第10話 シンデレラには時間がない
「ええ……そうなんですよ。模試に備えての勉強で睡眠時間を削ったのがたたったようですわ」
家に着くなり、母はスマホを片手に、今回の受験を後押ししてくれたテレビ局のおエライさんを相手に口八丁手八丁で話している。
あいつはマンガを読み漁り寝不足になることはあっても、勉強で睡眠時間を削ることはない。
「午後から少し具合が悪くなったみたいなんですが、本人は我慢すれば大丈夫。受験のチャンスをくれた方々に申し訳ないと、最後の科目まで受けると頑張っていたのですが、最終科目を前にトイレで倒れてしまいまして……ええ」
『講談師、見てきたように嘘を言い』。
母よ、前世は講談師だったのか?
「えっ?体調ですか?」
母が僕を一瞥した。
「車の中で仮眠を取ったこともあり、真っ白だった顔色も良くなりましたわ。いまは大事を取って、部屋で休ませてますの」
最終科目を受けられず、理科の点数がないとなると、最悪、順位が五〇〇〇番台になるかもしれず、完全なるレッドゾーンに足を踏み入れたと考えたとき、僕の顔色は真っ青を通り越して真っ白になった。
「……一晩寝れば快復しますから……ええ、明日の収録は大丈夫ですわ。それでは、お忙しいでしょうから、これで失礼いたしますわ」
「よくもそんなに次から次へと出任せが出るな」
「失礼ね、脚色しただけよ。それより、柚樹、身体の方はなんともない?」
「いまのところは平気だ」
「そう……でも、一度、診てもらう?」
心配そうな顔をしているところを見ると、やはり母なんだな。
なんともこそばゆい思いをした。
「良一さんのことは信用してるけど、やっぱり心配じゃない。これから忙しくなるのよ。倒れでもしたら大変なことになるわ」
……感動を返せ。
翌日。
収録の待ち時間、僕はスタジオの片隅で単語帳をめくっていた。
模試まで受けたんだ。
もはや隠す必要はないということで、堂々と勉強をしている。
小山さんはすでに苦笑を通り越し、呆れと絶望を滲ませた複雑な表情をしていた。
胃薬を飲む量が増えたらしい。
小山さん、ごめん。
すべての元凶はあいつだから。
「こんなところでも、勉強?」
「烏兎匆匆」
「えっ?うとそうぞう?なにを想像すんのよ。世界でも作るの?意味わかんない」
僕の方こそ、意味がわからん。
時間の流れは早いという意味だ。
それでなぜ、天地創造が出てくる。
「なにか用でも?」
「用って言うほどでもないんだけど」
用がないなら話しかけるな。
気が散る。
「あたし、今度、コレクションに出るのよ」
久美子が自慢げに言った。
「オークション?」
「違うわよ!なんでアイドルが、競りに出るのよ!TGCよ、TGC!東京ギャルコレクション!」
卵かけご飯じゃなかったのか。
……いや、あれはTKGだ。
東京ギャルコレクションとは何ぞや?
首を傾げる僕に久美子は鼻高々に
「羨ましい?アイドルは滅多に出られないけど、可愛さと服のセンスで選ばれたのよ」
いや、羨ましくない。
たかがファッションショーだろ?
赤井講師と花澤講師にマンツーマンで教えてもらえる講習というなら、話は別だが。
「夏樹ちゃんも選ばれると思ってたんだけど……あっ、チケットあげようか?」
久美子がひらひらとチケットを見せる。
「もらってもその日は、打ち合わせだから」
「へぇーっ、なんの?どうせ、バラエティでしょ」
「違う。なんだったか……思い出した。柳子の家だ」
「うそっ!?」
久美子の手からチケットが床に落ちた。
メリットもないのに嘘を言ってどうする。
「一流芸能人かエラい人しか呼ばれないプラチナ番組なのに……なんで夏樹ちゃんが呼ばれるの?!」
知らん。
そんなの番組制作者に聞け。
久美子が悔しげに僕を見た。
「なんで、なんで夏樹ちゃんばっかり……あたしだって頑張ってるのに……」
久美子は目に薄っすらと涙を浮かべた。
「どうせ、あたしのことなんて馬鹿にしてるんでしょう。いつもいつも面倒くさそうな顔するし」
夏樹、お前……
幼稚園から礼儀を学び直せ。
嫌な相手だろうと礼は尽くさないと人間失格だぞ。
「馬鹿にしてはいない」
「うそよ」
被害妄想は捨てろ。
「いや、頑張って努力をする人間を馬鹿にする方が間違っている。努力は尊い。一意専心しているってことだろう」
「はっ?えっ、いちご戦車?」
……小学校からやり直せ。
どこにいちご戦車の要素があった。
さすがは夏樹の同期だ。
「ともかく、立派じゃないか。そういう人間は好きだ」
「す、好きって……」
