第五章 トトリ(一)
その男がイヌカイ族の元へやって来たのは、ツル山に初雪が降る七日前のことだった。
イヌカイ族の洞窟で過ごして早数週間、イサセリは山の麓に仕掛けた落とし穴の見回りに向かっていた。
狩猟に長けたイヌカイ族の知恵を借りた山賊捕縛のための罠だ。
同行していたタマルの長男タケルが罠を指差して言った。
「早速、何かがかかってるぞ」
イサセリは息を呑んだ。
まさかこれほど早く成果があるとは。
前方の地面には大穴が空いている。
穴に吸い込まれたのだろう。周囲の落ち葉が不自然に消えていた。
「獣の可能性もあるが、どうかな」
イサセリとタケルは足を早めた。
穴に近づくと、人間の頭が見え、イサセリは顔をほころばせた。
こうもうまくいくとは思ってもみなかった。
しかし――。
「トメタマ? トメタマじゃねぇか!」
穴を覗き込んだタケルの表情が変わった。
「知り合いなのか」
「ああ。こいつは山賊なんかじゃない」
中にいたのは成人前後の少年だった。
線は細いが、背は高い。
タケルは手を伸ばし、トメタマと呼ばれた少年を引っ張り上げた。
トメタマの前腕には蛇の鱗のような入れ墨がびっしりと入っていた。
穴から這い出る際、筒袴からのぞいた脚にも同様の小さなひし形の模様が刻まれているのが見えた。
顔には、鼻の最も高い部分から耳たぶにかけて帯状の入れ墨が刻まれている。
黥面文身の文化は同じだが、タケルとトメタマの顔の作りは大きく異なっていた。
タケルは父譲りのはっきりとした顔立ちだが、トメタマは面長で一重瞼。
髭は薄く、鼻は低い。
一見して、トメタマはイヌカイ族ではないとわかった。
「わりい、トメタマ。山賊を捕まえようとしたんだけど、まさかお前がかかるとはな」
「タケル。この季節に落とし穴を掘るのは賢明ではないよ。発見が遅れれば、そこには凍えた骸が見つかるだけだろうね」
トトメタマは淡々と言葉を紡いだ。
イサセリは慌てて頭を下げた。
「申し訳ない。落とし穴は私の案だったのだ」
トメタマの瞼がぴくりと動いた。
黒目がイサセリの方に寄る。
タケルはイサセリの肩に腕を回した。
「こいつはイサセリ。訳あって俺たちと一緒にいるんだ。
イサセリ、こっちはトメタマだ。旅商人で何でも屋をしてる。薬とか武器とか売ったり、拠点になりそうな場所を見つけてくれたり……あ!」
タケルは突然、トメタマを凝視した。
「なに?」
トメタマは無愛想に呟いた。
こんな時も、眉ひとつ動かさない。
「おまえ、『トトリ』って呼ばれてたよな」
「トトリ?」
イサセリが尋ねる。
「ああ。トメタマは鳥のことなら何でも知ってるんだ。だから、鳥を取る人ってことでトトリって呼ばれてる。だよな?」
タケルに同意を求められたトメタマはうなずいた。
「ト《トリ》……」
イサセリはトメタマを見つめた。
脳裏には神託の言葉が蘇っている。
まさか、この表情に乏しい少年が《トリ》なのだろうか。
まだ決まったわけではない。
でも、もしそうだとしたら?
