第1話 ありえない身体になった
それは一枚の置手紙から始まった。
パパ、ママ、柚樹へ
自分探しの旅に出ます。
探さないでね。
自分を見つけたら帰ります。
柚、いろいろ、よろしくね。
夏樹
キッチンのテーブルの上でその手紙を見つけた時の我が家の衝撃は筆舌に尽くしがたい。
二十三区内に敷地面積六十六坪。耐震建築の母屋と離れを備えた我が家を未曾有の災難が襲ったのだ。
連絡を受けた父は自宅離れの研究室で調薬を間違えて、あわやの大惨事を起こしかけた。
母はスケジュール表を握りしめ、その場に倒れた。
そして、僕は怒りのために過呼吸を起こしかけ、鼻からコーヒーを出しかけた。
ふざけるなよ。
何が自分探しの旅だ。唯我独尊状態で、何を探すんだよ。
前世にでも捨ててきた謙虚さか?
発酵してない脳みそか?
探しても無駄だから即、帰ってこい!
男女の二卵性双生児として生まれて、十七年。
夏樹に迷惑をかけられなかったことは、産声をあげてから今日まで一日たりとてなかった。
自由奔放、わがまま放題。直感で動く夏樹にどれほど僕が迷惑をかけられたか。
生まれる時からすでにそれは始まっていた。
僕の首には臍の緒が巻きつき、ベビーベッドからは蹴落とされ、夏休みの宿題を差し替えられた。
臍の緒に関しては、母はいまだに「あれは夏樹の仕業」と言い張っているが、その後の夏樹のやらかしを顧みるに疑いの余地はない。
僕にとっては疫病神の妹だが、世間的には違っていた。
容姿が良ければ、性格が破綻していようが、偏差値が壊滅的であろうが許されるらしい。
エヘッ、テヘ、ペロ、ゴメン、ヤダ、オ・ネ・ガ・イの六単語で思いのまま。
『可愛いは正義』というが、正気か?
法の存在意義はどうしたといいたい。
それこそ、夏目漱石先生曰く、『無理が通れば道理が引っ込む』だ。
ひたすら、警察のご厄介にならないことを祈るばかりだ。
将来、不況など無縁、倒産もリストラもない超安定優良就職先『公務員』を目指している僕にとって、身内の警察沙汰は絶対に避けたいのだ。
夏樹の迷惑行動を心配している僕を母がジッと見ていた。
尋常ではない目の色をしていた。
「なに?」
「柚樹、あんた、夏樹に似てるわね」
「何を馬鹿なことを言ってるんだよ。顔は、まぁ、双子だから多少は似てるけどね、夏樹の身長は一六〇センチ、僕の身長は一七五センチ。その上、男と女だよ。体型が違うから」
「ヒールと衣装で誤魔化せば……」
母が血走った目で、碌でもないことをいうのはそこに切実な問題を抱えているからだ。
何を隠そう、夏樹はアイドルだった。
しかも、人気急上昇中の。
そして、美魔女と言われている母は芸能プロダクションの社長。
母は生き馬の目を抜く芸能界を、持ち前の目端の利きと度胸と根性で生き抜いてきた女だ。
所属のタレントが失踪したなど口が裂けても言えない。
夏樹の失踪で、切羽詰まっているのだろう。
だが、僕には関係ない。
僕に関係があるのは、目の前に迫っている全国模試の方だ。目指せ、百位以内!
「無理だから」
そう言って、部屋に引き上げ、単語のひとつ、数式のひとつでも覚えようと踵を返した。
「ちょっと、待ちなさい、柚樹」
「時は有限。忙しいんだよ」
「五分だけ時間をちょうだい!」
「その五分で英単語が二つ、公式が一つ覚えられる」
「なら、三分で!」
「一秒でも嫌だ」
言い争いそう僕たちのところに、父が試験管を手に研究室から出てきた。
長身に纏ったよれよれの白衣には、ところどころ薬品の染みが付いている。
眼鏡のせいでちょっと神経質そうな顔が余計に神経質に見えていた。
「参った……あの連絡のせいで調薬を間違えて、とんでもない――」
ドンッ。
ぶつかった衝撃で父の手から試験管が宙に放りだされた。
「へっ?」
僕は反射的に見上げた。
次の瞬間、試験管から飛び出した奇妙な色の液体が、僕の開いた口へ――。
ゴクン。
条件反射で飲んだ。
飲んでしまった。
「「あっ!?」」
父の頓狂な顔と目を見開いた母の顔が僕の目に映った。
「飲んだか?」
「飲んだ」
次第に顔色の変わる父に僕は嫌な予感がした。
まさか、命に関わるんじゃ……。
「父さん……」
「すまん」
なに謝ってんだよ!
「柚樹、しばらくの辛抱だ」
そう言った後、父は研究者の顔で
「想定とは違ったな……」
「はぁっ?」
「興味深いな。こんな風に作用するのか……性差に関わる身体的特徴変化……効果の時間はどれくらいだ……通常の薬は四時間から八時間と、すると――」
何やら黙考しだした。
なにを考え出してんだよ!
「だから、なんだよ!?」
えっ?
声が高くないか?
喉の調子が悪いのかと喉元に手をやると喉仏がない。
なぜ?
は?
指が細く白い。
父を見上げる角度が何やら上向き加減になっている。
あれは身体が縮む薬だったのか…?
茫然としている僕の前に母が立った。
手にコスメ用品。
何をする気だ、母。
「動かないで。動いたらお小遣い止めるからね」
そう言うと嬉々として、僕にメイクを施しだした。
止めろ。
化粧臭い。
顔に糊でも塗りつけられたような違和感がある。
グロスを塗られた唇は脂を塗られたようで気持ち悪い。
メイクを終えた母は、玄関先から姿見を引っ張ってきた。
その姿見に映った自分の姿に顎を外しかけた。
人間想定外のことが起こると固まるということを知った。
姿見の中にいるのは、夏樹によく似た少女。
ただ、着ている服が、さっきまで僕が着ていた服だった。
……。
信じたくない。
大凶殺という文字が頭に浮かんだ。
よもやよもや、もしやもしや、僕か?
獲物を捕らえたような目をした母がじっと僕を見ていた。
僕の足が自然に三歩下がった。
母がにたーっと笑ったかと思えば、
「イケる。イケるわ、柚樹!」
と、テンション爆上げで拳を握っている。
「これで、明日の収録に穴を空けずに済むわ」
母は僕に向かい、満面の笑みで、
「柚樹、女の子よ。これでイケるわよ」
「イケるかっ!!」
鈴を転がすような僕の怒声がリビングに響いた。
本日より、投稿させていただきます。
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本日は2話投稿となりますが、明日からはこの時間帯に1話ずつの投稿となります。




