第7話 悲劇と喜劇と高田馬場
高田馬場駅の早稲田口は、休日だというのに学生らしき人で混み合っていた。
その中には、僕と同じく模試を受けに来ているのだろう高校生の姿も見受けられた。
僕は改札口付近で秋葉を見つけた。
背が高いので見つけやすくていい。
サングラスとキャップで変装した僕は、スーツ姿の母と共に秋葉に近づいた。
母がにこやかに秋葉に挨拶をした。
「悟君、おはよう」
「あっ、おはようございます」
「よう、おはよう」
「えっ?夏樹ちゃん?なんでここに?柚樹は?」
「ごめんなさいね、柚樹、熱出しちゃって、今日の模試来れないのよ」
秋葉は母の説明に首を傾げる。
「柚樹なら額に冷却シート貼り付けて、這ってでも来そうなんですが」
よくわかっているじゃないか。
さすがは幼馴染みだ。
熱など文明の利器と気力と根性で散らしてみせる。
「夏樹ちゃん、もしかして受けるのか、模試」
「非常に遺憾だが、受けることになった」
「……なんか、性格変わった?まるで柚樹と話しているようなんだけど」
しまった。
相手が秋葉だから警戒心が緩んでた。
母がそれとなく脇腹を肘で突いた。
「おほほほ。ほら、柚樹のマネしたら成績が上がるんじゃないかと思ってるのよ、この子」
脇腹は痛いが、ナイスフォローだ、母。
「それよりも、悟君、柚樹と組んでデビューしない?おばさん、絶対に売れると思うのよ。あっ、悟君一人でもいいのよ、どうかしら?」
模試の待ち合わせで営業するな。
「すみません。俺、猫の腎臓病研究に一生を捧げたいんで。そのためにも、いまは勉強一本に絞りたいんです」
僕が公務員志望なら秋葉は獣医志望だ。
飼っていた猫を腎臓病で亡くして以来、こいつは脇目も振らず、勉強し、暇を見つけては小動物臨床向け雑誌を読み漁っているのだ。
「柚樹の友人らしいわね……」
母が至極残念そうに言った。
秋葉は苦笑を浮かべて「すいません」と言い、ペコリと頭を下げた。
「受付もあるんで、行きます。柚樹によろしく言っておいてください」
「ええ。伝えておくわ」
「秋葉、頑張れよ」
「おう。夏樹ちゃんもな」
秋葉は僕のエールに片手を上げると、踵を返した。
会場へと向かう秋葉の後ろ姿を見送る。
本来なら僕も秋葉と一緒にあの会場で模試を受けていたのに。悔しさと寂しさが込み上げてきた。
僕は紛らわすようにぎゅっと袖口を握りしめた。
「さあ、ボロが出て騒がれない内に行くわよ、柚樹」
この模試で百番以内を狙う僕を捕まえて、ボロが出るとなんだ。
失礼な。
母といると感傷に浸る暇もないな。
僕は俯きがちに歩き、待たせていた車に母と乗り込んだ。
運転席には小山さんが神妙な表情をしてハンドルを握っていた。
わかる。
わかるよ、小山さん。
僕だって、家を出るまでは柚樹だったんだから。
僕は今朝の阿鼻叫喚の一幕を思い出して、眉を寄せた。
「はあっ!?どういうことだ!?父さん、父さんはどこだ!」
「神は私を見放さなかったーっ」
玄関先で恐慌状態の僕と小躍りしている母。
騒ぐ僕たちに、何ごとかと寝ぼけ眼の父が顔を覗かせた。
「ふぁっ……なにを騒いで――」
父が僕をガン見する。
「これは、どういうことだよ、父さん!?」
「……遅効性か?」
眠気でとろんとした目が一転して、獲物を狙う猛禽類のような鋭い目に変わった。
「おおよそ、十六時間経過か。となると持続時間はどうなるんだ?あのとき、あれを入れたが今回は……」
顎に手をやり、ぶつぶつと呟く父。
父よ、分析や考察は後にしてくれ。
「柚樹〜この日のために誂えた着替えよ〜ほら、キャップと眼鏡も用意したわよ」
母がロゴの入った袋から服を取り出した。
模試はコレクションじゃない。
量販店のシャツにチノパンで充分だ。
そんなブランドものを持ってくるな!
母より父だ。
「父さん、直ぐに元に戻るよな?」
「わからん。」
わからんって……五里霧中いやこの場合は暗中模索。
いや、適切な四字熟語を探すのは模試のときでいい。
「前のときは直ぐに効果が出たが、今回は時間を置いてだ。効果の持続時間も八時間なのか数分なのか予測不可能に近い」
「ねぇ、それって下手したら模試を受けている間に効果が切れて、元に戻るかも知れないってこと?」
母の質問に父があっさりと頷く。
僕と母は悲鳴にならない声を上げた。
研究者なら己の産物に責任を持て、父。
薬の効果がいつ切れるかわからない状況。
それは一歩間違えば、奈落の底ということだ。その状況下で模試を受ける……。
僕は震え上がった。
まさに胆戦心驚だ。
「どうするんだよ、母さん」
模試は受けたい。
けど、途中で替え玉受験とバレるのはマズい。
恐慌状態寸前の僕に母がきっぱりと言った。
「効果がいつ切れるかわからないなら、このまま夏樹で受けるわよ。行くも地獄引くも地獄。なら突撃あるのみ!」
企業のトップとしての母の胆力を垣間見たが、僕はそんな一億総玉砕みたいなのは嫌だ。
そして、正しくは、「進むも地獄、退くも地獄」だ、母。
それよりも、僕の用意した、『テヘ、ペロ』で済ますという案はないのか、母。
「効果が切れたらどうするんだよ」
「カンで切れそうと思ったら、薬を飲めばいいわ」
胆力ではなかった。
無謀なだけだった。
簡単に言う母に父が待ったをかけた。
「待て、今の薬と先日の薬の併用について、安全性を確認していない。飲むのは駄目だ」
「イチバチで……」
「止めろ。もとに戻らなくなっても知らないぞ」
「仕方ない。良一さんは、直ぐに持続時間を割り出してちょうだい。判明したら連絡をして。後は、薬が切れないことを祈るしかないわ。そうだ、柚樹、ご先祖様にも手を合わせるわよ」
苦しい時の神頼みならぬご先祖頼み。
母の頭の中を見てみたいと、今日ほど思ったことはない。
素早く頭を切り替えた母は呆気にとられている僕の首根っこを掴むと、化粧を施すためにリビングに引き摺って行った。
「時間がないから、ヘアスタイルとリップだけにするわよ」
てきぱきと夏樹を作っていく母。
夏樹用に用意した服を手にした母が、ふと手を止めた。
「……下だけ替えて……そうね、上はいまのままがいいかも」
なにがだ、母。
量販店のシャツだぞ、これ。
「休日に彼シャツを思わせる男性用シャツにデニムショートパンツ。袖口から覗く指先。足元はスニーカー……夏樹になかった小悪魔的な雰囲気。新規のファン層が開拓できる。イケる、イケるわよ、柚樹」
「模試になにを求めているんだ!英、国、数、理、社以外求めるな!」
思い出しても目眩がする。
神聖な模試に替え玉受験をしたことが判明したら、今後、模試を受験できなくなるかもしれないじゃないか。
そのことに僕が戦々恐々としているというのに、
保護者が浮かれまくっているとは何事なんだ。
母としての自覚を持て。
「目白の会場までやってちょうだい」
僕の感情などお構いなしだ。
非常に遺憾ながら、車が静かにスタートした。




