第23話 吾輩は……である
束の間休み。
自室で参考書を広げて、予習に精を出していたが、ふとすると、これからのことが脳裏を掠める。
一昨日の赤井講師様との収録で最後の一回を使い切ってしまった。
赤井講師様に教えを乞うためなら悔いはない。
だが、一昨日、父に
「これで最後だ」
と薬を渡されたとき、一瞬、受け取るのを躊躇した。
まだ夏樹は見つかっていないのに、入っている仕事をこれからどうするのかと考えてしまった。
一番いいのは夏樹が見つかり次第、首根っこを押さえて連れ帰ることだ。
自分探しの旅?
知ったことか。
そのうち、宛所不明で差出人へ戻ってくるに決まっている。
差し戻ってくるまで待っておけばいい。
落として行方不明になったネジを探しているというのなら、待つのもやぶさかではない。
だが、不良品のネジが拾得物として届けられている可能性は低い。下手をしたら廃棄されているかもしれない。
そのときは、僕が一から仕込み直して作ってやる。その新しいネジをはめ込んでやるから安心して帰って来い。
で、一番の問題は見つからなかったときだ。
母はぎりぎりまで持ちこたえれば、なんとかなると勘で思っている節があるが、現状を見る限りでは十中八九無理だ。
「最悪、見つからないときは、懇意にしている病院に急病で入院したってことにして、時間稼ぎをしようかしら」
と呟いていた。
なにを後ろめたいことをして、追及を躱すために偽装入院する政治家みたいなことを考えているんだ。
だいたい、夏樹がいなくなった時点で、なぜ、それをしない。
そうすれば、僕が夏樹になり、水着を着ることもなかったではないか。
『人間とは強いて苦痛を求めるものであると一言に評してもよかろう』という夏目漱石の一文を思い出した。
不可抗力とはいえ、まったくだ。
まぁ、赤井、花澤両講師様の授業を拝聴できたことは、感謝をしているが。
僕は考える。思考は敵の陣中に在っても必要である。
沈思黙考。
一つ息を吐く。
やはり本人に聞くべきか。
僕は机の上の参考書を閉じた。
「こんにちは。柚樹ですが、母はいますか?」
僕は母の会社の受付で、インターフォン越しに尋ねた。
受付けは芸能プロダクションよろしく、大理石やウッドを使ったスタイリッシュな造りをしていた。
オートロックの二重扉、出入り口近くには警備員二人が立っている。
経費削減。機械化できるところは機械化して、人材を有効活用している。こう見ると、ああ見えて母はやり手なのだということを実感した。
対応してくれた男性は、確認後、ロックを解除して中へと入れてくれた。
僕はエレベーターに乗り、社長室のある階で降りた。
見知った人に挨拶しながら、社長室のドアを叩いた。
「どうぞ」
という応えがあり、僕は中へと入った。
母は窓を背に執務机に座り、書類を確認している最中らしく、顔を上げずに僕に尋ねてきた。
「柚樹がここに来るなんて、どういうこと?なに?アイドルとして仕事するうちに、面白くなった?悟君とデビューするなら社を挙げてプロジェクト組むわよ」
「そういう予定は、秋葉も僕も未来永劫ない」
「残念。で、なに?」
「小山さんと話がしたい」
「小山君と?小山君忙しいんだけど、重要なこと?」
「これからのことに係る」
母はじっと僕を見た。
「ふぅっ……わかった。小山君を呼ぶわ」
そう言って、母はインカムを押し、小山君に社長室まで来るように伝えた。
母はなにかしらを感じ取ったのか、
「柚樹……」
「なんだ」
「あたしはなにがあっても、あんたの母親だからね」
当たり前だろう。
いまさら養母だとか言われたほうが怖い。
なにを言っている。
「誰を好きになってもいいの。性別に囚われなくていいからね。時代遅れの固定観念なんて、無視よ、無視。ママは気にしないし、見捨てないわ」
と力づけるように言った。
「おい。ちょっと待て」
「大丈夫。パパが反対しようがママは応援するから、安心して小山君に告白しなさい」
右七五度の斜め上の考えに開いた口がふさがらない。
小山さんを呼んでくれと言っただけで、どうしてそうなる。
僕は頭を抱えた。
「そうじゃない。違う、まったくもって論外だ」
