学園教師の胸の内
ヴィッカ先生は床に倒れて頭を抱えたまま、涙目で私を睨んだ。
「……年長者と、教師。いくらお前が貴族の立場だとしても、身分とは別問題でどちらも敬うべき存在だと、お前は親からは躾けられなかったのか。レイリア」
「普段は敬ってますし、精霊術の専門家としてきちんとヴィッカ先生のことも尊敬してますよ。……ただ、私の親は『礼儀も状況によりにけり』とも言っておりましたからね」
「……俺は全く、今の状況が礼儀を金繰り捨てるような緊急事態とは思えないがな」
ヴィッカ先生は大きく溜息を吐くと、強かに打った頭を摩りながらふらついた足どりで、立ち上がった。
「……で? 聞きたいことっていうのは何なんだ。さっさと言え」
「私の質問に答えて下さるんですか? さっきまではとても嫌がっていたようでしたが」
「……今追い返した所で、懲りずにお前が何度も研究室に推し掛けてくるのは目に見えてるからな。どうせ結果が同じなら、さっさと済ませちまった方がましだ」
「ならば、遠慮なく」
ヘルハウンドのことも重要だが、後から惚けられない様、まず言質を取ったばかりの今のうちに聞いて置かないといけないのは……。
「どうして、ヴィッカ先生が私とディアンヌのやり取りを知っていたのですか?」
「ディアンヌ? ……誰だ。その女は。俺はそんな女知らないぞ」
……何だ。名前までは知らないのか。
「ウンディーネの名前です。さっき私がウンディーネに殺されかけたとかおっしゃってましたよね」
「ああ。あの精霊、そんな名前なのか。……何故、俺が知っているかって? 言っておくが知っているのは俺だけじゃないぞ。学園中の教師がお前らとウンディーネのやり取りを知っている。クオルドから報告を受けたからな」
「クオルド……風の高位精霊が、あの場にいたんですか!?」
「ああ。アルファンスでも見えないように、姿を隠した状態でな。フルーリエが、そう手配した」
「っそれじゃあ、フルーリエ先生もやっぱりアーシュを救おうとされていたんですね!!」
あくまで精霊側に立って、ウンディーネに憑りつかれた男は自業自得だから諦めろと切り捨てていたフルーリエ先生。正直冷たすぎるのではないかと思っていた私もいた。
そんな先生が、後から思い直してアーシュを救おうとしていてくれたのだと思うと、思わず口元が綻んだ。
しかし、ヴィッカ先生はそんな私の反応を鼻で笑った。
「――勘違いするな。レイリア。俺はもう、アーシュという奴がどんな男だったのかも記憶がないが、そいつがウンディーネに憑かれていた生徒だとしたら、お前の考えは間違っているぞ。フルーリエは、精霊を敵に回してまで精霊憑きの生徒を救う気なんてさらさらなかったんだからな」
「っそ、それじゃあ、どうして!!」
「お前の為だ。レイリア・フェルド。お前が無鉄砲な正義感から精霊の邪魔をして、危害が加えられないように見張らせていたんだよ」
……私、の為?
「……あの時、アルファンスが来なければ、クオルドが風の魔法で迫ってきた水を逸らしていた筈だ。どっちにしろ、お前は碌な傷を負うこともなく守られていたわけだ。そして、そうなっていたら、お前は風魔法によって強制的にあの場から回収されていただろう。ウンディーネに対して敵対する意志はないことを見せる為にな。当然、精霊憑きの男はそのまま置いて、だ。予定外にアルファンスが登場したせいで、算段は狂ったけどな」
「どうして……そんな」
「分からないか? レイリア。精霊憑きの男は、どうなろうが特に問題はない。問題があったことすら、精霊自身が記憶操作で揉み消してくれるからな。……だけど、レイリア。お前は違う」
ヴィッカ先生は、鋭い目つきで私を見据えた。
「精霊がお前を殺すないし、大きな負傷をさせた場合、その事実は事実としてそのまま残る。徐々に段階を追って記憶を消して行っていた精霊憑きの生徒と違って、お前に関する記憶の操作は誰に対しても行っていないからな。貴族の令嬢……それもただの貴族じゃない、名門中の名門である大貴族フェルド家の令嬢が、学園の管轄内で死んだり、生死の彷徨う様な、あるいは後遺症を負う様な大怪我を負った場合、その責任問題はどこに行くと思う? 何故事前に防げなかったのかと責められるのは誰だと思う?――この学園と、学園の教師以外の、何があるというんだ」
がん、と頭を鈍器で殴られたかのように感じた。
「……それじゃあ、フルーリエ先生がクオルドを見張らせていたのは、私の為というよりも、責任を問われない為という訳ですか?」
「フルーリエ個人の考えが知りたかったら、本人に聞くんだな。俺は知らん。ただ、俺だったら、自分の力量も顧みずただ青臭い正義感から考えなしに動いて、危険な目に遭った馬鹿な生徒なんて、責任問題さえなければ見捨ててるがな。自業自得だ」
容赦がない冷たい言葉が、胸に突き刺さる。
馬鹿な生徒って、どう考えても私のことだよな……。
「……私、先生たちはもっと生徒のことを大切に思って下さっているのだと思ってました」
「教師だというだけで、そんな聖人君子のような幻想をされてもな。……この学園にいる教師陣の殆どは教育がしたくて教師になったというよりも、自身の専門分野を深く追求する為に教師という立場が都合が良かったから、この職を選んだ奴ばかりだ。そうじゃなければ、わざわざ貴族のお坊ちゃんお嬢ちゃんばかりのこの学園で、好き好んで働こうなんて思うか。未だに、身分を全てと思って、脳もないのに平民出の教師を馬鹿にする糞ガキだったいないわけじゃないしな。気に入っている奴ならともかく、そうでもなければ生徒に対して職務以上に関わろうなんて思わない」
ヴィッカ先生の言葉は、私が教師という職業に対して抱いていた幻想をことごとく打ち砕いていった。
……私だって、もう十六歳だ。世の中理想ばかりで動くわけではないことも、汚い現実だって、ある程度は知っている。……知っているつもりで、いる。
生徒に対して特別深い情が無かったとしても、ヴィッカ先生をはじめとした学園の先生たちは皆一流の知識人であり、また教師という立場にいる責任を果たすために奔走してくれる。それだけで、十分良い先生だと言えるのだろう。
……分かってる。分かってるけど……。それでも思わずにはいられない。
「……大人って、汚い」
思わずつぶやいてしまった一言に、ヴィッカ先生は嘲笑うかのようにニィッと口端を吊り上げた。
「おめでとう。レイリア。後一年もすれば、お前も汚い大人の仲間入りだ。――言っておくが、お前が大人として生きることになる貴族社会の大人たちは、俺達よりもずっと汚くて面倒臭いぞ。せいぜいお前が、綺麗なままであろうとして、底に溜まったヘドロで足元を掬われないことを祈ってる」




