葛藤の理由
「……少なからず交流があったザイードと、全く縁がなかったアーシュ・セドウィグとでは、話は全然違ってくる。……もしお前が動かなくても、俺はザイードに関してなら自分で動いていた。だから、後悔するかもしれないとか変な気を使うったりするな」
「そっか……やっぱりそのあたりは相手によっても変わってくるものだよな」
「? 当たり前だろ。人間なのだから。全ての人間を救おうだなんて、不可能だ。それでも、多少なりとも思い入れが相手なら、救えるなら救いたいと思うさ」
「そうか……いや、そうだよな……」
全ての相手を平等に扱って、同じ物差しで測るなんて、無理だよな。人次第で対応が変わってもおかしくない。
……それが、当たり前なんだよな。普通は。何故だか少しだけ、もやもやしてしまう私がいるけれど。
「……もし話を聞くことで、複雑な立場に立たされることになっても、アルファンス、君は本当に後悔しないかい?」
「くどい。知らない後悔よりは、俺は知る後悔を選ぶ。それがザイードと……お前に関わることならな。……さっさと話せ」
私の念押しに、はっきり言い切ったアルファンスの目に迷いはなかった。
私は、少し躊躇った後、全てをアルファンスに話すことにした。
「--なるほどな。あの時ザイードの様子がおかしかったのは、やっぱりヘルハウンドのせいか」
私の話を聞き終えたアルファンスは、両腕を組みながらため息を吐いた。
「……ネルラ先生が言うには、ヘルハウンドがザイードを主として相応しいか見定めるのは武闘大会じゃないかって」
「十中八九、その推測は正しいだろうな。それ以外では戦士にでもならない限り、自身の力を披露する場なぞ滅多にない。ヘルハウンドがザイードの実力を見るには、それが直近で一番相応しい場だ」
……やっぱり、アルファンスもそう思うのか。
改めて、自分の逃げ場が一つなくなったような、そんな追いつめられている間隔に唇を噛んだ。
「……アルファンス。やっぱり聞かない方がよかったと思っただろう?」
きっと、アルファンスも私同様の葛藤を抱いていることだろう。そう思って発した私の言葉にアルファンスは大きく首を横に振った。
「――いや、お前から話が聞けてよかったと思っている。そういう事情ならば大会の時の俺の動き方も変わって来るからな」
動き方が変わってくるって……。
「まさか君、ザイードにわざと負けるつもりなのかい?」
アルファンスの顔が、一瞬で般若のように歪んだ。
「ああ? そんなことする筈ないだろう。そんなことはザイードに対しても、ヘルハウンドに対しても、侮辱と同じだ。そんなお情けで得た勝利に、何の意味があるというんだ」
良かった。……アルファンスもやっぱり、そう思うよな。
私はアルファンスの考えが自分と同じであったことにホッと胸を撫で下ろした。
「まさか、って言っただろう? 本当に君がそうすると思ったわけじゃない。……それで、君は一体どうするつもりなんだい?」
アルファンスはぶすくれた表情で片眉を顰めたまま、小さく肩を竦めた。
「別に……ただ、ザイードが満足するまで付き合ってやろうと思っただけだ」
「満足するまでって……どういう」
「……まあ、それは当日次第だな。実際ヘルハンドの力がどれくらいの物か分からないし」
……ザイードが満足したとしても、ヘルハウンドがザイードを主と認めるかどうかは別問題だと思うんだけど。
しかし、私の懸念と裏腹にアルファンスの目は確信に満ちていて、迷いがなかった。
「レイリア。ザイードのことを思うなら、くれぐれも試合に手を抜くような真似はするなよ。お前がそんなことをすれば、侮辱されたと思って怒りで魔力バランスを崩したザイードが、勝敗関係なく暴走することだってありうるのだから」
「……分かったよ。だけど、もしそれで私が勝ってしまったら……」
