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【完結】地つなぐ者  作者: 駿河晴星
第六章 背信

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第六章 背信(一)

 春がやってきた。


 イサセリたちはワカタケを探すため、イヌカイ族の洞窟を後にした。


 同行者には、サルメ族のウメ、トトリ族のトメタマ、イヌカイ族のタケル。


 タケルの相棒のツァーマもいる。


 気づけば全てが神託の通りになっていることに、イサセリは底知れぬ恐れを抱いた。


 神託通りといえば、ワカタケは当初の目的地だったムキではなく、神託で示されたキビへ向かった、とトメタマは言った。


 その報告に従い南下しているものの、何より弟の安否を優先したいイサセリは、神託の使命に沿っていることが不安だった。


 雪解けの山道は泥濘と化していた。


 足首に巻いた草鞋の緒が泥に埋もれそうになり、一歩踏み出すごとに体力が奪われていった。


 それでもイサセリは懸命に辺りを見回し、ワカタケに繋がるものがないか探した。


 しかし、ワカタケが去ってからすでに二度の満月が夜空を横切っていたから、イサセリの未熟な目では、手掛かりとなるものは何一つ見つけられなかった。


 トメタマを信じる以外に選択肢はないが、逸る気持ちがイサセリを疑い深くさせた。


「本当にこちらに行ったのか」


 イサセリがそう問いかけると、トメタマは疲れた表情で目を細め、少し苛立たしげに答えた。


「文句があるなら別の所に行けば?」


「あ、いや、そうではなくて」


 イサセリは自分の言葉の重みに気づき、慌てて言い繕った。


 気まずくなった空気を和らげるように、ウメがトメタマの横に寄って話しかけた。


「途中で足取りが消えたのでしたよね」


「うん。ごめんね、ウメさん」


「そんな、トメタマが謝ることではありません。探してくれてありがとうございます」


「キビ川に着いたあたりで突然消えちゃったんだよね」


 トメタマは二つの可能性を挙げていた。


 キビ川で船を使ったか、誰かに連れ去られたか。


 イサセリたちはこの推測を、トメタマがイヌカイ族の洞窟に戻ってきた日に聞いていた。


 イサセリは自分に言い聞かせるように、声に出した。


「ワカタケは強い。そう簡単に攫われたりはしない」


「だな!」


 タケルが強く同意する。

 横にいたツァーマも短く吠えた。


 太陽が真上に来たころ、先頭を歩いていたトメタマが振り返った。


「今日も寄っていいかな?」


 トメタマの問いかけに、イサセリは了承した。


 トメタマは里や集落があるたびに立ち寄り、旅商人としての仕事を果たしていた。


 まっすぐ目的地に向かうよりも時間はかかるが、トメタマの導きに頼る身では致し方なかった。


 また、屋根付きの家に泊まれることは、旅に慣れていないイサセリやウメにとってはありがたいことだった。


 今日立ち寄ったのは、五つの家屋に二十人弱が暮らす、この地域では珍しくない規模の集落だった。


 地面を掘り下げて作った家は、サヌキの里と同様、藁や笹を使わず、保温のために屋根を土で覆っている。


 屋根を覆う土からは、生命力溢れる新芽が顔を出していた。


 集落に着いた途端、トメタマの目が輝いた。


 手際よく竹籠から商品を並べ、得意の話術で商いを始めた。


 その姿は、とても年下には見えなかった。


 タケルは早速仲良くなった集落の若い女と山菜取りに出かけていった。


