第3話 アイドルは三割打者
僕はスタジオの片隅で水色のフリフリのステージ衣装を着て出番を待っていた。
片手には単語帳。
模試の過去問を手にできないところが辛い。
くっ。
レースの手袋を着けているせいで、ページが捲りづらい。
「ごめんね、柚樹君。君に迷惑をかけて」
あたりを憚り、小声で謝ってきたのは、小山一郎。夏樹の専属マネージャーであり、母の右腕でもある。
年齢は三十歳でキリッとした顔立ち、業界では敏腕マネージャーとの噂も高い人物だ。
その人がめっきりと老け込んでいる。
きっと夏樹が迷惑をかけまくったせいなのかと思うと申し訳なさに涙が出そうだ。
小山さんは胃がヤラれているのか、しきりとスーツの上着の中に手を入れて、胃のあたりを擦っている。
入れ替わり情報を知っている人間は少ないほどいい。でも母と一人でのガードは現実的には無理。だから、せめてあと一人くらいは手が欲しい。
しかし、誰でもいいわけではない。口が固く、この業界に明るく、突発的な案件にも対応でき、公私混同しない人物となると限られてくる。
そして、母が白羽の矢を立てたのが、小山さんだった。
元々、夏樹のマネージャーだった小山さんに事情を話し、協力を仰いだ。
知らされたときの小山は真っ青を通り越し真っ白になり、今にも倒れそうになっていた。
あれもこれもすべて夏樹のせいだ。
小山さん、夏樹のバカがすみません。
そして、兄妹共々、ご迷惑をおかけします。
心の中で平身低頭で謝った。
「柚樹君、じゃあ最終確認をするよ」
「よろしくお願いします」
僕は泣く泣く単語帳を小山さんに預けた。
「夏樹ちゃんのアイドル戦略は、ちょっと天然でおっちょこちょいな天真爛漫な女の子なんだ」
……真逆だ。
いくら、そういう子が男性層にウケるとはいえ、僕にそれを求めるのは針鼠に盆踊りを踊れというようなものだ。
眉間に皺が寄る。
できる気がしない。
「で、今日の仕事はバラエティ番組で、『アイドルの学力はどのくらい?』というものだから」
何じゃそりゃ?
ひと昔前に流行った番組の二番煎じみたいだな。
需要あるのか?
「この番組、結構視聴率があってね。出演するにも、事前に試験があるんだよ」
「試験」
こんな番組に?
「それに受からないと出演はできない。ある意味、受験戦争を勝ち抜かないといけない。大変なんだよ」
「で、夏樹は受かったと」
「そうなんだ。あっ、夏樹ちゃんのテスト結果もらってきたから見るかい?」
夏樹のテスト結果だと?
勿論見る。
受験戦争、テストと聞いては見ずにはいられない。
「見たいです」
「ちょっと待ってね」と言って、小山さんはカバンを開き、探し出した。
そして、二枚目の紙を取り出した。
「はい、これ」
「ありがとうございます」
受け取ったテストを見て、僕は顎が外れかけた。
Q:マグナ・カルタを出した人物は
A:カーネルサンダース
KFCの創業者だろう、それは!イギリスのジョン王と書けよ!
Q:墾田永年私財法を説明せよ
A:田んぼは永久的に私の財産という意味
……微妙だな。
新しく開墾した田畑の永久私有を認めるという事なんだが……きっと、田→田んぼ、永年→永久、私財→私の財産って考えたな。
Q:一九八九年に崩壊した壁は
A:ぬりかべ
おい、ゲゲゲの鬼太郎の妖怪を答えてどうする。
Q:劉備、関羽、張飛の桃園の契りとは
A:ブロマンスからの三角関係
……試験に三角関係が出題されるかっ!
め、目眩がする。
あいつ、正気か?