「大丈夫だ。お前が心配することは何もない。……お前はただ、全力で大会に臨めばいい」
そう言ってアルファンスは、自信ありげに口端を吊り上げた。
「きっと、あいつなら大丈夫だ。……お前も、ザイード・レパーディアという男を、もっと信じろ」
「――信じろと言われても、なあ」
私は魔具を外したフェニの背中に跨りながら、大きく溜息を吐いた。
あれから大した進展もないまま、いつの間にか大会まで一週間を切ってしまった。
大会には召喚獣の使用も許可されている為、私は学園側に申請を出したうえで、すぐ傍の森でフェニとの協力戦闘の練習をしていたわけだけど、やはりどうも集中できない。
どうしても、『もし自分が勝ってしまったら』『その結果、ザイードがヘルハウンドに主として認められず、ネルラ先生共々魔力を失ってしまったら』……そんな嫌な未来ばかりが頭を過ぎってしまう。
「……アルファンスは何であんな自信満々でいられるのだろう。……自分との勝負が、人間二人の人生を狂わせてしまうかもしれないことが、怖くはないのかな」
私はフェニの首元を抱くようにしながら、そのさらさらの鬣に鼻を埋めた。
フェニはアルファンスの名前に、一瞬不快を示すように体を強張らせたが、私の行為自体は嬉しかったのかそれ以上は機嫌を悪くする様子もなかった。……名前を聞くだけで、そんな嫌がるなんて、本当に君はアルファンスが好きじゃないんだな。
思わず乾いた笑みが漏れた。
そのままそっと指先でフェニの鬣をすいた。
絹のようなフェニの鬣に触れているうちに、なんだか無性に泣きたい気持ちになった。
「……何だか私、いつも迷ってばかりだな。うじうじ一人で悩むのなんて格好悪いのに……理想の私とは違うのに」
私はこういう時にいつだって、アルファンスのように、迷わずに一つの道を選ぶことが出来ない。
迷って、葛藤して……その癖最終的には、理性よりも感情を優先して暴走している。分からないから、したいことをただ、優先しているんだけなんだ。
今だって、アルファンスからは「ただザイードを信じて当日を待て」と言われているのに、本当はザイードの所に押しかけて彼の胸の内を聞きだすべきなのではないかという衝動に駆られたりする。……それで、実際に何が変わるかは分からないけれど。
理想。理想。理想。
私はいつだって、ただそれを追いかけているだけで、何があってもぶれない強い芯というものがきっとないんだ。
だから、いつだって自分の選択が正しいのか迷ってばかりいる。
……ヴィッカ先生やアルファンスの言葉で、ようやくその事実に気が付いた。
「……君が羨ましいよ。アルファンス。いつだって迷いなく、自分のすべきことを選べる君がさ」
【――あ、みずのこがいる】
【ちがうよ、ちのこだよ。だって、ちぞくせいの、ゆにこーんをつれてる】
【ちがうよ。かぜのこだよ。だってくおるどが、きにいっているっていってたもん】
【ちがうの! みずのこ! だってでぃあんぬも、あと、みずのだいせいれいさまも、きにかけてらっしゃったもん】
【ちのこだよ!!】
【かぜのこ!!】
【だからみずのこだって!!】
不意に、すぐ傍で聞こえて来た、子どものように舌足らずで高い三つの声に、驚いて顔を上げた。
……こんな森の中に、子どもなんているのか?
しかし、慌ててあたりを見回しても、どこにも子どもらしい姿は見えない。
代わりに目に入ったのは、それぞれ違う色の光を発しながら蛍のように飛び交う、三つの小さな丸い光。
『下位の精霊って見たことある? 蛍みたいに小さな丸い光の形状で、ふわふわ飛んでるんだけど、あんまりしゃべりは上手くないけど、すごく優しくて可愛いんだ』
以前、アーシュから聞いた話が脳裏に浮かんだ。
「……もしかして君達は、精霊?」
私が初めて目にした下位の精霊達は、私の言葉に嬉しそうに体を揺らした。




