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【完結】地つなぐ者  作者: 駿河晴星
第四章 イヌカイ

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第四章 イヌカイ(三)

「どうしたものか……」


 乾いた枝を拾っては編み籠に差し入れながら、イサセリは唸った。


 はっきりと返事もしないまま、イヌカイ族と平地の里人の仲裁をすることになってしまった。


 失敗をすれば大神のお言葉を守れなくなるかもしれない。


 慎重に事を進めたいが、我慢させているワカタケの気持ちを思うと、雪解け後は一刻も早く出立するべきだろう。


 期限は春がくるまで。


 何か良い案はないものか。


 この枝という枝が閃きの種であれば……。

 拾うごとに名案が思い浮かんだら。


 そんな神の恵みのような枝があればいいのに、とイサセリは思った。


「やはり、真犯人を捕まえてタマルさんたちの疑いを晴らすしかないのでは?」


 隣で枝を拾っていたウメが言った。


 見ると、彼女の指には血が滲んでいた。


「……ウメよ。なぜ血だらけなんだ」


「だって、この枝たち、どれもこれもささくれているのです」


「だから鹿革を渡しただろう」


 不器用なウメには、黒曜石のやじりを加工する際に使う鹿革をあらかじめ渡していた。


 掌ほどの大きさの鹿革で枝を掴めば、手は傷つかないはずであったのに。


「鹿革を使うと、枝がするりと逃げていくのです。それを拾おうとしたら、つい素手が出て……いいえ、私のことはいいのです。真犯人!」


「ああ、山賊を捕まえるということか」


「そうです」


「しかしな、最初のころならまだしも、うまくいくだろうか」


「どういう意味ですか」


「里人にとっては犬も食料なのだろう。そうすると、家族を取り戻したイルマは、向こうからすれば、貴重な食料を奪った盗人ということにならないか」


「それは……たしかに」


「でも、山賊を捕まえて話を聞いてみるのはいいかもしれないな」


 イサセリは満杯になった編み籠を背負った。


 ウメも後をついてくる。


 彼女の籠はまだ半分も満たされていなかったが、満杯を待っては日暮れとなろう。


 そう思い、見て見ぬふりをした。


「話を聞くとは?」


 ウメが尋ねた。


「なぜ山賊になったのか聞くのだ」


「……イサセリヒコ様は、悪党に『なぜ悪党になったのか』と問うのですか」


 ウメは顔を引き攣らせたが、イサセリは迷いなく頷いた。


「姉上はそうしていたから」


「モモソヒメ様が?」


 サヌキにも山賊はいた。


 この地の山賊と同じように、里の食料を盗んだり、罠にかかったイノシシを横取りしたりして、里人を困らせていた。


「ある年、姉上は近郷の里人たちを招き、大規模な収穫祭を催した。三日三晩の祭りだった。


 山中の賊たちにも、祭りの音は聞こえていたことだろう。豊作にて蓄えも十分にある、と山賊たちに悟らせたのだ」


「大胆ですね」


「だろう? それから数日後、策にはまった山賊たちが現れた。夜の間、交代で起きていた里の男衆が一斉に襲いかかり、その日やってきた山賊たちは一人残らず捕らえられた」


 幼く、今以上に虚弱であったイサセリは、捕り物の一部始終を傍観するのみであった。


「それで、どうなったのです」


「姉上は山賊一人一人と対話の時間を設けた。


 生まれはどこか、親や兄弟はどうしているか、今までどういった生活をしてきたのか、好きなこと、嫌いなこと。何でも聞いたと言っていた」


 モモソヒメの言葉が蘇る。


――彼らはさびしいのです。己のことを大事にできない。それにもかかわらず、己を見てほしいのです。誰かに己がここにいることを知ってほしいのです。


 モモソヒメは粘り強く彼らに言葉を掛けつづけた。


 それのみならず、自分の仕事のすべてを彼らに見せた。


 恐ろしげだった山賊たちの眼差しが次第に柔らかくなっていったことを、イサセリは今でもはっきりと覚えていた。


「二十日ほど過ぎれば、縄目を解いても姉上の後ろから離れなくなった。やがて、邸内の清掃を率先して行うようになり、里人へ詫びを入れ、里の労働にも加わるようになった。


 気がつくと、彼らは里の者となっていたのだ」


「他の山賊はどうなったのですか。全員が盗みに来たわけではないでしょう」


「他も同じだ。仲間に裏切られ暴れていた山賊たちも、捕らえられては姉上のさとしを受け、やがて里人となった。


 人手不足の近郷の里へ移った者もいたが、悪事を働いたという噂は耳にしなかった」


「さすがモモソヒメ様ですね……」


 ウメは感嘆の息を漏らした。


「うん。まあ、私がやっても同じようにはならないだろう。やはり姉上から漂ってくる神気に似た何かに浄化されていったんだろうな。


 この高潔な人は何があっても己を見捨てないと安心できたのだと思う」


「私には、とても真似できません」


 ウメは籠の紐を、指の先が白く染まるほど強く握りしめた。


「ウメも巫女なのだから、いつかできるだろう」


「イサセリヒコ様。私はモモソヒメ様より一つ年上ですよ」


「そう、なるのか」


 男の中では小柄なイサセリの、鼻の辺りまでしか届かないウメの背丈。


