見えない手
未知の魔具に対してひるむ気持ちがなかったといえば嘘になるが、躊躇いは一瞬だけ。
すぐに私もまたネックレスを首に掛けた。
「……あ」
ネックレスの魔力が全身を包んだ途端、自身の体が宙に消えるようになくなったのが分かった。
いや、なくなったわけじゃない。動かせば、確かに手も足も、ある。目だってちゃんと機能しているから、周りが見える。
だけど、自身の体の一切が視界には映らない。
体は確かに存在している筈なのに、まるで意識だけの塊になったかのような、酷く不思議な感覚だった。
「自分の体が全く見えないから、ネックレスを掛けている間は、物に触れるのも避けるのも、自身の感覚だけが頼りだ。お前の運動神経なら大丈夫だとは思うが、気をつけろよ。ぶつかったりして大騒ぎになれば、姿を消している意味がなくなるからな」
姿が見えないアルファンスの言葉に頷いてから、それじゃあアルファンスには伝わらないことに気がつく。
……これは、なかなか適応するのが難しそうだな。
「……わかった」
「それじゃあ、行くぞ。まだ登校時間には早い時間だが、赤毛の女のように早朝から学園に来ている奴もいる。くれぐれも、気付かれないようにな」
「分かっているよ」
「それじゃあ、行くぞ。……ネルラ先生、万が一誰かに見られても大丈夫なように扉を開けて貰えますか」
「分かったわ。……気をつけてね。レイリアちゃんは、まだ完治しているわけじゃないから絶対に無理はしないでね」
「……分かりました」
風もないのにカーテンが揺れたことで、アルファンスが動いたのが分かった。
私もまた、その背を追うように続いたのだが、焦り過ぎてその背中にぶつかってしまった。
「……うっ」
「……レイリア。ぶつかっただけじゃなく、声までだしたな。お前……。今はまだ保健室だからいいが、廊下を出て周りに誰かいる状態で同じことをしたら、確実に怪しまれるぞ」
「いや……姿が目に見えないと、思った以上に距離間が掴みにくくて」
気配に関しては、剣の稽古を積んでいる分、人より敏感な方だとは思う。
だけど前にいるのは、同じように剣の稽古を積んで、気配を殺す術も学んでいるアルファンスなのだ。姿の見えないアルファンスに気配を殺されると、本当に存在が分からなくなる。
その上、今の私は大分気持ちが急いて冷静さに欠いている。いくら平静になろうとしても、どうしてもマーリーンの事を考えると焦ってしまう。普段の剣技の時のようにはいかない。
……さて、どうしたものかな。
私に先に行かせて貰うにしても、それはそれで不安はあるし……。
「……仕方ないな」
間近で聞こえた溜息と共に、突然目の前にアルファンスが姿を現した。
どうしてネックレスを外して……まさか。
「いや、アルファンス。確かに私が姿を見せるよりはましだけど、だからといって君が姿を見せるのも……これから、王宮に行く所だと言っても、格好とかで怪しまれるかもしれないし……」
「……レイリア。お前何を言っているんだ」
……あれ。てっきりアルファンスが姿を表わした状態で誘導してくれようと思っているのかと思ったのだけど、違ったのかな。
「ほら、レイリア……」
ぶっきらぼうにアルファンスが差し出した手には……何も、乗っていなかった。
……距離間が掴める、目には見えない特殊な魔具、ってわけじゃないよな。
「……ほら、早くしろよ」
「あ……えと」
「だから……あーもう、いい。この辺か?」
アルファンスは見えていないはずの私の手を、恐らく勘だけで乱暴に掴むと、そのまま指を絡めた。
「手を繋いでいけば、見えなくてもそうそうぶつからないだろ。このまま禁書庫へ向かうぞ」
あ、そういう意味か。……て、え。
このまま、向かうって、え。
見えないまま手を握られたせいか、何だか必要以上に指が絡んでいる気がするのだけど、え。
「……それじゃあ、行くぞ」