 持て余した時間を埋めようと、イサセリは集落の人々に作業の手伝いを申し出た。


 しかし、人手は足りていると言う。


 断られたイサセリは、気を取り直して山の中へ足を向けた。


 帯には革鞘に覆われた鉄剣を差している。


 イヌカイ族の洞窟に戻ってきたトメタマに頼んで譲ってもらったものだ。


 ずっと木製の剣しか扱っていなかったイサセリは、鉄剣の重さに未だ慣れずにいた。


 自由に振るうにはまだ十分な筋力が備わっていない。


 毎日素振りをしようと心がけてはいるが、旅に疲れてできない日もままあった。


 だからこそ、今日のような小休止の機会を逃すわけにはいかなかった。


 木々の間に、ちょうど身体が一回転できるほどの空間を見つけると、イサセリは深呼吸をして鉄剣を構えた。


 鉄剣の重みに腕が震える。


 イサセリは歯を食いしばり、ワカタケから教わった型を思い出しながら、同じ動作を繰り返した。


 どれだけ実戦を想像できるかが大事だとワカタケが言っていた。


 型の練習を終えたイサセリは、目の前に敵の姿を思い描き、実戦さながらにやり合う。


 一戦したら、地面に縦棒を一本引き、それを百回繰り返した。


 全身から滝のように汗を流したイサセリは、疲れ果てて地面に横たわった。


 頬に柔らかな若葉が触れる。


 イサセリに多少踏まれても、春の生命力は健在だった。


 葉擦れの音に導かれ、イサセリは真上を見た。


 木々はまだ寒々しく冬の名残を留めていたが、枝先には確かに新芽が膨らみはじめていた。


 その奥に広がる青空には、春の訪れを告げる雲雀ひばりの姿があった。


 鹿の形をした雲が浮かんでいる。


 イサセリは、ワカタケとマイコの里へ鹿を運んだ日を振り返った。


 あの時の鹿革で作った上衣を、ワカタケは旅の間愛用していた。


 今も着ているだろうか。


 なぜワカタケはキビの方角へ向かったのだろう。

 大王がそちらへ向かったという噂でも聞いたのか。


 トメタマが嘘をついているのではないか。

 そんな疑念が頭をよぎるが、すぐに否定した。


 嘘をつく理由など何もないはずだ。


 しかし、神託通りキビへ向かっていることが、恐ろしくてならなかった。


 これもまた大神の導きなのだろうか。


 幼いころからモモソヒメのそばで育ったイサセリにとって、大神は身近な存在だった。


 だが同時に、畏れの対象でもあった。


 神懸かりをしている時のモモソヒメは近寄りがたい雰囲気を纏っていた。


 大神のお力が働いているならば、私がどう足掻いたとてどうにもなるまい。


 それでも、必ずワカタケを見つけたい。

 彼の無事を確かめたい。


この気勢はどこから湧いてくるのだろう。


 彼の気持ちを考えず、旅に付き合わせてしまった罪悪感だろうか。


 それとも、血を分けた弟に対するいつくしみの心だろうか。


 イサセリは深く息を吐き、地面により深く沈み込んだ。


 土と若草の香りに包まれながら、目を閉じる。


 うとうとと意識が遠のきかけた時、頬に生温かい感触が走った。


 驚いて目を開けると、ツァーマが荒い息を漏らしながら傍らに立っていた。


「そんな汗だくのまま寝たら、また熱が出るぞ」


 タケルの声だった。


「一人か?」


 一緒に山菜取りに行ったはずの娘の姿が見当たらない。


 タケルは憤慨した様子で、イサセリの前にどかりと腰を下ろした。


「聞いてくれよ、イサセリ!」


「どうした?」


「笑顔で付いてくるから脈があるって思うじゃんか。そしたらあの女、なんて言ったと思う?


