第25話 礼を言うのはなんだかな。それと、感謝と顛末書は別問題
「ストーップ!!柚樹、衣装が汚れるし、変な皺が入るかもしれないから床に正座はダメよ」
母が慌てて制止をかけた。
「ええーっ、ママ酷い。あたしより衣装心配するのってあり?」
夏樹がぶーぶー文句を言っている。
「戯け! 文句を言える立場か」
僕は夏樹を一喝した。
母もさすがに夏樹に対して厳しい目を向けていることだろうと隣を見ると、満面の笑みを浮かべていた。
なんだ?
目元が若干赤くなっているが。
革のスケジュール帳を握り締めているところを見るに仕事への影響を考えたな。
おい、ここは親として説教の一つもするところだろうが、母よ。
「夏樹ちゃん、そろそろ……あっ、社長、来られていたんですか。柚樹君も一緒?」
小山さんが控え室のドアからひょっこりと顔を出し、僕たちの姿に目を丸くした。
「あっ、行かないと。お仕事、お仕事」
助かったとばかりに、夏樹は調子よく僕の横を抜けようとしたので、腕を掴んで引き止めた。
そうはいくか。
「夏樹、帰って来いよ」
「帰って来いって、家だよね?」
「他のどこに帰る気だ」
「なんかカンが、緊急避難信号を連発してんだけど……」
夏樹の眉が八の字になった。
「父さんにも顔を見せろ」
「あっ、そうだね」
「それと、お前のスマホ寄越せ」
「なんでよ?」
「お前の代役をしていたときの引き継ぎや連絡先を入れておく」
夏樹は「そっか」と言い、素直に差し出した。
僕はスマホを受け取ると、にやりと笑みを浮かべ、収録に向かう夏樹の後ろ姿を見送った。
「柚樹、あんた……顔、怖いわよ……」
母は僕の笑みに顔色を悪くして、僕から距離を取った。
夏樹、今回の顛末は帰ってからじっくりと聞かせてもらうからな。
顛末書の提出は当然だが、今後の再発防止に向けたPDCAも回してもらわねば。
僕は夏樹にどう顛末書を書かせようかと考えながら、帰路についたのだった。
夏樹が家に帰って来たのは、薄暮を少し過ぎた頃だった。
「ただいま〜」
玄関先で待ち構えていた僕は夏樹を捕まえると、そのまま、仏壇のある部屋へと連行した。
座卓を指で示す。
「座れ」
「えっ、なんでこの部屋ぁ」
夏樹が渋々と腰を下ろした向かいに、僕も座った。
怒られるときはいつもここだったことを思い出したのか、夏樹は露骨に嫌な表情をしていた。
「説教をするならここだろうが」
「あたし、怒られることしたぁ?」
「怒られることをしただぁ?」
僕は夏樹をぎろりと睨みつけた。
夏樹の背筋が伸びた。
「あ、あはは、ちょっとはしたかな……?」
「ちょっとどころじゃないだろうが!仕事に穴を開けたら何人に迷惑をかけると思ってる。どれだけの損害が出るか、考えたか。小山さんのデリケートな胃腸にも心理的、物理的両方面で過重な負担をかけたんだぞ、わかっているのか、夏樹!!」
僕は雷を落とした。
夏樹は首を竦め、身を小さくした。
怒りは疲れる。
どっと疲労を覚えた僕はため息を吐くと、目を逸らさずに夏樹に尋ねた。
「話せ」
「……」
「すべて、包み隠さず、僕が納得いくように話せ」
「……」
「今回のやらかしの理由、黙っていた理由、兄である僕が聞いてやる」
夏樹は黙って俯いていた。
僕はすっと立ち上がった。
夏樹が顔を上げて、弱々しい目で僕を見た。
「飲み物、取ってくる。その間に、いつ、どこで、誰が、なにを、なぜ、どのようにをできるだけまとめておけ」
僕は襖に手を掛けたまま振り返り、
「……わからないなら、最低でも、『なぜ』だけはわかるようにしろ」
夏樹にそう言い残した。
キッチンの冷蔵庫を開け、パックの野菜ジュースを二つ手に取った。
冷蔵庫を閉めて振り返ると、父が立っていた。
思わず、手にした野菜ジュースを確認する。
よし、未開封だ。
「柚樹、夏樹は帰って来たのか?」
「いま、仏間にいる」
「そうか……手加減してやってくれ」
「考慮しとく」
父は苦笑を浮かべていた。
僕が仏間に戻ると夏樹は座卓に頬を付けていた。
夏樹の目の前に野菜ジュースのパックを置いた。
「あたし、これ嫌い」
「飲め。頭が活性化する」
のろのろと身体を起こして、夏樹は野菜ジュースのパックにストローを挿した。
夏樹はうへぇと言いながらも飲んだ。
