第24話 本人確認完了。迷回答いただきました
僕はリビングの時計を見た。
あと一時間でここを出なければ仕事に間に合わない。
だが、夏樹はいない。
あの馬鹿、入っている仕事をどうする気だ?
僕は広げていたノートを、苛々とシャーペンで叩いた。
小山さんへ伝言してから、丸一日。
音沙汰はない。
母の顔色は悪く、手の中のスマホをじっと睨んでいた。
あれ、連絡を待っているんだろうな。
心の中でため息を吐いた。
……最悪の場合は、副作用覚悟でTXーⅢを飲むしかないのか。
異常が出始めるのは平均七回前後。すでに一回使用している。使用可能な残り回数は単純に計算しても六回……。
だが、なにがあるかわからないので、母のいうように五回と見ておいた方がいいな。
一回だけなら……。
あいつより先に生まれただけで、僕がここまでしてやる義理はあるのか……
理不尽な。
母が顔を上げた。
その表情には、なにかを決心したかのような色が浮かんでいた。
「いま連絡を入れれば、代役がなんとかなるかもしれないわ」
諦めたな。
連絡を入れるのは賢明だ。
早いほど代役を手配する側も助かるというものだ。
……迷惑かけるよな。
僕は迷った挙句、母が連絡を入れようとするのを止めた。
「母さん、父さんのところに行って、TXーⅢをもらってくる」
「柚樹」
「乗りかかった船から途中下船するのは、性に合わない」
母が首を左右に振った。
「止めなさい。連絡を入れれば済むことよ」
「だが、迷惑をかけるだろう」
「そうね。社長としては頼みたいわ」
「なら」
「けど、母親として、子供を犠牲にすることはできない。子供に甘えずに、ちゃんと向き合わなきゃいけないって、学んだのよ」
母は笑みを浮かべて言うと、スマホを操作した。
「お世話になっております。オフィス・ブリランテの春野です。今日、うちの春野夏樹が出演させていただく――はあっ!?」
リビングに母の頓狂な声が響き渡った。
なんだ?
なにがあった。
「えっ、いえ、それならいいんです。大丈夫ですわ。ええ、よろしくお願いします」
電話を切った母が呆けたように座り込んだ。
目線はなにも捉えておらず、ただ空を見ているだけだった。
僕は僅かに顔を顰めた。
「母さん、なにがあったんだ?」
「うん……」
「うんじゃわからない」
「ああ、そうね……控え室、テレビ局、夏樹……もう入っているって」
日本語が変だぞ。
きちんとした日本語で話せ。
整理すると、すでにテレビ局の控え室には夏樹がいるってことか……。
「はあっ!?」
僕も母と同様に素っ頓狂な声を上げたのだった。
「本物かしら?」
母が疑わしいと僕をちらりと見た。
いや、僕じゃない。
ドッペルゲンガー現象でもない。
収録スタジオに現れたのなら、仕事に穴を空けずに済んだな。
重畳だ。
これで安心して、勉強に励めるというものだとは、思うものの……。
う〜む。
シャーペンを持つ手が止まった。
「下手な考え休むに似たりよ。確かめるしかないわ!」
母が立ち上がり、僕の腕を掴んだ。
なぜ、僕の手を掴む。
「行くわよ、柚樹」
「いや、一人でいけよ、母さん」
「なに言ってるの。ダブルチェックするのよ、
双子なんだし、一発で見抜けるわよね」
双子の神秘性やシンクロニシティを期待してもらっても無駄だぞ。
そんなものはない。
「母親なんだ。僕がいなくとも見抜けるだろう」
「ごちゃごちゃ言ってないで、行くわよ」
母は僕を強引に車に乗せると、すぐさま、テレビ局へと車を走らせたのだった。
僕を乗せた車が地上から地下へ入る瞬間、開けていた窓から車内に入ってきていた潮風の匂いが、急にひんやりとしたコンクリートと排気ガスの匂いに変わった。警備員がこちらに向かい頭を下げる。僕は車の中からぺこりとお辞儀をした。
車が駐車スペースに滑り込む。
母が車を停めると、二人して車を降りた。
警備員に母が名前を告げ、インカムで番組スタッフを呼んでもらった。
若手の担当ADが息を切らせてロビーまで走ってきた。
「おはようございます。春野社長」
「おはようございます。わざわざごめんなさいね」
愛想よく母が挨拶をする横で、僕はやや俯きがちに立っていた。
「なにかありましたか?」
「ちょっと、夏樹にね」
「夏樹ちゃん、いつものとおり元気一杯ですよ……ええっと、そちらは?」
僕を見て尋ねてきた。
いまの僕は部外者だからな。
「私の息子。夏樹の双子の兄よ」
「ああ、あの勉強命のお兄さん!」
思い出したかのようにADがいう。
その言い方はなんだ。
初対面の人間にいう言葉ではないぞ。
僕が不機嫌を滲ませたことを感じ取ったのか、慌てて
「夏樹ちゃんが言ってたから……ごめんね」
あいつは僕をどう他人に紹介しているんだ。
ADに入館パスをもらい、首に下げた。
母と一緒に夏樹の控え室に向かった。
『春野夏樹様控え室』
と書かれたプレートがかかった部屋の扉の前で母と僕は立ち止まった。
僕は顔を見合わせると、ドアノブを回し、控え室に足を踏み入れた。
衣装を着た夏樹が、屈託のない笑顔で浮かべていた。その笑顔はまるで「ただいま〜」と言っているようだった。
その顔を見た途端に僕は、
「桃園の契りとは」
「ブロマンスからの三角関係」
「入国審査で入国目的を聞かれたら」
「斉藤寝具店」
間違いない。
目の前にいるのは夏樹だ。
僕の目がすーっと、細くなるのがわかった。
「夏樹、そこに正座」
僕は床を指さして言った。
明日の投稿にてこのお話も完結します。
明日は25話とエピローグの2話投稿となります。
今少し、お付き合いいただければ幸いです。