 ツァーマを気に入ったから付いてきただけだとよ! 興味があったのは、俺じゃなくツァーマだったわけだ」


 相棒への嫉妬を露わにするタケルの姿に、イサセリは笑った。


「ツァーマは人懐っこくて誰からも慕われるからな。でも、タケルだってツァーマに負けないくらい魅力的だぞ」


「男に言われてもよぉ……」


 タケルは不満げに唸りながら、ツァーマの頭を撫でる。


「お前のせいで、俺の恋の芽が摘まれたんだぞ」


 と冗談めかしてタケルが言うも、ツァーマは不思議そうに首を傾けるばかりだった。


 タケルは嫁探しを口実に、立ち寄る先々で若い娘に声をかけていた。


 しかし、各地を移動しながら生活するイヌカイ族の暮らしに賛同する娘は少なく、結果は振るわなかった。


 時に一夜だけならばうまくいく日もあったようだが、今日はそれすら失敗したらしい。


 イサセリは立ち上がって、筒袴に付いた土を払い落とした。


「まあまあ、うまいものでも食べて忘れよう」


「うまいものなんてあるのか?」


「山菜を取ってきたんだろう?」


 二人して首を傾げる。


 イサセリはタケルの姿を改めて確認した。


 山菜どころか、何かを入れる袋すら持っていなかった。


 帯に差した短剣以外、何も持ち合わせていない。


「山菜取りなんて、ただの口実に決まってるだろ」


 あっけらかんと言ってのけるタケルに、イサセリは頭を抱えた。


「あ、でも川は見つけたぜ。その汗、流したいだろ」


 タケルは体を反転させ、元来た道に戻っていく。


 ツァーマも横に付いた。


 期待していた山菜は幻だったかと落胆しながらも、イサセリは仕方なくタケルたちの後を追った。




 集落に戻ると、タケルとツァーマは米の香りに誘われ、炊き場へ駆けていった。


「元気ですね」


 ウメの声が響いた。


 彼女は集落の入り口にそびえ立つ桜の大木の下に佇んでいた。


「ずっとここにいたのか?」


 イサセリが歩み寄ると、ウメは淡い紅に染まった花びらを陶然と見上げた。


「きれいでしたから」


 桜は満開の時を迎えていた。


 黒々とした根元に残雪が白く映え、風に揺られては散りゆく花びらの儚さが心に染みた。


「ワカタケも見ているでしょうか」


 ウメの言葉に、イサセリは柔らかな微笑みを浮かべた。


「ウメはずいぶんワカタケを気にかけてくれるようになったな。出会ったころが嘘のようだ」


「私の発言がきっかけで出ていってしまいましたから。まったく……こんなはずじゃなかったのに」


 最後の言葉は風に消えるように小さくなっていった。


 二人が夕焼けに染まる空を見上げているところへ、かすれた声が届いた。


「きれいじゃろ」


 背の丸くなった集落の老婆が立っていた。


「こんなきれいな花が咲いとる時くらい、物の怪がおらんなりゃあえんじゃがな」


「え?」


 老婆の言葉は訛りが強く、戸惑ったイサセリは思わず聞き返した。


「物の怪じゃよ。物の怪がいなくなればええ」


「物の怪がいるのですか」


 老婆は深々と頷き、目を見開いて語りはじめた。


「そうじゃ。背丈はこの桜よりもでっけぇ物の怪じゃ。


 額の上の筋は角のように盛り上がり、両眼はぎょろりとしてオオカミのような金色に光っとる。髪は赤く、いかると口から炎を吹きあげ、家畜を黒焦げにする。


 里の妻子は取り食らい、男は手すさびに切り刻んで捨てて、キビの穴海を通った船は、ことごとく積荷を取られてしまうそうじゃ」


「キビ? 物の怪はキビにいるのですか」


 話半分に聞いていたイサセリは、「キビ」という言葉に身を乗り出した。


「そうじゃ。キビの物の怪じゃ。キビの物の怪がわしの孫を――」


「おかあ!」


 振り向くと、森の入り口に柴を背負った若い男が立っていた。


 男は慌てて老婆のもとへ駆け寄り、その肩を優しく抱きながら家へ連れていった。


 しばらくして、手ぶらになった男がイサセリたちの元へ戻ってきた。


「すんません。おかあが、何か変なことを言っとりましたか」


「キビに物の怪がいるとか」


 ウメが告げると、男は眉をしかめ、深いため息をついた。


「おかあは少し前からちょっとおかしゅうて。夢とうつつがごちゃまぜになっとるんです」


「ご心配なく。さすがに信じておりません」


 イサセリは微笑んで首を振ったが、どこか心の奥底で、この話が単なる作り話ではないような気がしていた。


「ですよね。あ、でも……人攫いは本当にあるんです」


「そうなんですか?」


「はい。俺の娘も数年前に……」


 男は唇を噛みしめた。


 冷たい風が吹き抜ける。


「あ、すんません。いきなりこんな話。とにかく、このあたりは危険なので、絶対お一人で行動せんようにしてください。特に女性はお気をつけて」


 ウメに用心を促すと、男は集落の奥へと消えていった。


 男の後ろ姿を見つめていたイサセリとウメは、ゆっくりと顔を見合わせた。


「キビには人攫いがいるそうです」


「男は手すさびに切り刻まれるって」


 イサセリは喉の奥が乾くのを感じた。


 雪山に消えていったワカタケの後ろ姿が頭に浮かぶ。


 顔を蒼白にした二人は足早に、タケルとトメタマを呼びに行った。

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