夏樹は記述問題はヤバいが、選択問題は全問正解だった。
あいつはこういうカンで解答すればなんとかなる問題については、驚異的な的中率で当てるんだよな。赤点を免れていたのも、高校に合格したのも絶対にカンだと僕は信じている。
啞然とする僕を見て、小山さんは苦笑いを浮かべた。
「夏樹ちゃん、記述問題は壊滅だから……」
「笑って許されることじゃないですよ、これ」
「まぁ、そうなんだけど、夏樹ちゃん、アイドルだから」
いや、アイドルだからといって桃園の契りを結んだ英傑の三人を三角関係と書くのは人間として駄目だと思いますよ、僕は。
「それでね、今日なんだけど、理数系らしいんだ」
「得意分野です。問題ありません」
「いや、そうじゃなくて、柚樹君、いまは君、夏樹ちゃんだから彼女らしく答え書いてよね」
「……解くなと」
「打率三割が目標かな」
「それだと赤点ですよ?」
「夏樹ちゃんだからいいんだよ。それと、今日は特番なんで、特別ゲストとして、赤井悠二が来るんだ」
「赤井悠二って、数学の神講師の?」
「うん」
僕の目が光った。超有名進学ゼミで数学を教えていて、教えを受けると数学の成績が爆上がりするという講師だ。彼のクラスは募集をかけると五分で埋まり、漏れた学生は号泣することで有名だ。何を隠そう、僕も号泣した一人だ。
その赤井講師が来るだと?
数学の問題集取りに帰ったら駄目だろうか。
あのページとあのページの問題が、いまいち理解できてないんだよな。
なんとなく理解はできるけど、それは理解したうちに入らないし。
個人教授のチャンスじゃないか。
質問したい……。
そわそわし始めた僕に、小山さんが釘を刺す。
「柚樹君、三割打者だよ、三割打者。難度の高い質問をしては駄目だからね」
くっ。
こんなチャンス滅多にないのに。
ライトに照らされた教室を模したスタジオ。
正面には黒板と教卓があり、机と椅子が横三列、縦四列に並んでいた。
スタジオを慌ただしく動くスタッフ。テレビカメラや収音マイクの最終調整が行われている。
そんな中をアイドルや芸人合わせて十二名が席に着いていた。
僕の席はありがたくもない最前列の端。
この位置だとライトが当たり黒板が見えにくいんだ。
一番後の席に座っているのが、夏樹と同期デビューで、ライバルと言われている早坂久美子。
売り出し路線が同じなので何かと比較され、早坂久美子も夏樹に並々ならぬライバル意識を持っていると小山さんから聞いた。
今も僕を睨んでいる。
まだ収録は始まらないのか?
僕には時間がないんだよ。
あと七時間と九分……。
待ち時間が惜しい。
小山さんも腕時計をちらちら見てはスタッフに確認している。
ようやく、ディレクターの「本番、いきます」という掛け声が飛んだ。
スタジオの空気がピンと張り詰めた。
回し担当の芸人が、本日の講師を呼んだ。
セットの開き戸を開け、赤井講師が入って来た。
うっ、後光が見える。
知らず知らずのうちに手を合わせていた。
小山さんが慌てて手を振っているのが見えて、知らん顔して手を机に置いた。
仕方ないじゃないか。
神がいるんだから。
テスト問題が配られた。
全部で五問。
関数や方程式、証明問題、そして微分・積分が出題されている。
あれ?
この問題……
最後に出題されているものは数字が違うが、昨年の最難関大学の問題だった。
これ、いまいち理解ができなかった問題じゃないか。
えっ、質問していいの?
いいよね、出題されているんだから。
瓢箪から駒、棚から牡丹餅。
自分でも目がキラキラ輝くのがわかった。
「はい、では答え合わせをします」
赤井講師の拝みたくなる解説。
聞き逃したら駄目だ。
全集中!
さすがだ。物凄くわかりやすい。
これで理解できないなら受験は諦めた方がいい。
「最後の問題はちょっと難しかったかな」
「先生!」
居ても立ってもいられずに、僕は立場も忘れて手を挙げた。
えっ!?
