第2話 タイムリミットは3ヶ月
僕はリビングで母と対峙していた。
ここで折れたら公務員への道が詰む。
負けられぬ。
オーダーメイドで作らせた布張りのカウチソファに座り、正面の母に言う。
「嫌だ、絶対に嫌だ!」
過去一拒絶の態度を見せた。
「そんなことを言わないで、夏樹が見つかるまででいいのよ。ママを助けると思って、ね?」
母は世間を手玉に取ってきた笑みと喋り方をした。
なにが「ね?」だ。
おっさん連中ならほいほい言うことを聞くだろうが、あんたの相手は息子の僕だ。
効くわけがなかろうが。
半強制的なお願いに使うなど『な行』に悪い。『な行』に謝れ、母。
「母さん、模試を控えた受験生に言うべき台詞じゃない」
「受験って……柚樹、あんたまだ二年生じゃないの。早くない?」
「早い?なにを言ってるんだよ!遅いくらいだよ。だから、いまからやるんじゃないか」
「はぁっ、来年の話をしたら鬼が笑うわよ」
「なに言ってんの!三年に上がるまで、あと半年しかないんだよ!」
「大袈裟すぎない?」
「僕は穏やかで堅実な人生を送りたいんだ。そのためにも、この模試で己の実力を知り、足りない部分を補わないといけないんだよ」
「ビリギャルを見習いなさいよ。小学生レベルの子が難関私立大学に受かってるのよ。七十以上あるあんたの偏差値からしたら楽勝じゃないの」
「偏差値を少しでも伸ばしたいのが人情だよ」
「そんな人情、役に立たなさそうよね。あたしなら捨てるわ」
「油断大敵!転ばぬ先の杖。泣きたくなきゃ努力あるのみ!!これが、僕の信条だ」
「潤いも面白味のない信条ね。あんた達観し過ぎよ。誰に似たのかしら」
母が呆れたように言った。
『運』勝負が信条の母にだけは言われたくない。
「小さなことからコツコツと。努力に勝る天才なし。今からやれば、それだけ現役合格の確率が上がるんだよ」
「ふ〜ん。そう……」
母が半眼状態で僕を見返してきた。
なんだ?
「けど、柚樹、よく考えてよ。ここで夏樹が仕事に穴を開けたらどうなると思う?まずは、賠償金が発生するわ。そうね、今後の契約も入れると……ざっと見積もっても……億、いっちゃうかなぁ……」
「ひっ、億……」
「そうなると、会社の信用もがた落ち。仕事がなくなるわ。そうなると、どうなる?」
「……倒産?」
「そうよ。負債を抱えて、倒産するのよ。そうなると、この家も売却、預貯金は借金返済に消えるわ。高校も中退してもらわないといけなくなるかもしれない。大学受験?そんなもの夢のまた夢ね」
「……」
「パパの研究や収入だって、いままで通りってことにはならないかもしれない……」
母が目を伏せて言った。
突きつけられた世の中の現実、世知辛さ。
お小遣いが減額されるのはまだしも、生活基盤自体が壊滅的打撃を受ければ、受験だ、公務員だなんて言っていられない。
薄暗い六畳一間のアパートで親子三人、内職仕事……。
『働けど働けど楽にならざり、じっと手を見る』
石川啄木の短歌が頭に浮かんだ。
さーっと血の気が引く。
「さぁ、どうする、柚樹?」
小首をかしげ微笑む母。
……
僕は怒りでぶるぶる震えた。
やり場のない怒りと情けなさに単語帳を床に叩きつけた。
「くそったれっ!やるよ、やればいいんだろう!夏樹が見つかるまでだからな!!」
「柚樹ならそう言ってくれると思ったわ。孝行息子を持って幸せ〜」
「機嫌がいいところに悪いんだが、都さん。この薬の効果は多分、八時間しか持続しないと思うんだ」
浮かれる母に水を差したのは父だった。
「「えっ?」」
母と声が被った。
「飲み続けると副作用の心配もあるかもしれないから、一日一回にしておいた方がいい」
「活動時間が八時間しかないってこと、良一」
「そうなるな」
絶望の色を浮かべた母には悪いが、僕は喜んだ。
八時間我慢するだけで済むのだ。
天は僕を見放さなかった。
大難は小難に。小難は無難に。無難は難なく。
初詣でいつも頼んでいることが、ここにきて叶った。
ありがとう、神様。
「それと、柚樹が飲んだ薬だが、残量にも限りがあるからな」
「良一さん、限りって?」
「毎日使用するとなると、三ヶ月で使い切る計算だ」
「一度作っているんだもの。もう一度作ることだって、できるわよね?お願い、できると言って!」
「できると言ってやりたいが、なにせ、偶然の産物だからなぁ……」
「そこをなんとか。為せば成るって諺もあるじゃない」
「……やってはみるが、期待はするな」
「そんな……」
ふらふらとソファに凭れ、うなだれる母を尻目に僕は父に確認した。
「父さんの話をまとめると、薬の効果は八時間。服用は一日一回。しかも三ヶ月分しかない。ということでいい?」
「ああ」
「で、母さんは三ヶ月以内に夏樹を探し出さなきゃいけないことになると」
父はおもむろに頷いた。
真っ青になる母。
ざまぁ。
見つからなくてもなんとかなると思っていただろう、母よ。
世の中そんなに甘くはない。
僕はほくそ笑んだ。
「それと、柚樹。副作用がないとは言えないからな」
「えっ?」
「治験をしてないんだ。どんな副作用があるかわからん。最悪、そのままかもしれない。なにかおかしいと感じたら、すぐに言えよ。データ取りたいからな」
あっさりと言うな!
マジか?
このままって言った?
データ取りたいだ?
息子はどうでもいいのか!?
これだから研究馬鹿は嫌なんだ。
禍福は糾える縄の如し……。
喜んだ後だけに落胆が酷い。
天中殺か?
ふと、テーブルの置手紙が目に入った。
『自分探しの旅に出ます』
人生舐めきった夏樹がなにを言うか。
またしても、僕に後始末を丸投げしやがった。
テヘっと悪びれずに笑う夏樹の顔が頭に浮かんだ。
ふつふつと怒りが湧いてきた。
ふざけるなよ。
僕は叫んだ。
「夏樹、今すぐ帰って来いっ!!」




