不幸な子ども
あの炎は一体どこから。……アルファンス、か。
しかし当のアルファンスもまた、唖然とした顔でカーミラを眺めていた。
アルファンスじゃないなら、一体だれが……。
「どうして……どうして……どうしてなのよおおおお」
何が原因で、契約書が燃えたてしまったのかは分からない。
ただ一つはっきりしているのは、まだ煙が立ったままの、燃え尽きて灰になった契約書に、火傷も厭わず縋り付いて泣くカーミラが、脅威ではなくなったこと。
悪魔との契約が結ばれる前に、それを止めることが出来たということだけだった。
「……カーミラ」
立ち上がって彼女の方に近づくと、カーミラは紫色の瞳を見開きながら、喉奥でひっと小さく声をあげて身を震わせた。
「何が起こったのかは分からないが。……これで終わりだな。カーミラ・イーリス。今度こそ俺は、お前を捕縛するぞ」
後方にいたアルファンスも、鋭い目でカーミラを睨み付けながらこちらに近づいてくる。
フェニが起き上がって、威嚇するように彼女に角を向けた。
悪魔の力を失くしたカーミラ・イーリスは、どこにでもいるような、少し優秀な程度の女生徒だ。私だけならともかく、アルファンスやフェニがいる状況で、彼女が逃げられる筈がない。
完全に、形勢は逆転した。
そう悟るや否や、カーミラは私の足に取り縋った。
「……レイ様……!! 聞いて下さい!!……私。私……悪魔に誘惑されて、おかしくなっていたんです……本来の私は、こんな恐ろしいことが出来る人間ではないんです……」
紫水晶の瞳から、次々に大粒の涙を流しながらカーミラは私を見上げて、訴える。
「聞いて下さい、レイ様……私の、過去を……私がいかに不幸だったか、どうか聞いて下さい……!!」
『――近寄らないで。不幸を呼ぶ、紫の目の化け物が』
私の中にある母の記憶は、いつも美しい顔を嫌悪で歪めて、そう吐き捨てる姿だった。
『ああ。なんて忌まわしい、呪われた一族……!! こんな家だと結婚前に分かっていたら、いくら傾いている家の為だとしても、けして婚姻など結ばなかったのに!!』
母が生まれ育った地方は、国内でも最も紫水晶に対する伝承が濃く残っている地方だった。
「紫の瞳の相手とは、絶対に結婚してはいけない」そう両親から言い聞かされて育った母は、隔世遺伝によって紫の瞳を持って生まれた私を生まれた時から忌み嫌っていた。
『ママのいうことなぞ、気にするな。……お前の瞳は、我が一族にとっては僥倖だ。イーリス家に繁栄をもたらす紫水晶。お前がその色を持って生まれてきてくれて、私は本当に嬉しかった。お前は一族の希望なんだよ、カーミラ』
一方で父親はそう言って、私のことを溺愛した。
それぞれの両親に、全く異なる言葉を浴びせられて育った私は、一体自分がどういう存在であるのか正しい評価が出来ないまま大きくなった。
私は、ママの言うように不吉な存在なの?
それともパパの言うように、一族に繁栄を齎せる希望なの?
分からないまま月日は流れて行って、そして月日が経つごとに母と父の関係は修復できない程に壊れて行った。
母と父が争うのは、いつだって私のことで。
決裂が決定的になったのは、私が「人ならざるもの」の声を聞いたことだった。
『魔の声を聞くだなんて!! 汚らわしい!! やっぱりお前は呪われた子よ!! お前なんか産むんじゃなかった!!』
『素晴らしい!! 素晴らしいよ。カーミラ!! やっぱりお前は、一族の希望だ!! 選ばれた、特別な子だ!! お前が私の子に生まれてきてくれて、本当に良かった!!』
最後の最後まで、異なる意見で私を惑わしたまま、母は離縁して実家に帰って行った。
そして残された父は、私に特別な教育を施し、「人ならざるもの」――悪魔の声を聞く能力を強化させた。
母の言うことが正しいのか。父の言うことが正しいのか。
分からないままだったが、母がいなくなった状況では、私は父の言うことを信じるしかなかった。
……いや、信じたかっただけなのかもしれない。
自らが呪われた存在だと思うよりも、特別な選ばれた希望だと思う方が、心地よかったから。
けれども私は成長するうちに、父が私に施す教育が禁忌であることを知ってしまった。
悪魔と人が関わることは、法で禁じられている。
万が一声を耳にしてしまった場合は、速やかに王城に届け出が必要とされており、それを行わなかった場合は罰せられるのだと知ってしまった瞬間、足元がガラガラと崩れ落ちていくような錯覚に陥った。
私が、していることは犯罪で。
私は、犯罪者で。
パパは、一族の為に私に犯罪を犯させようとしていて。
正しかったのは、母の方だった。
私は生まれながらに呪われた、不吉な存在だった……!!
【――ああ。可哀想。可哀想に、カーミラ】
頭の中に、愉悦交じりの甘い声を響く。
【自分が、正しい存在だと信じていたかったのにね。僕の声が、清らかな神様のような存在の声だと言う、父親の嘘っぱちな言葉を信じていたかったのにね。ああ、愚かで、無知な可哀想な、カーミラ・イーリス。……可哀想だから、僕が君に力を貸してあげてもいいよ】




