセリは狼狽して体を起こした。


「こら、そんな急に起き上がらないの」


 イサセリの背を支えるモモソヒメの手は温かい。


 夢ではなかった。


「姉上、ここはサヌキですか?」


「何言っているの。キビよ」


「なぜ、姉上がキビにいるのですか」


 イサセリは部屋を見回した。


 床と左右の壁は板張りだった。


 正面は外に通じているのだろうか、垂らされた麻布が風で揺れるたび、光がイサセリの顔を照らした。


 隣には畳まれた敷布が二つ。


 モモソヒメのほかに人影はなかった。


 部屋の外から板の軋む音が聞こえた。


 麻布の奥に人影が浮かび上がる。


「どうだ?」


 麻布と柱の隙間から姿を見せたのは、全身に刺青を施した大柄な男――海人あまのネホコだった。


 ネホコの顔を見た途端、イサセリの感情が爆発した。


 よろめきながら立ち上がり、ネホコに駆け寄って抱きついた。


「おいおい、すっかり男になったと思ったが、まだガキか? イサセリは」


 なんと言われてもよかった。


 ただ、懐かしい厚い胸板に顔を押し付け、咽び泣いた。


 背中を強く叩かれても、イサセリは気が済むまで離れようとしなかった。





 イサセリが腫れた目に冷布を当てていると、タケルとトメタマが部屋に入ってきた。


 トメタマの背後に隠れるようにして、ウメもいた。


 イサセリは夢の内容をはっきりと覚えていた。


 だから、彼らの顔を見た瞬間、安堵の息を漏らした。


「ウメ、もう大丈夫なのか」


 イサセリの問いに、モモソヒメは呆れたように笑った。


「何言っているの。ウメは一日で目を覚ましたわよ」


「私はどのくらい眠っていたのですか」


 タケルが答える。 


「丸三日だ」


「三日も……」


 長旅の疲れが一気に噴き出たようだ。


 喉が渇き水をもらっていると、突然床を叩くような大きな音が響いた。


 トメタマが竹籠を床に置いた音だった。


「荷を取り返せたのだな」


「うん。いくらか中身を抜かれていたけど、ウラさんが補填してくれるってさ。外商人のネホコさんも紹介してもらったしね」


 ネホコは仕事があると言って、先に部屋を出て行った。


 港で手際よく采配を振るう彼の姿が思い浮かんだ。


 タケルが得意げに言った。


「イサセリの鉄剣も取り返せたぜ」


「世話をかけたな」


 礼を言うと、タケルは照れくさそうに頭を掻いた。


「落ち着いたら、首長の部屋へ行きましょう」


 モモソヒメはふんわりと微笑んだ。


 一見、慈悲深く見える笑みだが、温かみは感じられない。


 今のモモソヒメは姉ではなく、ヤマトの巫女なのだとイサセリは悟った。


 顔を洗い、濡れ布で体を拭いた。


 ネホコが用意した漢服に着替えたイサセリは、下女の案内に従って、モモソヒメと共に部屋を出た。


 首長の部屋は三棟並ぶ建物の中央、ひときわ大きな高床造りの二階にあった。


 階段を上っていくと、甘く不思議な香りが漂ってきた。


 イサセリは、なんだか懐かしい気分になった。


 初めて嗅ぐはずなのに、幼いころ、森の中で寝そべっていた時の記憶が蘇った。


 階段を上がりきると、香りはより濃くなった。


 左側が部屋の奥だった。


 高座には、キビの首長と妻アズキの姿があった。


 首長の容姿にイサセリは驚きを隠せなかった。


 なるほど、物の怪と呼ぶ者の気持ちも理解できる。


 間戸まどから差し込む陽光に髪は赤く透け、琥珀色の目は輝いていた。


 眉の骨は角張っており、鼻が高い。


 座っているだけでも、ネホコに劣らない体格の良さが窺えた。


 横に座る成人前のアズキと比べると、その大きさは一層際立って見えた。


 イサセリとモモソヒメがスゲで編まれた円座に腰掛けると、首長が口を開いた。


「キビ族の首長をしているウラだ」


「ヤマト族のイサセリです」


 イサセリが丁寧に頭を下げると、ウラは大らかな笑みを浮かべた。


「そうかしこまるな。イサセリとは同い年だと、モモソヒメから聞いている」


「え?」


 イサセリが目を丸めていると、ウラは前のめりになって笑い転げた。


 アズキに


「もう!」


 と背中を叩かれる彼の姿に、イサセリの緊張が解けていく。


「イサセリはすぐに顔に出るのだな。もっと老けているとでも思ったか」


「いや……あなたは」


「ウラでいい」


「ウラは、くにの生まれなのか?」


「何代か前はそうらしい」


 ウラは後ろで一つに括った髪を前に持ち、指で梳いた。


「俺は祖先の血が濃く出たんだ。親父はイサセリたちと同じような色だったんだけどな」


「そうなのか」


 静寂が漂う。


 イサセリは乾いた唇を舐めてから、頭を下げた。


「キビの兵士の命を奪って、申し訳なかった」


