手紙の主
「おはよう。マーリーン。……あれ、どうしたんだい? 何か元気がないみたいだけれど」
翌日、いつものように教室であったマーリーンの表情は暗かった。
私の挨拶に顔を上げたマーリーンは、苦々しい表情で首を横に振った。
「おはよう。レイ。……ちょっと、朝、実家から連絡があって……昔から飼っていた犬が今朝方亡くなったらしいの。私が生まれてすぐくらいに家にやって来た子だから、もう結構な老犬だし、最近は色んな病気も患っていたから、そろそろかと覚悟はしていたんだけどね……」
「そうなんだ……。それは、悲しいね……」
「私が一人だった時もずっと一緒にいてくれた、大切な家族だったのよ……。本当は実家に帰って、お葬式をあげたいくらいだけど、流石にそんな理由では学校を休めないから全部お父様に任せることにしたわ……。今度の休みに、お墓へお祈りに行くつもり……」
涙が滲む目を伏せて、唇を震わせるマーリーンに寄り添って、そっとその肩を抱いた。
全ての生物は、いつか必ず死ぬ。
生きていく以上、死の別れは、けして避けられないものだ。
大切な家族を失った悲しみを癒やす為に必要なのは、どんな言葉でもなく、時間だ。
時の流れが、胸に広がる喪失感を癒やしてくれるのを、待つしかない。
「元気を出して、マーリーン。……君がそんな風に悲しんでいるのは、きっとその子も辛いと思うよ……」
迷った挙句、私がマーリーンに言えたのは、そんなありきたりな言葉だけだった。
マーリーンは私の言葉に静かに頷いて、目に滲んでいた涙を拭った。
……あれ。マーリーンの右手の引っ掻き傷が、増えている?
マーリーンの右手の甲に、昨日合った赤い引っ掻き傷の先から斜め方向に折れ曲がったような形で、もう一つ赤い傷がついていていた。
……また、寝ている時に、たまたま引っ掻いてしまったのだろうか。
なんてことがない、ただの引っ掻き傷。それなのに、何だか無性に胸騒ぎがして仕方なかった。
「……流石に今日のお茶会には、マーリーンは呼べないな」
大切な飼い犬を失くしたばかりのマーリーンが、フェニを見るのは辛いものがあるだろう。
マーリーン自身、今日は皆といるよりも一人でいることの方を、望んでいるだろうし。
「……仕方ないだろう。フェニ。君がマーリーンを好きなのは分かるけど、事情が事情なんだから。そんな風に拗ねないでくれよ」
普段お茶会に集まるメンバーの中でもマーリーンが一番気に入っているらしいフェニは、少し不満そうだったが、それでも私の言葉に渋々ながらも頷いてくれた。
「それにしても……何なんだろう。あの傷」
……妙に、気になるんだよな。あの傷。
特別理由はないけれど、何だか嫌な予感がして仕方ない。
こう言った時の勘って、結構当たるんだよな……。
「……きゃっ」
「……あっ、ごめん! 大丈夫かい!?」
考え事をしてたせいで、廊下の角から現れた亜麻色の髪の女の子の存在に気付かず、ぶつかってしまった。
よろめいた女の子の体を慌てて受け止めて謝ると、女の子はかあっと顔を赤く染めた。
「――レ、レイ様……!!」
「ついつい考えに熱調してしまって、君が来ているのに気付かなかったよ。本当に、ごめんね。どこか痛い所とかは、ないかい?」
「だ、大丈夫です!! 私の方こそ、ぼうっとしてごめんなさい!!」
首をぶんぶんと左右に振りながら女の子は、慌てて私から離れた。
その拍子に、女の子のポケットから、ひらりと何かが落ちた。
「何か落ちたよ……て、あ……」
女の子が落としたのは、見覚えがある、あの薄紫色の手紙だった。
「あ、そ、それは……」
「何だ。あの手紙をくれていたのは、君だったんだね」
焦りを露わに狼狽える女の子に、私は笑いかけた。
「いつも、手紙ありがとう。気になっていたから会えて嬉しいよ」
「あ……その……ご、ごめんなさい!! ……き、気持ち悪かったですよね。白紙の便箋が入った手紙なんて……」
