初めての移動は、騎士団の護衛付き
(よし、きた! それじゃあ……レッツ・ハイハイ!)
私は気合を入れ、四つん這いの姿勢をとった。
まずは絨毯の上を一歩。ぷにっとした膝の感触が心地よい。
しかし、私がその小さな一歩を踏み出した瞬間――。
「総員、構えッ!!」
部屋の外から、地を揺らすような怒号と、ジャラリ……という重厚な金属音が響いた。
(えっ、なに!? 敵襲!?)
バァン! と勢いよく扉が開く。
そこに立っていたのは、フルプレートの鎧に身を包んだ、この国の精鋭「白金騎士団」の面々だった。
その数、ざっと二十人。全員が抜剣し、跪いて私を囲む。
「お、お嬢様が……レティシアお嬢様が、自力で大地を踏みしめようとなさっておられるぞ!」
「歴史的瞬間だ! 塵一つ、彼女の膝に触れさせてはならん! 全員、お嬢様の進むルートの絨毯を磨き上げろ!」
(……パパ。これ、あなたの仕業ね?)
騎士たちの後ろから、マントを翻して現れたのは、私の父・アラリック公爵だった。
彼は戦場での厳しい顔とは裏腹に、その瞳には熱い涙を溜めている。
「レティシア……。ああ、レティシア! 君はついに、自分の足で(膝だけど)未来へ進もうというのか! パパは感動した! 今すぐこの屋敷の廊下すべてに、王都のギルドから買い占めた最高級の防護結界を張らせよう!」
「父上、遅いです。結界は僕がすでに『常時発動型』で組み込んでおきました」
父様の隣から、兄のシエルが涼しい顔で現れた。
けれど、その手にある魔導書からは、私の進行方向を優しく照らす「聖なるガイドライン」が照射されている。
「レティシア、安心して進んでいいよ。君が転ばないように、僕が周囲の重力を0.8倍に調整しておいたから。万が一転んでも、綿毛のように着地できるよ」
(お兄様……。過保護が物理法則を歪め始めたよ……)
私は、騎士団の護衛に囲まれ、兄の魔法で重力をいじられ、父の号泣に見守られながら、一歩、また一歩とハイハイを進めた。
ただの移動のはずなのに、雰囲気は完全に「軍隊の行軍」か「国賓のパレード」である。
「報告します! レティシアお嬢様、現在進行速度を10%上昇! 驚異的な身体能力です!」
「なにっ、早すぎる! 前方の騎士、もっと迅速に道を空けろ! お嬢様の進路に影を落とすな、太陽の光が均等に当たるように調整せよ!」
騎士団長らしき屈強な男が、必死の形相で部下に指示を飛ばしている。
彼らは普段、ドラゴンの襲撃から国を守る英雄たちのはずだ。そんな彼らが今、赤ん坊のハイハイのためにフォーメーションを組んでいる。
《報告。個体名:レティシアの移動により、周囲の者に多大な心理的影響(狂喜・崇拝)を与えています。……固有スキル【慈愛の眼】により、追加の称号を獲得しました。》
《称号:【平伏させる赤ん坊】を獲得しました。》
(いらないよ、そんな不名誉な称号!)
私は心の中で叫びながらも、ようやく部屋の入り口にたどり着いた。
そこには、母のルナが優雅に、けれど目は血走らせて待ち構えていた。
「レティシア、よく頑張りましたわね。さあ、次は廊下を渡って、中庭まで遠征しましょうか。セバスチャン、準備は?」
「はっ。中庭までのルートには、すでに千人のメイドを配置し、お嬢様が万が一にもお寂しくないよう、一メートルごとに笑顔で待機させております」
(……ちょっと待って。一メートルごとにメイドがいる廊下って、怖すぎるんだけど!?)
私はあまりの包囲網の厚さに、思わず動きを止めた。
すると、家族全員が息を呑む。
「ど、どうしたレティシア!? 疲れたのか? パパが今すぐ、純金製の特注ベビーカー(魔力駆動式)を持ってこさせよう!」
「いいえ、アラリック様。レティシアは今、自分の力で成し遂げる喜びを感じているのですわ。……さあ、レティシア。お母様と一緒に、世界の果て(中庭)まで行きましょうね」
母様が私の手を取り、優しく導く。
その手からは、前世の疲れがすべて溶けていくような、極上の癒やし魔法が流れ込んできた。
(……はぁ。もう、いいわ。ここまで愛されてるなら、いっそのこと、この『軍隊ハイハイ』を楽しんでやるんだから!)
私は覚悟を決め、騎士たちの抜剣した剣のトンネルをくぐり抜け、廊下へと躍り出た。
私の進む先々で、メイドたちが「キャアア! 可愛い!」「聖女様降臨だわ!」と声を押し殺して絶叫し、騎士たちが感極まって咽び泣く。
《確認。スキル【精神耐性】のレベルが上昇しました。……あなたは、この圧倒的な溺愛を受け入れる『器』を手に入れました。》
(その器、できれば前世の仕事の時に欲しかったなぁ……)
そんなことを思いつつ、私の「異世界初遠征」は、王国史に残るほどの大騒動へと発展していくのであった。