久美子の頬に赤みが差した。
「そうなの?」
「嘘を言ってどうなる」
「そっか……エヘッ」
こいつも六単語仲間か……。
「本番いきますー!」
ディレクターの声がスタジオに響いた。
「あっ、行こ、夏樹ちゃん」
久美子が嬉しそうに僕の腕を引っ張った。
今日の収録は男性五人の人気アイドルユニット
との共演。その中でも一番人気がある玲央とやらが僕の相手らしい。
僕の出番は物語コント『シンデレラ』。
内容はこうだ。
シンデレラと継母、意地悪な姉たちとの丁々発止のやり取りを経て、シンデレラが魔法使いをこき使い王子様との舞踏会に行き、追いかけてきた王子をガラスの靴で殴りつけて帰っていくという、斬新な解釈をした物語だ。
ガラスの靴も透明な樹脂で作製されているにしては完成度が高い。
僕はシンデレラ役らしいが、個人的には意地悪な姉役で論理攻めして、シンデレラを凹ませたかった。
誤算だったのは、楽勝だと思っていたこの収録が嫌に時間がかかったことだ。
他のコーナーでもミスが連発し、何回も撮り直ししていた。僕が出演するこのコーナーでも、すでに三回やり直しをしている。
そのせいで、八時間というタイムリミットが刻一刻と近づいていた。
スタジオの柱にかかっている時計を盗み見る。
あとニ時間十三分しかない……。
小山さんも気がついたのか、腕時計と僕を交互に見ている。
舞踏会のシーンを終え、ラストのガラスの靴で王子を殴りつければ、任務完了だ。
「待ってくれ、シンデレラ」
僕は時間が気になり、フライング気味に逃げ出した。
玲央が僕を呼び止め、手を掴む。
ここは呼び止めるだけだっただろうが。
なぜ手を掴む。
手を離せ。第一、待てるか!
僕には時間がないんだ。
あと、一時間五十九分……。
「待てません。時間がないんですよ。用がないのなら手を離してください」
「離さない」
いや、マジで時間がないから。
手を離せ。
「離さないのなら……」
僕は台本通りに履いていたガラスの靴で王子の頭を叩こうと片足を上げた途端、焦りと履き慣れないヒールのためにバランスを崩した。
ぐらり。
ぐいっと体ごと引き寄せられた。
へっ?
玲央が後に倒れそうになる僕を抱きしめる格好で倒れないようにしたのだ。
助かった。
離れようとするが、がっちりとホールドされていて動けない。
離せ!とばかりに顔を上げて、玲央を睨みつけた。
玲央は口元に笑みを浮かべる。
そして、そのまま悪ノリをした玲央は事もあろうに、僕をお姫様抱っこで階段を降りたのだった。
「おおっ」と声が上がり、スタジオが沸いた。
パシャリ
シャッターを切る音がしたが、そんな些細なことを気にしている暇はない。
問題は時間だ、時間。
あと一時間四十八分。
なにしてくれたんだ、こいつは。
余計なことはするな。
そのせいで撮り直し決定じゃないか。
「いまの撮ってたか?」
ディレクターがカメラに確認していた。
スタッフもカメラとディレクターの周りに集まり、顔を突き合わせて相談し始めた。
相談することはない。
台本通りでいいじゃないか。
ガラスの靴で頭を殴っていないんだ。いまの場面は完全に撮り直しだろう。
あと一時間三十七分。
背中を冷や汗が流れる。
撮り直しをするなら、さっさとやってくれ。
小山さんは手で胃のあたりを押さえていた。
「夏樹ちゃんって、軽いね」
玲央が話しかけてきたが、相手にする余裕がない。
「だからなんだと?」
「夏樹ちゃんと話したいんだけどな」
「そんな余裕はない」
撮り直すのか、撮り直さないのか。
それが問題だ。
まるでハムレットの気分だ。
「久美子ちゃんと仲いいの?」
夏樹の交友関係など知らない。
セットの外にいる久美子を見ると、僕の方を睨みつけている。
人気アイドルが話しかけてきているのが気に入らないと見える。
「……普通?」
可もなく不可もない回答。
これでなんとかなるだろう。
「じゃあさ、今度、どっか行こうよ」
「行きたい」
いますぐにでも行きたい。
「ホント?」
時間がないのに嘘をついてどうする。
玲央が寄ってくる。
なにを寄ってくる。
寄ってくるな。
ダッシュするときに邪魔だ。
スタッフがカメラから離れた。
ディレクターはスタッフの一人に指示を出した後、こちらを振り返った。
「いまのでいきます。このシーンはOKです」
ディレクターの声がスタジオに響いた。
僕はその声を聞くや、まだなにか話しかけてくる玲央を無視して、小山さんと一緒にスタジオの外へと走り出したのだった。
タイムリミットまであと一時間十一分。




