第六章 背信(四)
ひとしきり泣いたトメタマは、イサセリをキビに売った本当の理由を打ち明けた。
トメタマの話は、彼が七歳の頃まで遡った。
「トトリ族は行商人として、各地を転々としている人がほとんどなんだけど、本拠地はタジマにあるんだ」
タジマといえば、ハリマのずっと北にある地域で、北海に面している。
「母の妊娠をきっかけに、俺たち家族はタジマへ帰ることになった。父と母、それに三つ上の兄と一緒だった」
「兄貴がいたのか」
タケルが息を呑んだ後、呟くように言った。
トメタマと付き合いが長い彼でさえ、初めて聞く話らしい。
「うん。優しい人だった。でも……」
トメタマは言葉を切り、膝の上で握りしめた手をじっと見つめた。
声が震えるように小さくなった。
「父と一緒に殺されてしまったんだ。大王の兵にね」
イサセリは瞠目した。
「西からタジマへ向かう道中、大きな水海があるんだ。トトリ族に深い縁のある場所だから、俺たちは寄っていくことにした。そこで、フトニたち一行と遭ったんだ」
「どのくらい前のことだ」
イサセリが声を潜めて尋ねた。
「えっと……七、八年前かな」
ちょうどフトニが大王の位を継承し、ヤマトからムキへ帰還した時期と重なる。
「フトニたちは、水海で水鳥を乱獲してた。食べるためならまだしも、その時の兵士たちはただ狩りを楽しんでいるだけで、不必要に命を奪っていたんだ。
トトリとして、父はそのことが許せなかった」
「立ち向かわれたのですね」
ウメの言葉に、トメタマはゆっくりと頷いた。
「でも、奴らは腐っても兵士だ。父は剣であっけなく斬られた。俺たちは急いで逃げたけど、兵士たちはしつこく追いかけてきて……。
結局、タジマに戻れたのは、母と俺だけだった。母はそれから気を患って」
トメタマの声が掠れた。
「母の股から血が溢れ出して、それで――」
イサセリは哀れな少年の手を握った。
「もういい。もうわかったから」
トメタマが裏切った理由。
それは、イサセリが憎むべきフトニの息子だったからだ。
「……初対面からワカタケを嫌っていたのは、彼の顔立ちが大王に似ていたから、そうだな?」
「そうだよ。でも……でも俺、イヌカイ族の洞窟を出た時は、本当に力になるつもりだったんだ!」
トメタマは眉を下げ、強く訴えた。
「フトニの息子だって言っても、イサセリさんはずっと離れて暮らしていたみたいだし、ワカタケさんだって……。
ウメさんと話しているのを聞いちゃったことがあるんだけど、あんまりフトニに目をかけてもらえてなかったらしいから。
むしろ、二人も俺と同じ、フトニの被害者かもしれないって思ってた」
「なぜ意見が変わったのだ?」
トメタマは外に立つキビの兵士に視線を向ける。
声量を落として、話を続けた。
「キビに商売に来た時、ある里長に聞かれたんだ」
トメタマは声を震わせながら続けた。
「ヤマトの神託にあるトリとはお前のことじゃないか、って」
「そうだ、と答えたのか?」
「ううん。知らんぷりした。でも、そいつが言うんだ。我らキビを敵に回し、フトニに手を貸すつもりではなかろうな、って。
俺、その時改めて神託の意味を考えて、イサセリさんに手を貸すってことは、フトニにも手を貸すことになるんだなって気づいた」
「そんなこと!」
ウメが身を前に乗り出す。
手が滑って地面に額をつきそうになったため、イサセリとタケルが慌てて支えた。
「しっかりしろよな」
呆れた表情を浮かべるタケルの横で、イサセリはウメに問いかけた。
「急にどうしたのだ?」
「いえ……。その、神託通りにすることが、必ずしも大王の利益に繋がらないのではないかと……そう考えただけです」
「そうだろうか? この神託はキビ攻略に悩んだ大王が姉上に頼んだ結果、得たものなのだ。手を貸すことになるかもしれない、というトメタマの心配はもっともなことだろう」
「それは、そうですね」
ウメは煮えきらない返事のまま、引き下がった。
その表情には、何か言いたげな暗い影が差していた。
イサセリは一瞬問いただそうとしたが、今はトメタマが優先だと判断して視線を戻した。
「謝って済むことではないが、ヤマト族を代表して謝罪させてほしい。申し訳なかった」
イサセリは胡座をかいた両膝に手を置き、深々と頭を下げた。
「やめてよ。イサセリさんが悪いわけじゃないんだから。俺だって本当はわかっていたんだ。筋違いな復讐だって。
でも、もしこれでフトニが苦しむなら、って思っちゃった……ごめんなさい」
トメタマも頭を下げた。
「でもよぉ」
後頭部で手を組んだタケルが、唇を尖らせた。
「イサセリをキビに引き渡したら、ヤマトの大王が望んだ通りになっちまうって思わなかったのか?」
「え?」
トメタマはきょとんとした顔になった。
「だって神託の内容は、俺たち三人の一族を探してキビへ行けってやつだろ? キビに連れて行ったら神託通りじゃん」
「そりゃあ、言葉そのままに受け取ればそうだけど、ただキビに行ったからってヤマト族の力になるわけないじゃん。
サル・イヌ・トリ、それぞれの勢力を味方につけてキビに攻め入れってことでしょう」
「え?」
今度はイサセリが素っ頓狂な声を上げる。
