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第6話 敵は春野家にあり

 やらかしてしまった……。

 この春野柚樹、一生の不覚。

 しかしながら、不可抗力とも考えられないこともない。

 急に別人になったのだ。それは致し方ないことだろう。

 すでに、個人申し込みも、団体申し込みも締め切った後だ。

 夏樹名義では申し込めない。

 つまり、夏樹の受験は事実上、不可能。

 だが、受験すると言ってしまった。

 痛恨のエラーだ。

 さて、どうするか。

 この難関問題を解くために、僕は三日間、六当五落の精神で考えた。

 四当五落は根性至上主義の昭和の思考だ。

 記憶の定着や日中のパフォーマンス維持には最低でも六時間の睡眠が必要と、予備校講師も言っていた。

 そして、導き出した解答は、


『体調不良で模試受けるの無理になっちゃった

(TOT)。ゴメンね、エヘッ』


 エヘッはペロでも可だろう。

 解答はこれ一択だ。

 これならば、誰にも迷惑はかけないし、夏樹の言い訳としても自然だ。

 ふふふ。

 難問クリア。

 気分がいい。

 さて、模試に備えてネットで提供されていた想定問題を解くとしようか。

 僕がスマホを手にしたとき、


 バン!


 と僕の部屋のドアが勢いよく開き、母が満面の笑みで入って来るやいなや、ハイトーンで宣った。


「柚樹、夏樹の受験票が届いたわよ。これでイケるわ」


 なんだとぉっ!?

 母が僕に一枚の紙を突きつけ、胸を張る。

 受験票だ。

 どうやって手に入れた、母よ。

 まさか、闇マーケットに手を出したのではなかろうな。

 偽造か?

 改ざんか?

 僕は咎めるような目で母を睨んだ。

 犯罪に手を染めるとは情けない。

 未使用だし、証拠隠滅さえすれば……。

 じっと受験票を見る。

 やるしかない……。

 僕が夏樹名義の受験票に手を伸ばした瞬間、母が受験票をひらひらと波打たせながらくるくる踊り始めた。

 止めろ!埃が立つ。

 そして、こちらに受験票を寄越せ。


「知り合いに電話をかけまくったけど、色よい返事がなくてね。もうこれは記者会見開くしかないと思ってたんだけどね」


 しまった。

 記者会見用のコメントは考えてなかった。

 まぁ、笑って


「ゴメンね、テヘ」


 でいいだろう。

 後の対応は母の管轄だ。


「さすがは私の強運。さっき、テレビ局から電話があったのよ」


 無駄に運を使うな。

 後生大事に取っとけ。

 まあ、いい。

 経緯確認が先だ。


「どういうことだ?詳しく説明を」


 母が話すには、テレビ局のプロデューサーが受験元の教育・通信教育会社に、一名なんとかならないかと電話をかけたそうだ。

 余計なことを。

 初めは渋っていた会社側も、受験者が夏樹であると知り、一度、上と相談すると言って、電話を切った。

 その後、紆余曲折、理解したくもない大人の諸事情により、締め切り後だが、特例として認めることになったらしい。

 特例を作ると歯止めが効かなくなるから認めるなよ。

 いいのか?

 それで。

 母曰く、ライバル模試との差をつけたい会社側の思惑とテレビ局の視聴率を稼ぎたい思惑が合致した結果らしい。

 呆れた。

 真面目に申し込んだ僕たちに謝れ。

 憤懣やる方ない。


「でもね、やっぱり締め切りは締め切りじゃない。それを守ってないんだから、ある程度は縛りもあるわけ」


「縛りとは?」


「ええっと、なんだったかな……ちょっと待ってね」


 母がA四サイズの茶封筒をごそごそ漁った。


「あった、あった……なになに、日程は同じだが、一般受験者と一緒の受験は不可。指定された会場の一室で、単独での受験。採点方法、結果発表については、他の一般受験者と同様……だって」


 個室で他の受験者に煩わされることなく、模試が受けられるだと!?

 VIP待遇じゃないか!

 ふざけるな!

 僕はわなわなと怒りに震えた。


「会場はと……目白だって」


「はっ?目白?僕の受験会場は高田馬場だ」


「……一駅くらいなんとでもなるわ」


「なるかっ!一旦、会場に入ったら休憩時間以外は入退出禁止だ」


 母が真っ青になった。


「それに、あれを飲んだら、八時間はそのままなんだぞ。夏樹になるのは無理だ」


「初めから夏樹でいいじゃない」


「いいわけあるかっ!模試は――」


「はいはい、あんたの人生よね。わかってるわよ。けど、これは春野家の浮沈に関わることなのよ」


「母さん、考えさせてくれ」



 明日は模試というのにまだ結論が出ていない。

 今日は結論を出さないとマズい。

 春野家か、僕の人生か。

 くっ。

 究極の選択。

 ……待てよ。

 夏樹は『エヘッ、テヘ、ペロ、ゴメン、ヤダ、オ・ネ・ガ・イ』の六単語で思いのままにやってきた前科がある。

 しかも、『可愛いは正義』というわけのわからない法則を使いまくっていた。

 ならばだ、『エヘッ、ゴメン』の二単語と法則を使えば回避できるのではないか?