 イサセリが見下ろす相手と言えば幼子のみであったから、彼女が年長であることを忘れがちだった。


「そういえば、巫女としてのウメはまだ見たことがないな」


「そうでしたね。近々お見せしてもいいですよ。あの陰気臭い誰かさんをどうにかしないといけませんしね」


 ウメの物言いに、イサセリは思わず吹き出しそうになった。


「なぜウメはワカタケに厳しいんだ」


「私、偉そうな男が好きではないのです! でも……」


 ウメは声を落とした。


「最近の彼はなんだか張り合いがないので、私の秘伝の技を見せてあげようと思います」


「兄としても、お願いするよ」


 あの日以来、ワカタケはすっかり笑顔を見せることがなくなってしまった。


 イサセリにとって大王は「父」という肩書きを持つ他人だが、常に傍らにいたワカタケには深い思いがあるに違いない。


 確かに「もしモモソヒメの行方が分からなくなったら」と考えるだけでも、イサセリは落ち着いていられなかった。


 危険を冒して冬山を旅するわけにはいかないが、ワカタケを励ましたいという気持ちは、イサセリの中にも強くあった。





 その日の夜、ウメは


「日が暮れてから時間が欲しい」


 と人々を洞窟内に集めた。


 普段は日暮れとともに床に就く人々は、何事かと目を輝かせていた。


 夜行性の犬たちも、珍しく人が起きていることに興奮し、尾を激しく振っていた。


「お待たせいたしました」


 外で装いを調えたウメが洞窟内に姿を現したとき、人々は仰天した。


 篝火に照らされる姿に、いつもの幼さはない。


 普段は不器用で子どものようなウメが、一変して神々しい巫女の姿になっていた。


 身に纏った鮮やかな朱色の絹は、上衣とのように分かれてはおらず、上下一枚のつながった布である。


 胸元は白い肌があらわになり、足元は足首まで隠れている。


 袖は四角く膝のあたりまで伸び、長い。


 さらに、肩にかけた格別にやわらかそうな白い領布ひれを、上腕に半周巻きつけていた。


 袖、領布、裾、垂髪が、ウメが足を踏み出すたび、波のように揺れ、目を惹かれる。


 ウメは、惚けた人々の間を通りぬけ、月明かりが漏れる洞窟の奥まで歩みを進めた。


 体を反転させると、顔には艶美な笑みが浮かんでいる。


 イサセリは、ウメに初めて会った日のことを思い出していた。


 額には小さな梅の花が咲き、目尻を囲うように朱が塗られている。


 額飾り、耳飾り、首飾り。


 青銅製の装飾品たちが月明かりを反射し、煌めいていた。


女神めのかみさま」


 誰かが呟いたその言葉に、みなが同意した。


 巫女姿のウメは、神々しかった。


 ウメは一礼すると、天を見上げた。


 右手を高く伸ばし、左手は手首に添える。


 指先までぴんと伸びて美しい。


 ウメは目を閉じた。


 時が止まっている。


 そう勘違いするほど、ウメは動かなかった。


 人々は注視し、ウメの次の行動を待った。


 唇が動いた。

 歌がはじまる。


 理解できない言葉。

 恐らく祝詞である。

 神に捧げる、神の言葉だ。


 やがて踊りだす。


 指先、腕、肩、胸――すべてがつながっている。

 爪先、脚、腹、胸――すべてがつながっている。


 回転。袖、領布、裾、垂髪がふわりと広がる。


 腕をあげる。袖がすとんと落ちる。

 脚をあげる。裾がすとんと落ちる。


 舞い、回り、伸び、曲げ、笑い、悲しみ、怒り、綻ぶ。


 わからない言葉なのに、心に響く物語がそこにあった。


 イサセリは、ここ半年の歩みを思い出し、身を震わせた。


 サヌキを離れた日の不安と覚悟、突然の別れ、弟との和解、出会った人々の温かさ、そして時折襲ってくる任務の重圧。


 喜びや悲しみ、希望や恐れ、さまざまな感情が胸の奥で渦を巻いていた。


 薄くかかっていた雲がとれたのだろうか。


 ひときわ月明かりが強くなったとき、ウメの舞が終わった。


 手を叩くものは誰もいなかった。


 みな、自分の中で沸き起こった感情と向き合っていた。


 一礼したウメが再び歌いはじめる。


 今度は聞きとれる。


――踊らん 踊らん 親しきものよ。

――踊らん 踊らん 愛しきものよ。


 無邪気な笑みを浮かべたウメは、イルマと少女の手をとった。


 先ほどまでの優美な舞とは違い、ただ体を揺り動かすだけの踊りである。


 イルマと少女の手を重ねたウメは、二人から離れ、他の人々の手を取り、また踊りに誘った。


 夢の世界から我に帰った人々は、次第に自ら立ち上がり、ウメの歌にあわせて体を動かすようになった。


 ウメが、イサセリとワカタケの前にやってきた。


 小さな手が兄弟の手に添えられた。


 近くで見ると、ますますウメだと信じられない。


 ワカタケもそうなのだろう。


 気まずそうに視線を逸らしている。


 しかし、彼女の手を振り払うことはなかった。


 イサセリは二人から早々に離れた。


 ワカタケを元気づけるという当初の目的は、きっとウメが果たしてくれるだろう。


 そう信じて、楽しそうに踊るイヌカイ族の人々に合流する。


 洞窟内に満ちる笑い声と足音を聞きながら、この夜が何かの変わり目になるのではないかと、イサセリは密やかな期待を抱いた。

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