頭の中が真っ白になった。
「え、って何? イサセリさんまで、言葉そのままに考えていたわけじゃないよね?」
「いや、その……」
イサセリは黒目を左右に細かく動かした。
自分の解釈の浅はかさに気づき、顔が熱くなるのを感じた。
「あまりにも順調にいっていることが恐ろしくて、この後どうすればいいかまでは……」
しどろもどろのイサセリに、トメタマは口をあんぐりと開いた。
「なんでイサセリさんが神託で選ばれたんだろう……」
「それは俺も聞きたい……」
洞穴内に沈黙が落ちた。
みな、お互いの顔を見合わせ、それから、誰からともなく笑い出した。
高笑いではなく、こらえきれなかった息が漏れた笑い方だった。
トメタマの表情が、晴れやかなものに変わっていた。
「ワカタケさんの足取りは本当に消えていたんだ。もっと北の方で、だけど。予定通りムキに向かっていたみたい。でも、突然消えちゃって」
肩を落とすトメタマを、タケルが冷やかした。
「おめえ、俺はトトリだから探せるって威張ってたくせにな」
確かに、出発前のトメタマは随分と自信満々だった。
トメタマは唇を尖らせた。
「普通はね。雪山を旅する人なんて少ないし、焚き火の跡でも追っていけば十分だと思ったんだ」
ウメが大きな目を伏せて言った。
「では、やはり彼に何かあったのかもしれないのですね」
「うん……」
北に向かっていたのであれば、大王の軍と合流したのだろうか。
大王自身がまだ帰還していなくとも、ムキにはサヌキに連れてこなかった兵士や部下が残っていたはずだ。
彼らの迎えが来たとも考えられるが……。
イサセリは、楽観的な考えだ、と頭を振った。
木々が芽吹く頃になっても、ワカタケの消息はまったく掴めなかったのだ。
もし誰かに攫われたのであれば、最悪の場合は――。
「争ったような形跡はなかったのか?」
「うん。ムキへの道にはね。正直、イサセリさんたちの心配しすぎのような気がして、深く追わなかったんだ。
野営の跡を見たら旅慣れしている人のものだったし、足取りは消えたけど、きっとあの人なら無事ムキに付いているだろうって……ごめん」
「いや……」
冬の山を恐れ、トメタマで任せっきりだったイサセリに、彼を責める資格はなかった。
「一つ聞きたいのだが」
イサセリは格子の外にいる壮年の兵士に近づいた。
ウメに上衣の裾を引っ張られたが、構わず質問を続けた。
この兵士であれば、話が通じるような気がしたのだ。
「キビに物の怪がいるというのは本当だろうか」
「物の怪?」
壮年の兵士はイサセリの方に体を向けた。
「キビ川に至る集落で、ある噂を聞いたのだ。キビにはオオカミのような金色の目と赤い髪を持った巨大な物の怪がいて、人を攫うって」
「違います、イサセリヒコ様。物の怪と人攫いは別です」
ウメが訂正する。
「あ、そうだったか? まあ、いい。別だそうだが、どちらかでもいるのだろうか」
壮年の男は無表情だったが、急に厚い唇を歪めて笑い出した。
無精髭の生えた口元から黄ばんだ歯が覗いた。
「ははっ、物の怪だってよ。そりゃあきっと、ウラ様のことを言ってんだろうよ」
「ちょっと!」
若い兵士が口を出した。
話すのか、と目で咎めていた。
「いいんだよ」
壮年の兵士は軽く手を振った。
「お前もさっきの間抜けな話を聞いてたろ? こいつらに何を話したって、キビが脅かされることはねえって」
イサセリは恥ずかしさのあまり体を縮こまらせた。
声量は極力落としていたつもりだったが、すべて聞かれてしまっていたようだ。
しかし、この兵士から敵意は感じられない。
イサセリは上擦った声で、誤魔化すように質問した。
「ウ、ウラと言ったな。何者だ?」
「キビ族の首長だよ」
「首長は物の怪なのか」
真面目な表情でイサセリが問うと、また壮年の兵士が噴き出した。
笑い癖のある人らしい。
「ご先祖さまに外つ国の人がいたってだけだ。
確かに、俺たちの髪や目とは色が違っちゃあいるが、物の怪なんかじゃないし、人を攫いもしない。むしろ、人攫いたちから民を守ってくださってんだ」
イサセリは思わず身を乗り出した。
外つ国の血を引く首長が、この地を治めているのか。
「話が通じる人なのだな」
「ああ、俺たち兵にも優しい人だ。だからな……」
壮年の男は言葉を濁した。
「だから?」
「いや、だから、あんたらを捕まえたのも、本当にウラ様の指示なのかと思ってよ」
イサセリは、ふむ、と唸った。
首長の指示でないとすれば、トメタマに話を持ちかけたキビの里長の一人が独断専行したのだろうか。
イサセリは、キビの里長の名を聞こうと後ろを振り返った。
すると、三人は座ったまま、うつらうつらと船を漕いでいた。
静かなわけだ。
今日の激しい感情の起伏で、みな疲れ切っていたのだろう。
イサセリは壮年の兵士に礼を告げると、三人を横に寝かせ、それから自分も横になった。
今日は色々なことがありすぎた。
まだ日も沈まないうちだったが、こんなに早く眠る日があってもいいだろう。
目を閉じると、イサセリはすぐに深い闇の中に沈んでいった。
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