お兄様の過保護が止まらない
中庭での「聖域化事件」から数日。
私の日常生活は、さらに過激な「愛の要塞」へと進化を遂げていた。
(……ねぇ、システムさん。私の目の前にある、この浮遊している球体は何かしら?)
私がゆりかごの中で問いかけると、脳内の優秀な相棒が即座に応える。
《解。対象:シエル・ド・グランヴェルが開発した『レティシア専用・全自動自律型守護魔導機(愛称:レティちゃん一号)』です。》
《機能:半径三メートル以内の有害物質、病原菌、悪意ある視線、および不適切な温度変化を検知し、一瞬で消滅させます。》
(……「悪意ある視線」まで消滅させるの!? っていうか、愛称が安直すぎるわ!)
私の周りをふわふわと漂う、真珠色の小さな球体。
お兄様が徹夜で魔導回路を組み上げたというこのデバイスは、もはや最新鋭の迎撃システムだった。
「おはよう、僕の愛しいレティシア。昨夜はよく眠れたかな?」
部屋の扉が、音もなく開く。
現れたのは、朝日に照らされて神々しいまでの美しさを放つ兄、シエルだ。
彼は私の元へ歩み寄ると、まず『レティちゃん一号』のログを確認し、満足げに頷いた。
「よし、昨夜は空気中の埃ひとつ、レティシアの肺に届かなかったようだね。当然の結果だけど」
「あぅ……あぶぅ」
(お兄様、おはよう。でも、ちょっと部屋の空気が無菌室すぎて、逆に落ち着かないよ)
私が苦笑い(赤ちゃんなので「あぶぅ」になる)を浮かべると、お兄様はそれを「世界最高の微笑み」と受け取ったらしい。
途端に、彼の周囲にキラキラとした魔力の鱗粉が舞い始める。
「なんて可愛いんだ……! そうだ、レティシア。今日はお散歩の前に、君のために新しく作った『おもちゃ』を持ってきたんだよ」
お兄様が懐から取り出したのは、虹色に輝く小さなガラガラだった。
見た目は可愛らしいけれど、私の解析スキルが警報を鳴らしている。
《警告。対象:『精霊王の鳴子』を検知。……一振りするだけで周囲一キロの精霊を強制召喚し、天変地異を操ることが可能です。》
(おもちゃのレベルを超えてるわよ!!)
「さあ、振ってみてごらん。もし退屈だったら、これで竜巻でも呼んで遊ぶといい」
「あ、あぅ……(いや、死人が出るから!)」
私は必死に首を振って、その危険物を遠ざけた。
お兄様は少し寂しそうな顔をしたが、すぐに次の「守護プラン」を語り始めた。
「そうか、天候操作には興味がないんだね。さすが僕の妹だ。……実はね、父上が君のために騎士団を増強しようとしているけれど、僕は反対なんだ。あんなむさくるしい男たちが君の近くにいるなんて、教育に良くないからね」
お兄様は私の頬をそっと撫でながら、氷のように冷たい微笑を浮かべた。
「だから、僕は屋敷の床すべてを『魔力感応式』に作り替えたよ。レティシアがハイハイする場所には自動でクッション魔法が発動し、不審者が一歩でも敷地に足を踏み入れた瞬間、その足元の空間を亜空間に転送して処理するようにしておいた」
(……処理!? 今、「処理」って言った!?)
「これで、父上の大仰な警備も必要なくなる。レティシア、僕が君の完璧な騎士だよ」
「……っ、シエル! 貴様、また自分だけ抜け駆けしてレティシアに点数を稼ごうとしているな!」
そこへ、部屋の扉を(またしても)蹴破る勢いでパパ……アラリック公爵が乱入してきた。
手には、どこから持ってきたのか「純金製の離乳食スプーン」が握られている。
「レティシア! パパだぞ! お前のために、伝説のドワーフに打たせた『究極の食器』を用意した! これを使えば、ただの粥すらも神の供物に変わる!」
「父上。レティシアは今、僕と静かな時間を過ごしていたのです。無作法に叫ぶのは控えていただけますか? レティシアの繊細な鼓膜に触ります」
「何だと!? この私が、愛娘のために叫んで何が悪い! それよりシエル、貴様が廊下に仕掛けた転送罠のせいで、私の親衛隊が三人ほど隣国の森まで飛ばされたぞ! 今すぐ解除しろ!」
「不注意な彼らが悪いのです。レティシアを守るためには、それくらいの厳重さが必要ですから」
(……パパとお兄様が、私の目の前でバチバチと火花を散らしてる……)
《解。アラリックとシエルの魔力衝突を確認。……周辺の物理定数が不安定になっています。》
《推奨:レティシアが『あぅー(仲良くして)』と発声することで、事態は沈静化します。》
(了解、システムさん!)
私は精一杯、二人に向かって両手を伸ばした。
「あぅー! だぁー!」
その瞬間。
先ほどまで世界を滅ぼさんばかりの威圧感を放っていた二人の男が、まるで魔法が解けたかのように脱力した。
「っ……! レティシアが……私の腕の中に、飛び込もうとしている……!」
「いえ、父上。僕に『喧嘩はやめて』と言っているのです。ああ、なんて慈悲深いんだ……」
二人は一瞬でデレデレの顔になり、どちらが先に私を抱き上げるかで、今度は無言の「超高速手押し相撲」を始めた。
そのあまりの速さに、周囲の空気が摩擦熱で発火しそうになっている。
「……お二人とも、そのあたりになさいませ」
凛とした声と共に、母、ルナが部屋に入ってきた。
彼女が通るだけで、廊下にいた騎士たちが一斉に左右に分かれ、道を作る。
母様の手には、温かいミルクが入った瓶……ではなく、何やら古めかしい巻物が握られていた。
「レティシア、おはよう。シエル、アラリック様。レティシアを驚かせてはいけませんと言ったはずですよ?」
「「す、すみません……」」
最強の剣聖と、最強の神童が、母様の一言で正座した。
グランヴェル公爵家の真の頂点は、やはり母様らしい。
「レティシア。今日はね、お兄様が作った『守護魔導具』のテストも兼ねて、少しだけ王都のメインストリートを馬車でお披露目しましょうか」
(えっ、パレード!? ただの赤ちゃんなのに!?)
「ええ。王家からも、ぜひ『ロイヤル・トレジャー』の御顔を拝見したいと要請が来ているのです。シエル、レティシアの移動用魔法結界の準備は?」
「万端です、母上。馬車の周囲三キロを『絶対不可侵領域』に指定し、沿道の観衆にレティシアの尊さを脳内に直接響かせる『祝福の魔曲(BGM)』を流します」
(お兄様、それ洗脳に近いから! やめてあげて!)
私の抗議も虚しく、グランヴェル公爵家による「レティシアお披露目作戦」は着々と進められていく。
どうやら、私の「ハイハイ」の範囲は、今日一日で家の中から国全体へと拡大してしまいそうだ。
《通知。個体名:レティシアの『名声値』が急上昇中。……将来的に、あなたが歩く場所はすべて聖地として巡礼の対象になる可能性があります。》
(……もう、好きにして。私は、パパの広い胸の中で二度寝するから……)
私は、パパに抱っこ(という名の、鉄壁のガード)をされながら、これから始まる「王都騒然」のパレードに向けて、静かに瞳を閉じた。
お兄様の過保護。
パパの暴走。
母様の優雅な支配。
そして、私の無自覚なチート。
前世の社畜時代には想像もできなかった「重すぎるほどの愛」が、今日も私を包み込んで離さない。
……うん、やっぱり、ちょっとだけ幸せすぎるかもしれない。