スタジオ内が微妙な空気に包まれたが、このチャンスを逃したら一生後悔する。
聞くはその場の恥、聞かぬは一生の恥。
赤井講師は苦笑混じりに
「なにかな?」
「ここからなんですが――」
すたすたと僕は前に出て、チョークを手に取ると黒板に解答を書いていった。
呆気にとられている周囲になど構ってはいられない。
僕の人生がかかっているんだ。
「すごいね、合ってるけど、なにがわからないの?」
「ここはこちらの式でも解けるんじゃないかと思うんですが」
「ああ、それはね――」
赤井講師の説明で疑問が一気に解けた。
神、神だ。
心の中で感動に咽び泣いているとスタジオ内にディレクターの声が飛んだ。
「カーット!!」
その声にハッと引き戻された。
ヤバい。
「夏樹ちゃん、個人的な質問はダメだよ」
「夏樹ちゃんって、ウケ狙いで、もしかしたらデキないフリしてるの?」
と久美子がチクリと嫌味を言った。
いくら僕でもこのままだとマズいのはわかる。
反省の色を浮かべて、手を合わせた。
「す、すみません。お兄ちゃんが悩んでたから……」
この難問の解答を記憶できるくらいなら普通に勉強ができるだろうと思うのだが、夏樹の顔に騙されたスタッフや出演者は誰も追及しなかった。
小山さんがハンカチで汗を拭いているのが目に映った。
小山さん、ごめん。
一旦休憩を挟むことになり、スタジオの変な空気も薄れていった。
「柚樹君、頼むから夏樹ちゃんになって。打率は三割すれすれがベストなんだからね」
胃を押さえながら小山さんが懇願する。
申し訳ございません。
神様の降臨に我を忘れてしまいました。
反省します。
「では、再開します」
スタジオにアシスタントディレクターの声が響いた。
後半はトークコーナーだった。
赤井講師は前半だけと知って、僕のテンションは一気に下降線を辿った。
ああ、あの問題も聞きたかったのに。
神がいない後半など気の抜けた炭酸飲料水、ヤル気なんてこれっぽっちも出ない。
僕は司会役の芸人をぼんやり見ていた。
「では、まだ若い君たちの夢を聞こうかな。大金持ちになりたいとか、ある?」
「それはお前だけや」と芸人仲間からのツッコミが入っていた。
他人の夢を聞いて楽しいのだろうか?
他人がなにを目指そうが、堅実に公務員一択の僕には関係がない。
ゲストから話すことになっているようだ。
次々に僕にはどうでもいいことを話しだした。
「何の役もこなせる女優です」
ふ〜ん。頑張れ。
「ワールドツアーしたいですね」
自腹で世界旅行なら直ぐにでもできるぞ。
久美子の番になった。
「私は〜、みんなのアイドルかな?」
みんなのって、どの範囲まで含めるんだ?
世界規模なのか、秋葉原界隈なのか、そのあたりを明確にしないと戦略が立たないぞ。
ツッコミを入れていたら、
「じゃあ、前半大活躍だった夏樹ちゃんは?」
と急に振られた。
本来なら想定問題集通りに「頑張って、ドラマや映画に出たいです」というところを焦ったために
「公務員希望です」
と言ってしまった。
あっ、マズい。
小山さんが『あちゃー』と頭を抱えたのを目の端に捉えた。
「夏樹ちゃん、夢がない〜。それとも、ウケ狙い?笑えるんですけど〜」
久美子がにやにやして言った。
夢がないだと?
なにを言っているんだ、こいつは!?
教えねば。
薔薇色の公務員生活。
「そうかな?景気に左右されず、遅配の心配がない明確な給与体系、手厚い福利厚生。住宅ローンを組む時も審査に有利。区役所だと転勤で遠くに飛ばされる心配もない。素晴らしいのひと言じゃないか」
「はっ?なに言ってるの?住宅ローン?アイドルが?」
「いま、ここで考えておかないと、老後の人生が詰む。人生百年時代、備えあれば憂いなし」
「え、ええと、夏樹ちゃんの堅実過ぎる人生設計でした」
「堅実最高、公務員万歳!!」
静まり返ったスタジオ。
そこには膝から崩れ落ちる小山さんがいた。




