庭園の魔力を吸い込む、驚異の赤子
騎士団のVIP警護を受けながら、私はついに「世界の果て」……もとい、公爵邸自慢の中庭へと到達した。
(ふあぁ……! 空が高い。そして、空気がおいしい!)
前世の私が吸っていたのは、サーバー室の乾燥した空気と、深夜のコンビニの揚げ物の匂い、そして同僚たちの溜息が混じった「絶望」という名の気体だった。
それに比べて、この庭の空気はどうだろう。
吸い込むたびに、細胞の一つ一つが「生きてるー!」と歓喜の声を上げているのがわかる。
《通知。大気中の魔素濃度が上昇。……解析完了。この庭園は、伝説級の『世界樹の苗木』の加護を受けています。》
(世界樹の苗木!? さらっとすごいこと言わないでよ、システムさん)
見渡せば、見たこともないような七色に輝く花々が咲き乱れ、噴水からは宝石のような雫が舞い上がっている。
どうやら公爵家は、庭園の維持管理に「国家予算レベル」の魔導具をつぎ込んでいるらしい。
「レティシア、見てごらん。この『月の雫草』は、百年に一度しか咲かないと言われている。君の初陣を祝って、一斉に開花したようだね」
パパが私の隣を並走(匍匐前進)しながら、熱っぽく語りかけてくる。
……パパ、お願いだから公爵の威厳を思い出して。騎士たちが後ろで「公爵様、お見事な這い方です!」って感動しちゃってるから。
「アラリック様、そんな珍しいだけの花よりも、こちらの『精霊のバラ』の方がレティシアにはお似合いですわ。さあ、レティシア。触れてごらんなさい。この花は純粋な魂を持つ者にしか心を開かないのですよ」
母様が優しく微笑み、大輪の青いバラを指差した。
私は好奇心に駆られ、ぷにぷにの指先でその花弁に触れてみた。
その瞬間――。
(あ、これ……最適化しなきゃ)
SEの職業病だろうか。
指先から伝わってきた「魔力の流れ」に、わずかな淀みを感じてしまった。
前世の私なら、迷わずキーボードを叩いてコードを書き換えていたところだ。
私は無意識のうちに、体内の魔力を指先に集中させ、その「淀み」へと流し込んだ。
《解。固有スキル【慈愛の眼】の派生機能を発動。……魔力回路の再構築を開始します。》
《最適化完了。対象の『精霊のバラ』を、『聖域の蒼華』へと進化させました。》
シュゥゥゥ……と静かな音がしたかと思うと、青いバラが白銀の光を放ち、周囲の魔素を猛烈な勢いで吸い込み始めた。
「な……ッ!?」
母様の声が裏返った。
それだけではない。私の周囲にいた数百人の騎士たちが、一斉に武器を落としてその場に膝をついた。
「バ、バラが……精霊王の加護を得た『聖花』に進化しただと……!?」
「あり得ん……! 伝説の聖女が一生を捧げて成し遂げる奇跡を、お嬢様は指先一つで……!」
(え、やだ。私、また何かやっちゃいました?)
私は慌てて指を離したが、時すでに遅し。
進化した花からは、溢れんばかりの純粋な魔力が霧となって流れ出し、私の体……というか、おむつのあたりを優しく包み込んだ。
《報告。個体名:レティシアの体内魔力プールが枯渇。……自動復旧を開始します。周囲の魔素を強制吸引します。》
「ふぇ……あうっ!?」
私の体が、まるでダイソンの掃除機になったかのような感覚。
庭園中の魔力が、渦を巻いて私の小さな体に吸い込まれていく。
それを見たパパが、顔を真っ青にして叫んだ。
「いかん! レティシアの魔力回路が爆発してしまう! シエル、すぐに抑制結界を――!」
「……いえ、父上。必要ありません。見てください、あの穏やかな表情を」
シエルお兄様が、震える手で魔導書を落としそうになりながらも、私を凝視していた。
「レティシアは、吸い込んだ魔力を……一瞬で『自分のもの』にしています。通常なら数十年かかる魔力の純化を、瞬きする間に……。彼女の魂は、この庭園の魔力程度では満たされないほど、広大で深いということだ」
お兄様の解析(という名の妄想)が止まらない。
実際は、私のシステムさんがバックグラウンドで「超高速圧縮保存」してくれているだけなんだけど。
「ああ……なんてこと。レティシア、あなたはどれだけ私たちを驚かせたら気が済むの……っ!」
母様は感極まって、進化した花の前で祈るように手を合わせた。
すると、私の頭上にふわふわと小さな光の粒が集まってきた。
《感知。下級精霊……いいえ、精霊の王たちがあなたの魔力に惹かれて集結しています。……交流を希望しているようです。》
(精霊さん? これ、もしかして……もふもふ系?)
目の前に現れたのは、小さな子犬のような姿をした光の塊。
それが私の鼻の先に「つん」と触れた。
「あぅ! きゃはは!」
私が笑い声を上げると、庭園中の木々が一斉にザワザワと揺れ、見たこともないような色鮮やかな蝶たちが舞い上がった。
枯れていた古木からは新芽が噴き出し、池の水は一瞬でクリスタルのような透明度を取り戻していく。
「……奇跡だ。これはもはや、降臨だ」
騎士団長が涙を流しながら、私のハイハイしているルートに頭を擦りつけている。
「レティシアお嬢様万歳! グランヴェルの女神様万歳!」