「いや、いや、大丈夫だから、頭を上げて!! 気持ち悪くなんかないよ!! 君の気持ちも分かる気がするし」
膝に顔をつけんばかりに深く頭を下げたその子を、慌ててフォローする。
実際、不思議だと思っていたけど、気持ち悪いとは思った事は無かった。
「……やっぱり……レイ様は……」
「うん? ごめん、何て言ったのか聞こえなかった。もう一回、言って貰ってもいいかい?」
「いえ……その……やっぱりレイ様は、優しいな、と思いまして」
そう言って顔を上げた女の子は、にこりと微笑んだ。
パッと見はそれほど目立たないけど、よく見るととても愛らしい子だな。
「私の名前は、カーミラ・イーリスと言います。……初めて見た時から、ずっと、レイ様に憧れていたので、こうしてお話出来て嬉しいです」
「そうか。よろしくね。カーミラ。私は、レイリア・フェルド……って、言わなくても知っているか」
「勿論、知ってます。……ずっと、見てましたから」
細めていた目が開かれて、珍しい紫色の瞳が露わになった途端、何故かぞくりと肌が粟立った。
紫水晶のように煌めくその瞳はとても美しいのに、どうしようもなく不安な気持ちにさせられる。
その時、ふと気が付いてしまった。
女の子が大好きなフェニが、何故かカーミラには警戒を露わにして、近づいていないと言う事実に。
「……あ……私、レイ様のユニコーンに、嫌われてしまったみたいで」
「あ……その、ごめんね。カーミラ。今フェニは機嫌が悪いんだ……」
カーミラもまた、私と同じタイミングで、それに気が付いていたらしい。
悲しそうに眉を下げるカーミラを慌ててフォローする。
フェニの反応はあんまり気にしちゃ駄目だな。……下世話な話になるけれど、貞操に関する問題かもしれないし。
貴族社会において、婚前交渉は良くないことではあるけれど、あくまでそれはカーミラやカーミラの家が判断することで、無関係な私が糾弾することでもない。
カーミラに恥をかかせてしまうかもしれないし、ここは敢えて何も言わないでおこう。
「あ……それより。カーミラ。昨日、君初めて便箋にメッセージを書いてくれたね。嬉しかったけど、『待っていて下さい』って、あれどういう意味だい?」
「……え、あ……」
嫌な空気を断ち切るように話を変えると、カーミラはどこか戸惑ったように、視線を彷徨わせた。
「……その……今までずっと、勇気がなくて遠くから見ていただけなんですけど、近いうちに思い切ってレイ様に、会いに行こうと思いまして……」
「あ、そういう意味だったんだ」
「会いに行く前に、こうやって偶然お会いすることになったんですが。……その、私、先日の武闘大会を見ていたんです。レイ様が、ザイード・レパーディアと闘うところ、見ていたんです」
……ああ。やっぱり、あの試合のせいか。
「ありがとう。応援していてくれたんだ。ごめんね、負けてしまって」
「いえ!! レイ様はとても素敵でした!! そもそもザイード・レパーディアは、ヘルハウンドの力借りていたわけだから、ずるいです!! それなのにレイ様は互角に戦ったんですから!!」
「……いや、守護獣の力も、実力なうちだし……私だって、フェニの力も借りていたしね。加えて下級精霊からも力を借りていたから、その辺はおあいこだよ」
「でもレイ様は、ザイード・レパーディアのように力に溺れて暴走したりはしませんでした!! 自分の力量も顧みずに力を求めた挙句獣化して、理性を失うだなんて、本当最低です!! 何も無かったからいいものの、あれで暴走してレイ様を傷つけていたらと思うと……本当、許せません!! あのまま、退治されてしまえば良かったのに!!」
友人だと思っているザイードを貶されて、自然と眉間に皺が寄った。
……カーミラの言うことも一理あるし、私のことを思ってくれるのは分かるけれど、退治されてしまえば良かったのになんて、言い過ぎだろう。ザイードに、死ねば良かったと言っているようなものじゃないか。




