アーシュのお願い
「……そうか」
私には、ただそれしかアルファンスの返すことが出来なかった。
憎しみに囚われてなんになると、許してしまったほうがずっと楽だと、本当はそう言いたかった。
だって、誰かを、何かを憎み続けることなんて不毛だ。
ただ、心を無駄にすり減らしてしまうだけなんだから、それよりも過去を過去と割り切って前を向いて生きる方がずっといい。
……だけど、そう思ってしまうのは、多分私が生まれてこの方、憎しみらしい憎しみを抱いたことがないからなんだろう。この十六年間、たくさんの人に守られて、幸せに生きてきたからこそ、恵まれているからこそ言えるのだろう。
愛すること理屈ではないように、憎むことだってきっと理屈ではない。
誰かの言葉で、簡単に気持ちを変えられるようなものではない筈だ。私の言葉で、きっとアルファンスの憎しみは変えられない。
私には、分からない。
自分という存在が、ある日突然周りから忘れ去られてしまう恐怖を。
自分自身を、生きてきた軌跡を、作り上げてきた関係が、ある日突然奪われてしまうことの、恐怖を私は分からない。
精霊憑きにあったアルファンスの気持ちは、アルファンスにしか分からない。
だからきっと、何もわからない私が、これ以上アルファンスに何も言うべきではないんだ。
「昨日俺が言ったことは俺の価値観の押しつけだ……だけど、きっと俺は同じようなことがある度、例え価値観の押しつけだろうと、何度でも同じことを言うだろう。高位精霊には関わるな、とお前に言い続ける。危険だから近づくなと、お前が受け入れなくても何度でも警告し続ける」
アルファンスは、そう言ってどこか泣きそうな表情で目を細めた。
その顔は、夢で幼いアルファンスがしていた表情と似ていた。
どくんと、心臓が音を立てて鳴る。
「何かが、あってからじゃ遅いんだ……俺は、レイリア……お前にだけは、」
「――失礼しまーす。あ、良かったー。まだ早いけどレイもアルファンス王子もいたー。まだ他の生徒もいないし、ラッキー」
アルファンスの言いかけた言葉は、突然教室の中に入ってきたアーシュの声によって遮られた。
同時に入口の方に向いた私とアルファンスの視線に、アーシュが少し目を丸くしたあと、どこか気まずそうに頬を掻いた。
「……あれ。もしかしなくても、俺、お邪魔な感じだった?」
……いや、いやいやいやいや。
「……アーシュ。君が何を想像していたか分からないけれど、多分君が思う様な場面ではないよ」
「ああ、うん……まあ、レイにとってはね。……ごめんね。アルファンス王子。変なタイミングに」
「……俺の会話を遮ったことを除けば、断じてお前が思う様な場面じゃない。気にするな」
「……アルファンス王子、もしかして邪魔されて拗ねちゃった?」
「拗ねてなんかいない!! ……それより、俺達に何か用があったんだろう。幸いまだ他の生徒もいないことだし、減らず口を叩いてないで、さっさと要件をいえ」
「……はあーい」
へらへらと笑って軽口をたたいていたアーシュだったが、ふと真顔になると背筋を正して、私とアルファンスに向かって深々と頭を下げた。
「――まずは、二人とも昨日は色々迷惑を掛けて、本当にごめんなさい。……そして、本当にありがとう」
思わずアルファンスの方を見てしまった。どこか複雑な表情をしたアルファンスは、大きく溜息を吐いて、アーシュを見下ろした。
「……取りあえず頭を上げろ。アーシュ・セドウィグ。レイリアはともかく、俺は謝罪をされる理由があっても、礼を言われるようなことは何もしてないぞ。ただ、無鉄砲な婚約者を回収しに行っただけだからな」
「……だけど、それでも俺の為にディアンヌと話してくれたでしょう? 解決策自体は乱暴だったけどさ」
「単に身勝手なウンディーネに腹が立っただけだ……そうじゃなきゃ、お前なんかとっとと見捨ていた。お前一人消えたとしても、周りの奴らの記憶とお前の痕跡が消えるなら、何の問題もないしな」
「……アルファンス。……アーシュ。私も一応謝罪は受け入れるけれど、正直礼を言われるようなことはしてないよ。勝手にしゃしゃり出て、君達の関係を引っ掻き回しただけだ。しかもそれもあくまで君の為ではなく、ミーアの為……そして、私の理想の為にだ」
