温かい手
これなら、もう大丈夫だ。
良かった。これで、私もマーリーンの呪いを解く為に動ける。
もう、ベッドの上で何も出来ずに、ただ時が流れるのを待つ必要なんかないんだ……!!
「それじゃあ、アルファンス、さっそく……」
「……ちょっと、待て」
早速行動を開始すべく、そのまま保健室を飛び出そうとした私を引き留めたのは、先ほどと同じ胡乱げな表情のままのアルファンスだった。
「何だい? アルファンス。時間がないんだ。一刻も早く、調査を……」
「お前の自己申告なんて、あてになるか。……ネルラ先生、念の為もう少し検査して貰えますか」
「そうね。……レイリアちゃん、ちょっと光魔法を使って、体の中の様子を確かめるから、そこに座って貰えるかしら?」
そんな!! 大丈夫だって、言っているのに…!!
今こうしている間にも、もしかしたらマーリーンが……。
「焦る必要はない――良いから、座れ。レイリア」
抗議の声をあげるべく開きかけた口は、アルファンスの鋭い一括で閉じさせられた。
真っ直ぐに向けられたエメラルド色の瞳が宿す予想外の威圧感に、思わず体が跳ねる。
……これは反抗した方が、逆に時間の無駄だな。
納得不承不承、ベッドに戻る私に、ネルラ先生は苦笑いを浮かべた。
「すぐに済むから、ね?」
小声で歌うように呟かれた呪文と共に、体に向かって翳されたネルラ先生の手から、治癒結界と同じ色の光を放たれる。
ネルラ先生は、最初に私の頭部に、そして首に、肩に、腕に、腹部に、と上から順々に手を翳して行った。太ももから膝、そして爪先に手を当て、少し目を瞑ってから、安堵するように溜息を吐いた。
「うん……もう骨には問題はないわね。良かったわ。一部関節に損傷が見られたり、内出血したりしている部分はまだ見られるけれど、それほどひどくはないから、激しい運動をしない限りは大丈夫な筈よ」
……だから、言ったじゃないか!! やっぱり、時間の無駄だったよ!!
「ありがとうございます。ネルラ先生……アルファンス、これで君も納得しただろう。時間がないから、さっさとここを出発しよう」
やらなきゃいけないことは、山積みだ。ゆっくりしている時間はない。
まずは、学園長に会いに行って、話をしなければならない。
お父様からリスト化して貰った生徒の見張り……は、既にお父様が頼んでくれていたようだから、あとはマーリーンの護衛も頼まなければ。後はリスト化された資料と、図書館の禁書庫の鍵を貰って。
後は、……ああ、そうだ。今日学園を休むことに関する口裏合わせもしとかなければ。穢して保健室に運ばれた私はともかく、アルファンスが休むのはおかしいからな。どういうことにするのが、一番いいだろうか。
時間もないから、まずは歩きながら考えよう。
「……とにかく、まずは学園長室に……」
「は、既にここに来る前に俺が行ったから、お前が行く必要はない」
……え?
「昨日の夜と、朝一で学園長室に出向いて、父上とセルファ家当主殿の伝言鳥の言葉を踏まえたうえで、既に俺が直接学園長と話を通してある。なお、今回俺達は一生徒ではなく、王から派遣された調査員として扱って貰うようにしてあるから、万が一何か起こっても学園側は責めを負わないようになってはいる。……まあ、かといって学園側は、それをそのまま鵜呑みにして悠長に構えられる筈はないがな。あくまで便宜上の問題だ。書庫の鍵や資料も既に預かってある」
「マーリーンの護衛は……」
「赤毛の女は、フルーリエ先生の風精霊が、寮の部屋を出た以降護衛してくれるとのことだ。部屋の中で既に呪いが発動されていないかが気がかりだったが、先ほど無事赤毛の女が姿を隠した風精霊と共に学園に向かったと、フルーリエ先生から連絡があったらしい。行動に制限がない分、下手な教師が見張るよりずっと都合がいいだろう。気まぐれな風精霊も、フルーリエ先生の願いは絶対なようだしな」
後、お前はまだ怪我が治らず、俺は別件で急遽父上に呼び出されて学園を出ていて授業を欠席するということになっているから、そのつもりで話を合わせろよ、とさらりと続けられて、思わず少し呆けてしまった。
……私が考えていた要件、殆ど済んでいるじゃないか。
「……だから言ったろう? 焦る必要はないと」
アルファンスが器用に片眉だけ上げながら、肩を竦めた。
「自分の体の状態も良く分からないまま、根拠がない過信を抱えたまま動いて、悪化したらどうする。阿呆」
……でも実際、大丈夫だったじゃないか……とは、流石に言えずに、口を噤む。
呆れたようなアルファンスの視線が痛い。
……駄目だ。焦りのあまり、冷静さを失っていたな。落ち着かなければ。
「……君の言う通りだね。ごめん」
「後お前、何も考えずに廊下へ向かおうとしただろう。怪我で動けないことになっているお前が、ぴんぴん歩いている姿を他の生徒に見られたら、どう言い訳をするつもりだ」
う……何も考えて、いなかった。
そんな誰にだって想定できることを失念するだなんて……本当に駄目だな。私は。
肩を落として落ち込む私に、アルファンスが溜息を吐いた。
「……本当、お前は俺がいないと駄目だな。ほら、これを首に掛けておけ」
「これは……魔具かい?」
渡されたのは、繊細な細工が施された、銀のネックレスだった。
手に持っただけで伝わる魔力の強さで、かなり高度な魔法が施された高価な品物であることがわかる。
「【姿消しの首飾り】だ。城に二つだけある物を、父上に送って貰ったそれ一個で城が二、三買える代物だから、くれぐれも傷つけたりするなよ」
そう言ってアルファンスもまた、同じネックレスを首に掛けた。
途端、アルファンスの姿が視界から消えた。
「……アルファンス、いるの、かい?」
恐る恐る伸ばした手を、見えない何かに捕まれて、思わず小さく声が漏れた。
「どうだ?……姿は見えなくても、触れるし、声は聞こえるだろう? この首飾りは視界にしか影響は与えないが、首から外さない限り効果は持続するんだ」
あ……やっぱりアルファンスで良かったのか。……当たり前だけど、少しホッとする。
目には見えないその手は、それでも確かに人の熱を持って温かくて。どこか、優しくて。触れた掌から伝わる熱に、ざわめく心が少し落ち着いていくのが分かった。
「……レイリア?」
「あ、ごめん。ごめん。少しぼうっとしてたね。……ありがとう。アルファンス。君が実演してくれたから、首飾りの効果がよく分かったよ」
握り返していた手を慌てて離すと、自分の分の首飾りに視線を落とす。