悪魔の定義
『他人のことで身を削る、あんたは馬鹿よ。貴族なんて、周りを押しぬけて、出し抜いてなんぼなのに』
以前マーリーンから言われた言葉が頭を過ぎる。
現実の貴族社会は、絵本の中の世界のように甘くも優しくもない。
絵本の王子様を目指す私の幻想は、近い将来必ず裏切られることだろう。
知っている。
それでも、理想と程遠い世の中を、要領よく、精一杯生きていくしかないということも分かっている。
色んな物を、今大事だと思っている様々なものを切り捨てて。
……知っているけれど、せめて学園を卒業するまでは。
「――それじゃあ、ヴィッカ先生が『責任問題』を問われない為にも、私の質問にちゃんと答えて下さい」
それが許される間だけは、私は理想の私を追求したいんだ。
「ザイード・レパーディアが、ヘルハウンドを守護獣として従えたとお聞きしました。けれど、この本にはヘルハウンドは悪魔だと書かれています。悪魔と契約することは、法律で罰せられる重罪です。そのことについて、召喚の監督責任者としてどのようにお考えですか」
ヴィッカ先生は、私が鼻先で突きつけた本を前に、眉を顰めた。
「――また、随分古い本を引っ張りだしてきたものだな。まだ、そんな前時代的なことが書かれてる本があったのか。いつの分類だよ」
ちょっと見せてみろ、とヴィッカ先生は私の手から本をもぎ取ると、ひどく呆れた表情でぱらぱらとページをめくった。
「……うわ、ひでぇ。オークや、グール。セイレーンまで悪魔に分類されてるじゃねぇか。お前、いくら本に書かれていたからってこんな古い知識信用するなよ。学問という物は、時代を追うごとに進化していくものなのだから」
「ど、どういうことですか?」
オークや、グールは人間を好んで食らう凶暴な魔物だし、セイレーンは海に住んで、美しい歌声で船人を海の中に沈める人魚だ。
どれも人間にとっては好ましくない存在ばかりだが、だからと言ってそれらはけして「悪魔」ではない。
それなのに、どうしてこの本ではそれが「悪魔」として扱われているんだ?
「単純なことだ。多くの生物の分類は、人間が定めたものであって、絶対的なものではない。時代や考え方によって、いくらでも変わりうるんだ。……レイリア。お前は『悪魔』の定義をなんだと思っている?」
「それは……魂を引き換えに人間の願いを叶え、周囲に災厄を撒き散らす存在だと」
「そうだ。現在の分類においては、悪魔は第一に『魂を引き換えに願いを叶えること』、第二に『契約者以外の多くの人間に害をもたらすこと』、この二つの定義を満たす存在だとされている。だが、そんな定義が出来たのは最近のことだ。一昔前は、ただ人間に害を与える魔物というだけで、全ていっしょくたに悪魔に分類されていたんだよ。この本は、そう言った時代に書かれていたものだ」
「それじゃあ、ヘルハウンドは……」
「悪魔と言われた時代もあったが、悪魔なんかじゃない。少なくとも、今の分類においてはな。俺もザイードも、法を犯すようなことはこれっぽっちもしてないぞ」
それじゃあ――ザイードが悪魔に憑りつかれているのだと思ったのは、ただの私の早合点?
そう思ったら、かあっと顔が熱くなり、自身の無知が恥ずかしくなった。慌ててヴィッカ先生に頭を下げる。
「す、すみません……私、何も知らなくて」
「……まあ、授業では現在必要とされている知識は教えても、知識の変遷までは教えてないからな。お前が知らないのも無理はない」
「私、早合点でヴィッカ先生に随分ひどいことを……」
「……ああ、後頭部はかなり結構痛かったというか、今でも痛いがな。だけど、一応お前も自分の友人を思ってのことだからな。攻撃されたとはいえ、貴重なユニコーンを間近で見られたのだから、それで許してやるよ」
そう言ってヴィッカ先生は、にっこりとほほ笑んだ。
「――じゃあ、これでもう、お前の悩みは解決したな? それじゃあ、俺は仮眠に戻るからこの部屋から出てってくれるか?」
その胡散臭すぎる微笑みに、すっかり流されかけていた私は我に返った。
ヘルハウンドは、悪魔ではなかった。
悪魔ではないけれど、悪魔に分類されるような行動を取る生き物だった。
……人間を害す、存在だったのだ。
「――ヴィッカ先生、ヘルハウンドが悪魔でないことは理解しました。そのうえで、お聞きしたいんですが。この辞典に書かれている内容自体は、正しいのですか?」
ヴィッカ先生は張り付けていた胡散臭い笑みを一瞬で消し去ると、盛大な舌打ちを漏らした。
「気づいたか……そのまま流されて、帰っていればいいものを」
「先生、私のこと騙しましたね……」
「俺は何一つ嘘は言っていないぞ。ヘルハウンドは悪魔じゃない。ただその事実を伝えただけで、お前が勝手に騙されたんだ」
私が睨み付けて抗議しても、ヴィッカ先生は悪びれもしない。
……この人は……。
「……それで? 本の内容自体は合っているのですか」
「間違っている部分もあるが、合っている部分があることも確かだ。ヘルハウンドが、自身と契約を結んだ相手を、特別な力を与えた代償として、人ならざるものに変えてしまうことは事例としてはままある」
「っそれじゃあ、やっぱりザイードは……」
「ただし『全ての主』に行われるわけではない。ヘルハウンドは、自らの主に相応しいと判断した相手には、代償なしに特別な力を与えて、忠実に従うんだ。化け物に変貌してしまうのは、ヘルハウンドから選ばれなかった奴だけだ」
「……選ばれればいいとか、そういう問題ではないと思いますが」
「――だが、レパーディア家の現当主殿は、お前と違ってそういう問題だと判断されたようだぞ。召喚の授業の後、すぐに連絡を入れた結果な」
現レパーディア家当主は……ザイードの実の父親だ。
「そんな……自分の子どもが、化け物に変貌しても構わないだなんて……」
「構わないと本心から言っているとは思わないが、最悪の場合それもやむなしとは思っているだろうな。――それくらい、闇属性の一族にとってヘルハウンドの存在は重要で、契約を破棄することなんて考えられないものだから」
ヴィッカ先生は肩を竦めながら、手にしていた辞典を私に差し出した。
「何故、これに書かれているようなヘルハウンドの情報が、召喚獣の本には書かれなくなったと思う? ……化け物になってしまった被害者の家族から、度重なる陳情があったからだ。『私達が特別と崇めるヘルハウンドを、他属性の人間が見たら悪魔と勘違いするような書き方をするのは許せない。悪いのは全て選ばれなかった人間の弱さで、ヘルハウンドではない』と」
「……どうして、そんな……家族が被害に遭っているのに……」
「さあな。俺は、闇属性は皆無だから分からない。闇属性の奴らは、遺伝的性質が殆どなだけに一族以外にそう言った話は漏らさないからな。……ただ一つ言えるのは、ほんの百年ほど前まで、闇属性が強い人間はその不安定な性質故に、迫害される被差別的立場だったということだ。それがたった百年で、闇属性が最も濃いとされているレパーディア家が貴族の中でも名家と言われるまでになった。今では、闇属性だからと恐れる人間はいても、迫害しようと考える人間はいない。……そうなった背景には、ヘルハウンドの存在があったんじゃないかというのは、あくまで俺の推測だがな」