「隠さなくったっていいのよ?」
「隠してないわ!」
「じゃあ、なによ」
「夏樹のことだ」
「夏樹のこと……」
母の顔から笑いが消え、真顔になる。
考え込む素振りが見えた。
コンコン。
ドアをノックする音が聞こえ、母が返事をした。
小山さんが入って来る。
「社長、なにか」
「急に呼び出して悪かったわね。とりあえず、座って」
小山さんが向かいのソファに腰を下ろした。
「柚樹君も呼び出されたのかい?」
「いえ……僕は確かめたいことがあって、来ました」
「社長に?」
「いえ、小山さんに」
小山さんの目が僅かに泳いだのを、僕は見逃さなかった。
僕は小山さんに視線を合わせて、おもむろに尋ねた。
「小山さん、夏樹の居場所知ってますよね」
ガタンという音を立て、母が立ち上がった。
小山さんは押し黙っている。
僕は問い詰めるでもなく、詰るでもなく、ただ淡々と言葉を紡いだ。
「最初は漠然としたものでした。悪魔のような所業としか思えない料理を作る人物、家族と友人の秋葉以外知らない僕の土曜日の勉強習慣……そして、一番大きかったのは、スーパーでの写真騒ぎのとき、それを打ち消すかのようにタイミングよく投稿された画像と書き込み」
僕は一呼吸置いた。
「あのとき、小山さん、スマホを弄ってましたよね」
「……」
小山さんは先ほどと同じく、黙って聞いていた。
「けど、こうして一つ一つ積み上げていくうちに、偶然では説明がつかなくなってきたんです」
小山さんが天を仰いだのち、苦笑を浮かべた。
「うん、柚樹君ならそのうちに、なにか言ってくるんじゃないかと思ってたよ」
小山さんが目を細めて言った。
僕は小山さんに言った。
「もう一か月以上経っているんです。あの馬鹿はどうしているんですか?」
「元気だよ。少なくとも、行方を眩ませる前のときよりはね」
「夏樹に戻るように言ってください」
小山さんが頭から否定するのではなく、問いかけるように言う。
「それは夏樹ちゃんが決めることじゃないのかな?」
「それはそうです。ですが、仕事は別――」
小山さんが僕の言葉を遮った。
「まだだっていうんだよ、彼女が。まだ帰るときじゃないって」
どうせ、あいつのことだ。漠然とカンで言ってるに違いない。
己に課せられた責任をどう考えているんだ。
「無責任でしょ。それに、いろいろな人に迷惑をかけている」
「そうだね。それは彼女が反省しなきゃいけないところだ。だけどね……」
小山さんは一度言葉を切った。
「夏樹ちゃん、ずっと限界だったんだよ。売れ始めてから『春野夏樹』ではなく『アイドル春野夏樹』としてしか扱われなくなった。自分を見失ってしまったんだよ」
「……」
「あのままだと、夏樹ちゃんは壊れてたよ。無理に笑い、明るく元気だと装っていた。疲れていたことを僕は知っていて、いまが大事な時期だ。もう少ししたら休ませてあげられる。笑ってるからまだ大丈夫だ、次の仕事が終わったら、少し休めるからと先延ばししていたんだ」
自分の手落ちを悔やむかのように、小山さんは自嘲するように笑った。
「気がついたら、『次がすんだら』、『次で休ませられるから』、『次で』と『次』が続いていたんだ……マネージャーとして失格だよ。だから、彼女の居場所を言えなかった、いや、言わなかったんだ」
腰を浮かせていた母が椅子に力なく座った。
「あたしのせいもあるわね……あの子はなにも言わなかったから平気なんだと考えてた。ちょうど、人気が出始めて、足元を固めなきゃと無理をさせたのね」
「夏樹が疲れていたことはわかりました。周りが無理をさせていたということも。けど、夏樹にも非がある。なにも言わないで察してくれと言うのは驕りです」
「柚樹君……」
「……それに、この仕事を選んだのは夏樹です。夏樹に伝えてください。もうお前の代わりはできない。お前がどうするか決めろと」
僕はそれだけ言って席を立った。
あの馬鹿、僕にくらい話せ。
無性に腹が立った。
『呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする』
夏目漱石の小説の一文が、ふいに頭に浮かんだ。