 よし。

 方針は決まった。

 春野柚樹一択だ。

 僕は休みを取って、リビングで寛いでいた母の元に向かった。

 じっと母を見つめ、言い放った。


「夏樹になって、エヘッ、ゴメンで謝り倒し、僕で受験する」


「無理。絶対に通用しないわ。それをしたら最後、路上生活へ一直線になると思うわ」


 なぜだ。

 中身が僕だからか?

 母は目を細めた。


「柚樹、あんたは柚樹で模試を受けたい。けど、あたしは夏樹で模試を受けてもらいたい。どこまで行っても平行線よ」


 僕は頷いた。

 このことでは、母とは暗くて深い溝がある。


「ならば、恨みっこなしで、あみだくじにしましょう」


 人生をあみだで決めるか。

 くじ運に賭けてきたな、母よ。


「あみだくじだと、運が左右する。それは不公平だ」


「なら、ガラポン」


「自分に利のあるくじ運から離れろ、母さん」


「どうするのよ。このままじゃ決着がつかないわよ」


「父さんに決めてもらう」


「良一さんに?どうやって」


「いまから二人で離れの父さんの実験室に行く。お互い父さんにプレゼンして、その結果で僕と夏樹、どちらが受験するのがいいか判断してもらう。父さんは実験が絡まなければ公平な判断力がある」


「そうね。ここで不毛なやり取りをするよりはいいわね。行きましょう、柚樹」


 僕と母は父の実験室へと足音も荒く向かった。




「で、来たのかい。はあっ。暇だね、君たちは」


 白衣を着た父がため息をこぼした。

 呆れを滲ませた父を前に、僕と母は渾身のプレゼンを繰り広げた。

 一通り聞き終えた父は、僕と母を見比べて裁定を下した。


「柚樹が毎日努力をしていたのを知っているからね。私は柚樹が受けるのが筋だと思うよ」


 父よ、ありがとう。


「そんなぁ……」


 母はがっくりと肩を落とした。

 実験台の上にはフラスコだの試験管だのが並び、ビーカーの中の液体が白い煙を溢れさせていた。

 ホワイトボードには化学式が書かれ、付箋が貼られた専門書が乱雑に置かれていた。

 いつ来てもカオスだな、ここは。

 僕と決まり、安心したら喉が渇いた。

 飲み物ないかな。

 備え付けの冷蔵庫を見る。


「父さん、飲み物ある?」


 そこかしこに実験中のものが置かれているからこの部屋のものは要注意だ。

 聞かないで飲むと後が恐ろしい。


「冷蔵庫の中にあるビーカーに入っている物で――」


 ビーカーに飲み物。

 実験室あるあるだな。

 僕は冷蔵庫を開けた。

 紫色の物はヤバいだろう。

 緑やオレンジ色もなんか嫌な予感がする。

 残ったのは、黒い液体と紅茶色の液体。

 コーヒーと紅茶か。

 紅茶にしよう。

 僕は紅茶と思しきものを手に取り飲んだ。

 味がないな……。

 僕が飲み終えたとき、父さんが思い出したように言った。


「あっ、紅茶みたいなのは避けろよ」


「飲んだ後だよ。早く言えよ」


「飲んだのか?あれは開発中の薬だったんだが……」


 この流れ。

 ものすごく嫌な流れなんだが。

 じっと僕を見る父の目が研究者のそれだ。

 五分経過。

 十分経過。

 父が残念そうにため息を吐いた。


「失敗か」


「失敗って?良一さん」


「都に頼まれてたあの薬だよ。なかなか上手くいかないな……」


 気落ちする父は、ついでとばかりに


「あっ、飲んでも無害だから、安心しろ、柚樹」


 そんな重要なこと、ついで言うな!

 失敗で良かった。

 もうここにあるものは、絶対に口にしないと決心した。



 模試当日。

 無事に迎えられたことに感謝だ。

 父の薬を飲んだときは生きた心地がしなかった。

 とりあえず、鏡で僕であることを確認した。

 うん。

 春野柚樹だ。

 受験票と見比べる。

 間違いなし。

 カバンに受験票を入れ、忘れ物がないかを最終確認した。

 よし。

 では、いざ、出陣。

 部屋を出るとき、武者震いなのか身体が震えた。

 気分が高揚しているな。

 落ち着かなければ。

 階段を下り、家の奥に向かい声をかけた。


「いってきます」


 靴を履こうとして違和感に気がついた。

 靴が合わない。

 大きい。

 ……。

 見送りに奥から出てきた母が、口をパクパクさせた。

 なんだ?

 玄関脇の姿見が目に入った。

 そこにいたのは――


「なんじゃ、こりゃっ!!」


 春野夏樹だった。

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