第13話 遺憾ながら誤送信
「このままの成績でいけば、第一志望は問題なく合格を狙えると思うぞ、春野」
担任の吉田先生が進路調査票に目を落として言った。
昼休みに僕は進路指導室に呼び出された。
ここは生徒のプライバシーを守るために防音が施されている。
机を挟んで一対一。
そこには独特の雰囲気があった。
進路で呼び出しを受けるようなことに心当たりはない。
あるとすれば――
「だが、最近、早退や休みが目立つが、体調の方は大丈夫なのか?模試も受けなかったと聞いているぞ」
やっぱり、それか。
ため息が漏れそうになるのを、ぐっと我慢した。
なんだか少し息苦しくなった。
狭い部屋のせいもあり、室温が上がったのか、暑く感じた。
早くここを出て、涼みたい。
「すみません」
「皆勤賞だったお前が、どうした?」
言いたい。
不可抗力なんです。
あいつが自分探しの旅に出さえしなければ、模試も受け、無遅刻無欠席の記録も途切れませんでしたと。
「なにか悩みでもあるのか?先生が聞いてやるぞ」
悩み……。
このまま夏樹が見つからなければ、女性用の水着を着て撮影をしなければならないんですが、先生代わってくれますか?
いや、いっそのこと、僕の代わりにアイドルになってくださいと言ったらどうするんだろう。
二つ返事で受諾してくれるだろうか……。
そんなことを考えていると、吉田先生は無理に聞き出しても仕方がないと思ったのか、場を変えるように明るい口調で言った。
「ともかく、来年は三年だ。さまざまな統一模試もあるんだ。体調管理はしっかりとしろよ。体調を崩して本命の試験で失敗したなんて目も当てられないからな」
言われなくとも、あいつさえ戻ってきたら、模試に全力をつくすとも。
僕は一つ頭を下げて進路指導室を出て行った。
廊下を歩き、教室に戻るとブレザーを脱いだ秋葉が声をかけてきた。
「呼び出し、なんだった?」
「早退と欠席についてだ」
「最近、多いからなお前」
「自覚はある」
秋葉も心配なのか、僕の様子をうかがうように見ていた。
「夏樹ちゃん絡みか?」
鋭いな。
「だってそれしかないだろう。あの夏樹ちゃんが模試を受けに来てたんだぞ。一瞬、俺、幻覚を疑ったわ」
それはそうだ。
兄の僕でさえ、幻覚を疑い、目を擦り、天変地異の前触れだと、即、水と保存食を買いに走る。
僕は苦笑しながら、
「まぁそんなところだよ」
「やっぱりな……で、どうよ。解決しそう?」
「多分な。僕の人生設計の邪魔はさせない」
「いや、夏樹ちゃんならカンで穴を開けて、ドリルという運で粉々にするんじゃないか」
「甘いな秋葉。あいつならカンという手榴弾と運という迫撃砲を撃ち込んでくるぞ」
「最凶か?まぁ、頑張れよ、お兄」
秋葉が夏樹の口調を真似る。
「ふん。巻き添えにしてやるからありがたく思え」
上から目線の僕に秋葉は嫌な顔して――
次の瞬間には二人で笑い声を上げた。
なにごとかと近くにいたクラスメイトたちがこちらを見たのに、何でもないと手を振った。
机に置いていたスマホを見ると、着信を告げるランプが光っていた。
発信元は父。
しかも、何度もかけてきていた。
母ならば後回しにするが、滅多にかけてこない父からだと気になる。
スマホを持つと秋葉に言った。
「悪い。電話してくる」
「ああ」
僕はスマホを手に廊下に出た。
周囲に聞かれてはマズいこともあろうかと、足早に外に向かい歩きながら父を呼び出した。
ツーコールもしないうちに父が出た。
早っ。
『柚樹か?』
電話口の向こうから父の焦った声が聞こえてきた。
まさか、今度は本当に火事を起こしたのか?
以前、実験中に小火を起こした前歴があるからな。
僕に電話するくらいなら、先に消防署に電話を入れろ。
「父さん、火事なら――」
言葉に詰まる。
なんだ?
声が……高い?
『柚樹、すぐに隠れろ。副作用だ。飲んでもいないのに変身するぞ』
なんだとっ!?