なぜこうも自然と集まってくるんだろう。
イサセリは上衣の下に隠した首飾りの勾玉を強く握りしめた。
「そうだよ、きっとそうにちがいない。こいつ、本当に物知りなんだ。顔も広いし、絶対イサセリの役に立つ男だ!」
タケルは興奮した様子でトメタマの肩を揺さぶった。
なされるがままのトメタマだったが、落とし穴の淵にいた彼はふいに姿勢を崩した。
「あ!」
タケルとイサセリは、咄嗟に腕を伸ばしてトメタマの手を掴んだ。
引っ張った反動で、三人はともに地面に転がる。
落ち葉が宙を舞い、頭上から降り注いだ。
最後の一枚がタケルの頭の上に乗ったあと、トメタマがゆっくりと起き上がった。
「タケル。話が見えないから説明して」
表情は変わらなかったが、その声にはわずかな怒気が混じっているようだった。
イヌカイ族の洞窟に戻ってから、イサセリは神託と旅の経緯をトメタマに説明した。
焚き火に手をかざしていたトメタマが言った。
「ふうん。つまり、俺に王子様の付き人になれということだね」
イサセリは首を横に振った。
「付き人ということではない。協力関係を結びたいというだけで――」
「いいよ」
「え?」
「おもしろそうだから。ただし、お礼はしっかり用意してね」
さすが商人、抜け目がない。
「ああ。私に用意できるものであれば必ず」
「おねがいね」
「ではこれを……」
イサセリは荷物から露草色の組紐が付いた巾着を取り出した。
中の桃核を一つ、トメタマに差し出す。
「なんだそれ!」
横で一部始終見ていたタケルが身を乗り出した。
「桃核。新たな仲間にはこれを渡すんだ」
「俺もほしい!」
タケルは両手を前に出して催促した。
子どものように目を輝かせる彼に、イサセリは思わず苦笑した。
「タケルにも渡したいけど、まだタマルさんの条件を満たせていないから」
「あー、そうだったな」
タケルは考え込むように呟き、組んだ足を小刻みに揺らした。
冒険心をくすぐったのか、タケルは春になったらイサセリたちと共に行きたいと言ってくれた。
以来、何かとイサセリに協力してくれている。
落とし穴作戦、貢物作戦、芝居作戦など、ことごとく失敗しているが、一緒に考えてくれるだけで嬉しい。
話に夢中になっていると、洞窟の入り口から明るい声が飛び込んできた。
「イサセリヒコ様!」
イサセリが振り向くと、ウメは笑顔を浮かべ走り出した。後ろにはワカタケもいた。
「ウメ、そんなに走ると――」
案の定、ウメはわずかな窪みに足を取られ、前のめりに倒れかけた。
そんな彼女の腕を後ろからワカタケが掴んだ。
イサセリは、ほっと安堵の息をつく。
普段のウメを見ていると、あの月夜に舞を見せた凛とした巫女は別人だったのではないかと思ってしまう。
「イサセリヒコ様、その方は」
「ああ、彼はトメタマ。イヌカイ族と交流がある旅商人で、《トリ》だ」
「まあ!」
ウメは弾んだ声を上げた。
「それでは、これで全員が揃ったのですね」
「ああ」
イサセリはウメ・タケル・トメタマの三人をぼんやりと見つめた。
予期せぬうちに、神託の獣がすべて揃ってしまった。
これもまた導きの神の力なのか……ウメが信じる神の存在が、今のイサセリには恐ろしく感じられた。
「彼女たちは?」
トメタマに問われ、イサセリは意識を今に戻した。
「彼女はウメ。《サル》にあたるサルメ族の女性だ。こちらはワカタケ。私の弟だ」
「ふうん」
トメタマはウメを一瞥したあと、ワカタケを凝視した。
「……なんだ?」
睨まれたと思ったのか、ワカタケもトメタマを睨み返した。
お互い視線を外さないまま、時が流れる。
沈黙を破ったのはトメタマだった。
「俺、この人きらい」
イサセリとタケルは顔を見合わせた。
初対面の相手をいきなり嫌うなんて、どういうことだろう。
ウメも困惑した表情を浮かべている。
ワカタケの頭に血が上ったのがわかった。
「知るか!」
一言言い捨てたワカタケは、大股で、再び洞窟を出て行ってしまった。
タケルがトメタマに詰め寄った。
「ちょ、ちょい、トメタマ? なんであんなこと言ったんだ」
「別に……勘だよ。ただ、彼が不機嫌そうな顔してるから。女を侍らせて、ああいう顔をしているやつって、きらいなんだ」
「わ、私は、侍ってなどおりません!」
ウメが顔を真っ赤にして否定する。
イサセリは頭を抱えた。
ウメといい、トメタマといい、どうして弟はこんなにも簡単に嫌われてしまうのだろう。
確かに、再会当初はイサセリも苦手だったが、共に過ごすうちに彼の境遇や不器用さを知って、むしろ好ましく思うようになった。
いつの日か、彼らも弟のことを理解してくれるようになるだろうか。
イサセリはそうなることを願いながら、洞窟の入り口を見つめた。




