エピローグ アイドルなんかになる気なんてない!!
今日も夏樹はアイドルとして、テレビ番組の収録に元気に出かけて行った。
本人はけろっとして、以前にも増して楽しそうなのが腑に落ちない。
あの怒涛の日々はなんだったんだと、今更ながらに思う。
午後の図書館は人影がまばらだった。
窓から差し込む陽射しが、本棚の間を舞う埃をきらきらと照らしていた。
単語帳、問題集、ノートに筆記用具。
いつものセットが机に広がっていた。
目の前では秋葉が参考書と問題集を見比べていた。
日常が戻ってきたなと思う。
秋葉が顔を上げ、潜めた声で尋ねてきた。
「夏樹ちゃん、元の夏樹ちゃんに戻ったな」
秋葉の言葉にどきりとした。
どういう意味だ?
入れ替わりを知っているのか、こいつ……。
焦りを悟られないように平静を装って、僕も声を潜めた。
「どういう意味だ?」
「ちょっと前までの夏樹ちゃん、違和感があったんだよ」
「違和感……」
「ああ。高田馬場で会ったとき、一瞬、お前かと思った」
嫌な汗が背中を流れた。
「いや、お前が女装していたと言ってもいいくらいだった」
「馬鹿な」
と口にしたものの、心臓は痛いほど早鐘を打っている。
シャーペンを握る指にも力が入った。
「身長差があるだろう」
「そうなんだよな……」
秋葉、頼むからこれ以上、追及するな。
秋葉が考え込むように腕を組んで、目を瞑った。
僕は恐る恐る声をかけた。
「秋葉?」
秋葉は目を開け、肩を竦めた。
「やっぱり、考え過ぎたな。あの日は模試だったし、おばさんの言うように、夏樹ちゃんがお前の真似をしただけだったんだろうな」
「そうだな」
「そういえば、この前、たまたまICCって何だと聞いたら、子ども英会話教室って答えてたぞ、夏樹ちゃん」
国際刑事裁判所だろうが。
あいつ、頭の中でテレビCMを思い出したな。
「あははは、夏樹だから」
声を立てるわけにもいかず、小さく乾いた笑い声を上げた。
夏樹の回答を褒めていいのか、叱っていいのかわからないが、なんとか切り抜けたことは確かだな。
秋葉、お前、無駄に鋭すぎだ。
その考察力は試験勉強に使え。
間違っても、二度と考えるな。
「ただいま」
秋葉との勉強会を終え、無駄に疲れて家に帰ると、リビングに母がいた。
帰宅、早くないか。
いつもなら、もう少し遅いだろう。
母は僕を見ると、にこやかに笑った。
笑みがそこはかとなく黒い。
「おかえり、柚樹。勉強、疲れたでしょ」
なんだ、この胡散臭さは。
「まあ、ここに座って。ママ、お茶を淹れてくるからね。あっ、ジュースの方がいいかしら?」
「野菜ジュースで」
「わかったわ。ちょっと待っててね」
ますます怪しい。
母はいそいそとキッチンに向かうと野菜ジュースを手に戻ってきた。
僕の前に野菜ジュースを置くと、斜め向かいに腰を下ろす。
未開封の野菜ジュースだが、なぜか飲む気がしない。
意を決して母に尋ねた。
「なんだ?なにを企んでいる」
「イヤね、まるでママが悪事を計画してるみたいじゃないの」
「違うのか?」
「違うわよ。ただね……」
にこっと笑った表情が、母親のものではなく、社長のものだった。
「柚樹、公務員志望やめてアイドルになる気ないかなぁなんて、思っているだけなんだけど?」
「ない!」
即座に断った。
愚問だ。
「即断はよくないわよ。ちょっと考えてよ。楽しいわよ、取材やなんかで旅行も行けるし、お金だって公務員より稼げるし、好きなタレントにも会えるわよ?」
旅行なら出張でも個人でも行ける。
過ぎたる財は身を滅ぼす。
好きなタレントに会いたいとは思わない。
故に、僕の返事はこうだ。
「考える余地はない。勤倹力行よく働き、つつましい生活を送る、これが信条だ」
「面白くない〜。柚樹、本当に十七歳?」
母が疑わしげな目を向けた。
「面白くなくて、結構。正真正銘、十七歳の男子高校生だ」
「その年頃って、もっとこう、恋バナとか女の子のこととか、イケナイこととかに興味があるんじゃないの?」
「他人のことなど、知らん。大体、なぜ、アイドルなんかの話が出るんだ」
「それがね、この前、柚樹テレビ局に行ったじゃない?」
「夏樹を叱り飛ばしに行ったな」
「あの時ね、局のプロデューサーが柚樹を見初めて、柚樹をアイドルにしないかって、事務所に打診してきたのよ」
「はあっ?」
「しかも、夏樹とコラボで番組を作ってもいいとまで言ってくれてるのよ。ねっ、凄くいい話でしょ? あっ、ママ、無理にとは言わないわよ、無理にとは」
アイドルになってどうする。
無理にとは言わないなら、僕は受験勉強に専念できる穏やかな日常を希望する。
「いや、凄くくだらない話だな」
「そんなことないわよ――」
バンッ!!
リビングのドアが荒々しく開き、父が興奮の面持ちで駆け込んできた。
父は開口一番、
「できたぞ、TX-Ⅳが!」
「いますぐ、廃棄しろ、父さん」
「駄目だ。柚樹、これでもう大丈夫だ」
「なにが大丈夫だ。もう必要はない」
「わからんぞ。一度あることは二度ある。二度とあることは三度あるというじゃないか」
「そんなものはなくていい」
今度は、仕事から帰ってきたらしい夏樹が乱入してきた。
「お兄、何したのよ!」
「したのは、お前だろうが」
「久美子が変に馴れ馴れしいんだけど。イミフな態度とるし、玲央も変に近付いてくるんだよ」
「知らん」
「柚樹、考え直して、アイドルになろうよ」
「柚樹、副作用はないぞ」
「お兄、どうすんのよ」
母、父、妹から一斉に詰め寄られた僕は、鞄から単語帳を出して握り締め、リビング中に響き渡る声で叫んだ。
「アイドルなんかになる気なんてない!!」
完
このエピローグをもちまして、このお話は完結となります。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
また、評価などいただけると嬉しいです。
本当にありがとうございました。