私が戸惑っている間に、アルファンスは再びネックレスを首に掛けて歩きだしてしまった。
慌てて私もその後に続く。
「それじゃあ、二人とも。……行ってらっしゃい」
静かに扉を開けてくれたネルラ先生と脇を静かに通り抜けて、外に出る。
私は小さく息を吐き出して、神経を集中させた。
取りあえず、今はただ、他の生徒にばれないことに集中しなければ。
……アルファンスの手の繋ぎ方がまるで恋人通しのそれのようだなんて、馬鹿な考えは今は捨てておこう。
私とアルファンスは足音を殺して、静かに廊下に足を進めた。
保健室は1階だが、禁書庫は5階だ。
結構な距離を登らなければならない。
幸い1階の廊下はほとんど人気がなく、特別冷や冷やとした思いをすることもないまま首尾よく階段の所まで足を進められた。
「……それで、さー」
「あら、それは大変ですわね」
「だから、私は……」
……っ人が……。
階段を中程登ったところで、横いっぱいに広がって上から降りてくる三人の女生徒に気が付いた。
……教室に向かう為に階段を登る生徒がいるかもしれないと思ってはいたけど、降りてくる生徒がいることまでは想定していなかったな。
「それにしても、本当良い考えですわね。朝早く登校して、一度教室に荷物を置いてから、外でお勉強をだなんて」
「でしょう? 天気もいいし、この時間ならきっと東屋も空いているはずだし」
「でもいつもより早く起きたから、私はちょっとまだ眠いわ……」
なるほど、そういうわけか。……しかし間が悪いな。
階段の幅を考えると、どうやってもすれ違う時にぶつからずに間を通り抜けるのは難しそうだ。ここまで上ったけど、今は取りあえず下に降りるしかないかな。
私と同様の結論に至ったらしいアルファンスに手を引かれるままに、一度また下に戻って階段の脇に避けて、女生徒達が通り過ぎるのを待った。
……あれ、あの真ん中の子、見たことがあるな。ああ、そうだ。武闘大会で差し入れをくれた娘だ。
そのまま通り過ぎていくかと思われた三人だったが、脇を通り抜けた途端、真ん中の女の子だけが不意に足を止めた。
「どうしたの? 置いて行くわよ」
「……が、する」
「え? どうかしました?」
「――レイ様の、匂いがする……」
………ってええええええ?
「この、香しい花のような、それでいて甘ったるくなく、きりりと引き締まっていて、上品かつ優しく、それでいて頼もしくて力強い香りは、レイ様の香りよ!! 間違いない!!」
「……いや、どんな香りなのかさっぱり伝わってこないですわ。その表現では」
「……またサラの発作が始まったわね。本当白薔薇の君マニアなのだから」
「レイ様!! どこにいるのですか!! ――そこ、ですか!?」
見えていない筈なのに、振り返ったサラと呼ばれた少女としっかり目があって、思わず体が跳ねる。
ま……まさか彼女にだけ、ネックレスの効果がないとか、そんな筈ないよな。
「落ち着きなさい。サラ、……白薔薇の君なら確か、昨日の突然の地震で本棚の下敷きになって、今は保健室で治療している筈でしょう」
「そうでしたわね。……本当、昨日の地震はびっくりしましたわね。この地方では地震なんて滅多にないのに……。白薔薇の君は本当お気の毒ですわ。早くよくなられると良いのですけど」
「ああああ、そうだったわ!! なんて、なんて、可哀想なレイ様!! 代わって差し上げたい!!」
しかし、当たり前と言えば当たり前だけど、目が合ったと思ったのは私だけだったようだ。
サラはすぐにまた前を向いて、頭を抱えながら天を仰いだ。
「そう言えば、ここから保健室近かったわよね。……もしかしたら、白薔薇の君が元気になって、この辺り散歩していたのかもしれないわよ」
「外に出る前に、少し保健室に寄ってみますか? 面会謝絶で白薔薇の君に会えなくとも、ネルラ先生から現時点での容体を聞ければ、サラちゃんの気持ちも少しは楽になるでしょう?」