「……なんかね、わかんなくなったの」
夏樹がぽつぽつと話し出した。
「夏樹ちゃんはこうだから、これが夏樹ちゃんだからって言われててさ、ちょっと違うことすると夏樹ちゃんじゃないって言われた……」
ストローを弄りながら、夏樹の視線は宙を彷徨っていた。
「どのあたしが本当のあたしなのかわからなくなったんだ……」
「……お前は馬鹿か?」
思わず、呆れたような声が出た。
その僕の声に弾かれたように夏樹が顔を上げた。
「なにをしててもお前はお前だろう」
「違うって言われても?」
「勝手に偶像を造って、押し付けてくるヤツに付き合う必要はない」
「インド象の親戚なんてもらってないよ?」
「……違う。アフリカ象でもアジア象でもない、偶像だ偶像!」
首を傾げる夏樹を見ていると頭痛がしてきたが、いつもの生活が戻ってきたことを感じた。
「妄想で作った……フィギュアだ」
これ以上噛み砕けないぞ。
「オタクが勝手に作ったフィギュアは、あたしじゃない……」
夏樹が呟く。
……微妙な解釈だが、違うと指摘するのも面倒だな。
他人を気にせず、自分が思うように動けと言いたかったんだが。
「なんとなくわかった……あたしはあたしでいいんだ。みんなに合わせなくてもいいんだ……お兄、頭いい」
夏樹が笑った。
いつもの『にぱっ』とした笑顔だった。
「それで、なぜすぐに帰らなかった」
「う〜ん。それなんだけどね、あのときは、カンが『まだだって』言ったんだよね……」
僕は夏樹の言葉に眉を顰めた。
説明になってないんだが。
「でも、お兄からの『お前が決めろ』って伝言を聞いたとき、『あっ、帰ってもいいかも』って思った」
「すまん。もう少し具体的に説明をしてくれ」
「めっちゃ、具体的じゃん」
「どこがだ」
ため息が漏れそうになる。
こいつは……。
自分で探っていくしかないのか、まったく。
僕が小山さんに伝言としてお願いしたのは『もうお前の代わりはできない。お前がどうするか決めろと』だが……。
「あっ、お兄、あたしの代わりやってて楽しかった?秋葉っち以外にも知り合いできた?」
「唐突になんだ。僕はいま、お前のあやふやな答えを論理的にまとめようとしているんだ」
「だってさ、お兄、小学校のときから勉強だけじゃん。友達だって、秋葉っちだけだし」
「だからなんだ。勉強は最早、僕のライフワークだ。秋葉以外の友人もいる。秋葉が特別枠なだけだ」
「それって……お兄と秋葉っちって……お兄!」
真剣な目をした夏樹が急に詰め寄ってきた。
なっ、なんだ。
顔が近い!
「大丈夫だよ。あたしはお兄の味方だからね。誰を好きになってもいいし、性別に囚われなくていいんだよ。時代遅れの固定観念なんて、無視だ よ、無視。あたしは気にしないし、秋葉っちならビジュアル的にもOKだし」
つい最近、似たような台詞を聞いたな。
間違いなく、お前と母は血が繋がっている母娘だよ。
秋葉が親友というだけで、どうしてそうなる。
全身から力が抜けていきそうだ。
お前の代わりをやって楽しかったわけがないだろう。
ありがたかったのは、赤井講師様、花澤講師様の講義を受けられたくらいだ。
それ以外は――。
ああ、そうか……そういうことか。
僕がこいつの代役をやったからこそ、あの言い方ができたんだな。
以前の僕なら、きっと「僕の受験勉強の邪魔はするな。即刻帰ってこい」と言っていたはずだ。
間違っても「お前が決めろ」なんてことは、言わなかった。
それが言えたのは……。
夏樹を盗み見た。
こいつに振り回された日々。
絶対に経験できないようなことを経験した。
その経験が無駄だったとは、決して言えない。
なんだかなぁ……いつも損をしているのは僕なのにな。
こいつに礼を言うのもなんだか癪だ。
「ねぇねぇ、お兄。秋葉っちとはいつから?」
興味津々といった表情で夏樹が聞いてきた。
こいつは、人の話を聞いていたのか?
僕は何度目かのため息を吐くと、
「夏樹」
「なになに?」
「顛末書を書け」
夏樹はきょとんとした表情をした。
「その後は、赤井講師様、花澤講師様にご迷惑をおかけしないよう、勉強するぞ。いまのお前の習熟度だと、両講師様の精神が崩壊する」
「えぇーっ!?なんでーっ!?」
夏樹の悲痛な叫び声が仏間に響いた。




