カーミラ・イーリスという少女
「でも、そんな酷い人も、レイ様は広い心で受け止めて、獣化から元に戻るアドバイスまでしていて……私、本当感動しました。レイ様は、やはり私の思っていた通りの人だって」
「ちょ……ちょっと。その認識はおかしいんじゃないかな。ザイードのことで一番尽力したのは、アルファンスだよ。私は特別なことなんて、何もしていない」
あの時、確かに私はザイードに対して、認めたくない自分自身を受け入れるべきだとは、言った。
だけど、私の言葉はあくまでザイードが元に戻るきっかけになっただけで、あの言葉がザイードの心に届いたのは、あくまでその前のアルファンスとのやり取りがあったからこそだと思う。
私はただ、その手助けをしただけに過ぎない。
もし褒め称えられるべき人がいるなら、アルファンスの方だろう。私じゃない。
困惑する私に、カーミラはくすりと笑って首を横に振った。
「そんな謙遜しなくても。どう考えても、あれはレイ様のお手柄です。レイ様の言葉を聞いた瞬間、獣化が解けて元に戻ったのですから。……それに、ザイード・レパーディアがああなった原因は、そもそもアルファンス王子にあるのでしょう? だったら、アルファンス王子が、ザイード・レパーディアの為に尽力するのは、当然です。それなのに、そんなアルファンス王子に手助けしてあげるなんて、やっぱりレイ様はとても優しいです」
「……え」
「それにしても……アルファンス王子は、レイ様に対する子どもじみた態度だけは頂けないけれど、それ以外の部分ではまあ及第点をあげてもいいと思っていたんですが……今回の件では、本当がっかりしました。幻滅です。あんな危険人物を、あんな暴走するまで放っておくだなんて!! 王族なら自分に向けられている、危険な執着くらいもっとちゃんと把握して、適切な対処をしておくべきです!! 巻き添えになってレイ様が傷ついたら、どう責任取るつもりだったんでしょうか。……こんな人だと分かったからには、正直言って、アルファンス王子にもあまりレイ様に近づいて欲しくはないですね。これ以上は。……まあ、王族で婚約者ですから、ある程度は許しますけど」
及第点をあげてもいい?
私に、近づいて欲しくないけど、ある程度は許す?
……この子は一体、何を言っているんだろう。
え、と。……私と、この子、さっきが初対面な筈だよな。少なくとも、言葉を交わしたのはさっきが初めての筈だ。
ずっと見ていたとは言っていたけど、実際のところ、私のことも、アルファンスやザイードのことも、カーミラはほとんど知らないと思うのだけど……。それなのに、何でこんなこと言えるのだろう。理解できない。
「……その、カーミラ。……君は私のことを、随分と美化しているみたいだけど、実際私はそんな大層な人間じゃないよ」
「いいえ!! いいえ!! レイ様は、謙虚だからご自分のことが分かっていないだけです!! レイ様は誰よりも素敵な、特別な方です!! ……だからこそ、もっと傍にいる人間を選別するべきなんです!! 優しいレイ様が出来ないならば、周りの人間が代わりに!!」
どうしよう。――この子、何か、怖い。
ぞくりと粟だった肌を抑え込むべく、組んだ両手で二の腕の辺りを擦った。口の中が、どうしようもなく乾く。
カーミラの表情はひどく真剣で、口にしている言葉は、お世辞でも何でもなく、本心から出たものだということが伝わってきた。
だからこそ、なお、私はカーミラが怖かった。
私には、こんな風にカーミラから傾倒される理由なんてない。
そんな理由がある程、私はカーミラに関わってはいないのだから。
女の子に、頬を染められて憧れられることには、慣れている。
真剣な恋心を向けられたことだって、何度か経験している。
だけど、カーミラが私に向ける感情は、今まで向けられたどの反応とも違う気がした。
今までよりももっと、強くて、歪で、盲目的で……そして、どうしようもなく空っぽだ。
カーミラの紫の瞳は強い光を湛えながら、真っ直ぐに私に向けられている。だけどその実、彼女は私のことなんてちっとも見ていないのではないだろうか。私を見ているつもりで、私を通して、何か別の物を見ているのではないか。
そう思うくらい、彼女の私に対する認識と、私自身の自己認識はかけ離れていた。
「……アルファンス王子は、仕方がないから許します。ザイード・レパーディアも腹立たしいですが、レイ様が広い心で許すというなら、私も許してあげましょう。……だけど……だけどあの……」
険しい表情で何かを言いかけたカーミラは、途中でハッと我に帰ったように言葉を止めて口元に手を当てた。
「……すみません。レイ様。私、ついつい感情的になって話し過ぎました。レイ様は、お茶会に向かっている途中だったのに、引きとめてしまって、申し訳ありません」
「……あ、うん」
悪鬼のような表情から一変して、突然憑き物が取れたかのように優しく微笑みだしたカーミラに呆気にとられ、私はただそう返すことしか出来なかった。
「レイ様が遅刻して、集まっている人たちに変な風に言われるのも嫌だから、私はこの辺で失礼します。今日はありがとうございます。ずっと見ていたレイ様とお話ができて、とても幸せでした」
「……そうか……なら、よかったよ……」
「――ああ。でも最後に。最後に、これだけは言わせて下さい」
そのまま背を向けて去ってくれるかと思ったカーミラは、途中で足を止めて、振り返った。
「……私は、誰よりもレイ様が、大好きです。だから、私がすることは、全部全部、レイ様の為を想ってのことです。全ては、レイ様の為なんです。どうか、そこのところを誤解しないで下さい」
そう言って、にこりと笑ったカーミラは酷く愛らしかったが、それ以上にどうしようもなく、禍々しく感じて仕方なかった。
亜麻色の髪を揺らしながら、そのまま小走りで去って行ったカーミラの背中を、暫らくの間私は立ち尽くして眺めていた。
「……私、これからお茶会だなんて言っていないのに、何で知っていたんだろう」
……大人しくて、奥ゆかしい娘だとばかり思っていた薄紫の手紙の主は、どうやらマーリーンが危惧していた通り、警戒すべき危険な相手のようだ。
出来ることならば、もう二度と関わりたくない。