改めて思い返してみても、最終的に水の眷属になることを選んだアーシュにしては、よけいなお世話でしかない行動だったと思う。
あのまま放っておいても、結果は大して変わりなかったのだから。
私がしたことはただの自己満足で、お礼を言われるようなことではない。
「二人とも正直だなぁ……だけど、俺は、そしてきっとディアンヌも、君達二人に救われたんだ。だからやっぱり、お礼を言わせて」
顔を上げたアーシュは苦笑いを浮かべながら、私とアルファンスに視線をやった。
「昨日二人があそこに来てくれなかったとしたら、俺はただディアンヌに流されるがままに眷族になって、ちゃんとディアンヌに向き合えなかったと思う。……俺はずるくて弱いから、あんなことでもなかったら、ディアンヌに過去を突きつけることなんて出来なかっただろうから。傷つけたくないからと自分自身に言い訳して、誤魔化して……そのままディアンヌを罪悪感で壊してしまっていたかもしれない」
「……アーシュ」
「二人が、俺の背中を押してくれたんだよ。……レイもアルファンス王子も、俺とそんなに関わりがないのに、体を張ってディアンヌの対峙してくれたから……レイなんて、ディアンヌの水魔法で死に掛けながらも、それでも俺を何度も呼んでくれた。二人がそこまでしてくれているのに、俺がびびって、ただ流れに身を任せてるわけにはいかないでしょ?……お蔭で俺は、ちゃんとディアンヌと分かり合えた。こうして今日学園に来て、ミーアにお別れを言うこともできる。……感謝してもしきれないよ。本当にありがとう」
「……そうか」
自然と口元には笑みが浮かぶのが分かった。
アーシュに言われた言葉が、嬉しかった。
正直を言えば昨日から、ずっと私がしたことは本当に意味があったんだろうかと、何度も自問自答していたのだ。
ミーアの為と言う名目のもと、ただ自分の理想を貫きたいが故に、深い関係もなかったアーシュの恋愛ごとに首を突っ込み、最後にはアルファンスまで傷つけた。
本当は私がしたことは全部間違いだったのではと、そう思っていた。
だからこそ、今こうしてアーシュが感謝を口にしてくれることが、私の行動を肯定してくれたことがただ嬉しい。
一方でアルファンスは、やっぱり不機嫌そうな顔で顔を背けていた。
だけどあの表情は……伊達に幼馴染をしていないから、何となく分かる。あれは、満更でもない顔だ。
……素直じゃないアルファンスは、言ったところで認めないだろうけれど。
「……で、迷惑ついでに、もう一個だけ付き合って欲しいことがあるんだけど」
「これ以上、何を迷惑掛けるつもりだ。お前」
「あ、アルファンス王子じゃないよ!! アルファンス王子はもう、大丈夫。……俺は、レイに頼みたいことがあるんだ」
……あ、これはアルファンス、完全に不機嫌な顔だ。今の言葉で完全に気分を害したな。
表情自体はあんまり変わってないのに……やっぱり分かるものだな。
「ああ、うん……私にかい?」
「うん。……あのさ。今日の放課後、ミーアに俺のこと話そうと思うんだけど、その時レイも一緒に立ち会ってくれないかな? 俺が全部話すから、レイはただ、いてくれるだけでいいんだ。ミーアもレイならいいって言うだろうし」
「構わないけど……今日が最後なのだから、幼馴染同士二人きりの方が良いんじゃないか? 私がいると話づらいこともあるだろうし」
「うん……そうなんだけど」
アーシュは視線を逸らしながら、バツが悪そうな表情で再び頬を掻いた。
「だけど……ミーアと二人きりで向き合うのは、やっぱり怖くて……」
……………。
「……君は、本当に臆病なんだな」
「うう……ごめんなさい。……でも、ちゃんと向き合えるんだったら、ほら、とっくの昔にミーアに詳しい事話しているしさ? こんな風に何も言わずに消えたりとかしないって」
「開き直るなよ……」
深い深い溜め息が口から漏れる。
――まあ、でも乗りかかった船だ。
「わかったよ……放課後、私も付き合うよ」
最後まで、ちゃんと見届けようか。