 兵士を斬った時から、キビの首長に会ったら謝ろうと決めていた。


 相手が仕掛けてきたとはいえ、民の命を奪ったことは事実だったから。


 恐る恐る顔を上げると、ウラもアズキも穏やかな表情で、怒りの色は微塵も感じられなかった。


「話はサンたちから聞いた。気にするな。あいつらは自業自得だ」


 アズキも深く頷いた。


「サンとは?」


「洞穴にいた時、面倒を見ていた白髪まじりの兵がいただろう」


 イサセリは壮年の兵士の顔を思い出した。


「彼はサンと言うのか」


「イサセリとも話したがっていたから、また後で顔を見せてやってくれ」


「ああ」


 イサセリの表情が晴れないのを見てか、ウラが言葉を継いだ。


「四人のことは本当に気にするなよ? むしろヒサシを排除する良い機会をもらったんだからな」


 ヒサシ――トメタマに話を持ちかけた里長だ。


「罰したのか?」


 ウラは唇の端を歪めた。


「今ごろ、魚の餌になっているだろうよ」


 気さくな態度の裏に、統率者としての冷徹さも垣間見えた。


 ヒサシはなぜウラを敵に回したのだろう。


 並の人では勝てるはずがないのに。


「ところで」


 ウラは胡座の膝に頬杖をついた。


「聞かないのか? なんでモモソヒメがここにいるかとか」


 イサセリはモモソヒメを見やる。


 薄く笑みを浮かべたその横顔からは、何の感情を読み取ることもできなかった。


「いや、聞きたかったが、謝るのが先だと思ってな」


 イサセリの回答にウラはまた吹き出した。


 笑い上戸な人だ。


「真面目なやつだな! イサセリは」


「そんなことはないが……。それで、話してくれるのか」


 ウラは楽しげにモモソヒメと視線を交わした。


「さあて、どこから話したものか。なあ、モモソヒメ」


「そうですね」


 二人は悪巧みをしている子どものような笑みを浮かべている。


 どんな話を聞かされるのか。


 イサセリは緊張しながらも、どこか胸を弾ませていた。


 しかし、その期待は、階下から聞こえた大声でかき消された。


「おい、ウラ!」


 階段を踏む重い足音が響いてくる。


 姿を見せたのはネホコだった。


 彼の顔には焦燥が浮かんでいる。


「何があった?」


 ウラが身を乗り出した瞬間、ネホコは握りしめていた布を投げ渡した。


 布は高座の前、ウラとイサセリの間に落ち、ゆっくりと広がった。


「これは?」


「イズモから来たガキが持ってきたんだとよ」


「イズモから?」


 ウラは高座から下り、重なり合った布を手に取って広げた。


 布は薄汚れて所々破れているものの、男物の上衣とわかった。


 その布一面に、血のような黒い染みで漢の文字が所狭しと記されていた。


「なんと……」


「これは……」


 漢の文字を読めるウラとモモソヒメは、ほぼ同時に絶句した。


「持ってきた子どもはどこにいる?」


 ウラは素早く立ち上がり、ネホコとともに階下へ向かう。


 アズキもそれに従った。


 取り残されたイサセリは、モモソヒメに漢の文字の意味を尋ねた。


「何と書かれているのですか」


 モモソヒメは眉を寄せる。


 もともと白い顔がさらに青白くなっていた。


「イズモで内紛が起きているそうよ」


「イズモで? なぜそんなことが……」


「イズモ首長の弟君が、大王フトニにイズモの神宝を渡してしまったらしいの」


「神宝を?」


 神宝とは、各一族に伝わる宝物で、代々の首長が守り継いできた秘宝だ。


 これを他族に渡すことは、その一族が他族に降伏することに等しい。


 ヤマト族の神宝である勾玉も、ヤマトの地で厳重に保管されているはずだ。


「イズモの神宝といえば、確かつるぎでしたか。イズモはヤマトに平伏したということですか?」


「いいえ、そうではないの。首長のフルネは了承しておらず、渡した弟を殺してしまったらしいわ」


 だろうな。


 厳しい処罰ではあったが、イサセリはすぐにフルネの行動に理解を示した。


 それほどまでに、神宝は門外不出のものなのだ。


 むしろ不可解なのは、神宝を手放したフルネの弟の行動だった。


「この文字を書いたのは、フルネのもう一人の弟よ。幽閉されているらしいけれど、殺された弟の息子を逃してこれを託したみたい。それと……」


 モモソヒメは言葉を途切れさせ、布の端を細い指で強く握った。


「ヤマトの王子みこが共に捕らえられている、と」


 姉の言葉の意味を理解した瞬間、イサセリの背筋を冷たいものが走り抜けた。


「まさか……」


 捕えられているヤマトの王子みこ


 他に誰がいる?


 答えは一つしかなかった。


 ワカタケだ。

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