害はないと言ってなかったか、父よ。
『単体での使用であれば、問題は無かったんだが、お前ずっと、あの日に作った薬を飲んでただろう。そこにもって、先日、開発中の薬を飲んだじゃないか……』
飲んだ。
間違って飲んだ。
『お前が変身したあの日から同条件で投薬していたラットの性別が昼前に変わったんだ』
頭が真っ白になった。
はっとして、空いている手を見ると、指が次第に白く細くなっている。
僕は慌てて近くのトイレに駆け込んだ。
トイレには幸いにも誰もいない。
鏡を見ると、夏樹によく似た少女がぶかぶかの僕の学生服を着ていた。
くらりとよろけた。
マジか、こんなところで。
「だからさ、最近の久美子ちゃん、可愛くなったんだよ、マジで」
「そうか?」
「お前、ちゃんと見てる?」
こちらに近づいてくる話し声に、僕は左右を見回し、個室に駆け込んだ。
ドアが閉まるのと同時に話し声の持ち主たちが入って来た。
間一髪セーフ。
「遅い。いま、夏樹になった。なんでもっと早く知らせないんだよ、父さん」
大声で責めるわけにもいかず、囁くような声で父を詰った。
『だから、何度も電話をしてたんだ』
「してたって……どうすんだよ、これから」
『……健闘を祈る。あっ、家に帰ったらどんな感じだったか報告は忘れるなよ』
ガチャッ。
ツーツー。
無常にも切れる電話。
僕は電話を握りしめ、大声で怒鳴る代わりに心の中で思いつく限りの罵詈雑言を父に浴びせた。
怒り心頭でいまひとつ考えがまとまらない。
「クソ親父」
怒りが収まらず、つい、口から悪口が溢れた。
「うん?お前なんか言った?」
マズい。
ドアの向こうにいる人物が反応した。
僕は息を詰め、空いていた手で口を覆った。
「いや、俺はなんも言ってない」
「そうか?なんか聞こえたと思ったんだが……」
「お前、それ、空耳じゃね?次、移動だから、もう行こうぜ」
人の気配が消えた。
ほっとして、全身から力が抜けた。
危なかった。
落ち着け、落ち着くんだ、春野柚樹。
まだ誰にもバレてはいないんだ。
なんとかなるはずだ。
三人寄れば文殊の知恵。
僕一人でダメなら誰かの知恵を借りるんだ。
母……いまひとつ不安だ。
父……却下だ。
秋葉……無理、無理だ。説明がつかない。
先生……パニックを引き起こして終わる気がする。
小山さん……そうだ。こういうときには、冷静に対処してくれそうな小山さんしかいない。
なぜ一番に思いつかなかったんだろう。
僕はすぐさま小山さんに緊急案件のメールを打つことにした。
『小山さん、遺憾の極みながら、薬の副作用で夏樹です。至急、学校の西館二階のトイレまで救助願います』
送信ボタンを押す前に、再度、確認する。
大丈夫だな。
最後に宛先を――秋葉……。
危なかった。宛先間違いじゃないか。
誤送信して情報漏洩するところだった。
宛先を変更しようとしたときだった。
キンコンカンコン。
不意に始業のチャイムが鳴った。
驚いて、ビクッと身体が跳ね、その反動で、指が送信ボタンを押してしまった。
無常にも画面に表示される送信完了の文字。
茫然自失。
あわあわ。
と、取り消し、送信取り消しだ。
早く取り消さねば、大惨事に――
既読。
……。
目の前が真っ黒になった。
僕は高校生活はたったいま、終わりを告げた。
読むの早すぎだろう。
絶望のどん底でスマホが震えた。
ヴヴヴ
受信音に驚いてスマホを落としかけた。
発信元は秋葉悟……。
ひっ。
息を詰めた。
恐る恐るメールを開く。
件名:どこにいる
おい、大丈夫か?支離滅裂で意味がわかんねぇ。とりあえず、西館の二階のトイレに助けにいけばいいんだな。待ってろ。
待て。待て、秋葉悟。
来るんじゃない。
僕の人生が終わるだろうが。
おとなしく授業を受けてろ。
返信メールを打とうとしたとき、LINEの通知が入った。
この緊急事態に一体なんだ。
グループチャットを開くと同時に、声にならない悲鳴を上げた。
ひぃっ。
自分でも顔から血の気が引いていくのがわかった。
グループチャットにはいま一番恐れていることが書かれていた。
『学校にあの夏樹が来ているらしい』
『廊下で夏樹を見たヤツが騒いでいる』
『マジか?撮影?』
『どこで見たんだよ』
『西館の廊下だそうだ』
『東館だっていう情報もあるぞ』
『どっちでも会えるなら関係なくないか』
『ガセならシメる』
『うちの制服着てたらしい』
『妄想こくんじゃねぇ』
『俺の着てくんねぇかな』
『そしたら、俺、洗わねぇわ』
『だな』
いや、公衆衛生観点から洗え。
臭いで周りに迷惑をかけるな。
あまりの恐怖に僕は前後不覚になりそうになった。
きっと、この情報は拡散されているだろう。
全校生徒が一斉に学校中を探し出したら、すぐに見つかって一巻の終わりだ。
僕はトイレの個室でがたがたと震えた。
今日はなんて日だ。
厄日か?厄日なのか?
真っ青になり、成すすべもなく途方に暮れていると、人生の終わりを告げるかのように授業終了のチャイムが鳴り響いた。
うぉぉっという雄叫びが聞こえて、恐怖に飛び上がった。
誰かに見つかるのも時間の問題だ。
いや、秋葉も僕を探しに来る。
確率的に僕の場所を知っている秋葉が先に僕を見つける方が早い。
どきどきと心臓の音がうるさい。
神様、どうか見つかりませんように。このトイレに結界が張られますように。
僕は心の中で手を合わせる。
「柚樹、いるのか?」
秋葉の声。
「ここにいる」と返事ができるか、馬鹿。
そ、そうだ。
鍵、鍵さえ掛かっていれば、使用中と思ってどこかにいくよな。
僕は震える手を伸ばし、鍵を確認する。
はぁっ?
掛かっていない!?
じょ、冗談だろう。
この状態で僕はここに閉じ籠もっていたのか?
小一時間も無防備に。
危機管理に頭を抱えたくなった。
いや、反省は後だ。
鍵、閉めなければ。
閉めようと指をかけたとき――
ギギィとドアが開いた。
万事休す。
「お前、いるなら返事くらいしろよ」
えっ?
秋葉が呆れた表情をして、僕を見下ろしている。
ぶかぶかだった制服がぴったりと身体に合っていた。
立とうとするが、腰が萎えたかのように上手く立てない。
小刻みに震える足を叱咤して、鏡を見るために洗面台まで歩いた。
恐る恐る鏡を見ると、そこには僕がいた。
安堵に腰から力が抜け、タイルの床にへたり込んだ。
「汚ったねぇな」
顔を顰め、非難するような秋葉の声が遠くから聞こえたのだった。




