ログに刻まれた『恋文』? ユリウス王子の不穏なアプローチ
「……ねぇ、システムさん。もう一度昨夜のアクセスログを、バイナリ単位で精密スキャンして。……特に、王太子の私室から発信された、あの『暗号化パケット』の中身よ」
聖教国の攻撃を退けた翌日の午後。
私は王宮の一角にある東屋で、お兄様に用意してもらった特製ハーブティーを飲みながら、L-Padの画面を睨みつけていました。
《了解。……パケットの解析を完了しました。……内容は軍事的な攻撃コードではなく、極めて高度に暗号化された『定型文』です。……翻訳します。――『親愛なる管理者に告ぐ。君のシステムに、私の全資産を統合し、共同管理者としての永久的な読み書き権限を要求する』。》
(……はぁ? ……これって、まさか)
《補足。……前後の文脈と、王宮の古い婚姻法に基づいた術式構成から推測するに、これは現代のIT用語で言うところの『事業統合(M&A)』、一般的には『プロポーズ』に該当する暗号文です。》
「……ぶっ!!」
私は思わず、口に含んでいたハーブティーを吹き出しそうになりました。
三歳の幼女が、真っ昼間から真っ赤な顔をしてL-Padを叩いている姿は、周囲から見れば微笑ましいお遊びに見えるでしょうが、私の脳内は現在、未曾有の「セキュリティ・アラート」が鳴り響いています。
「……レティシア、行儀が悪いよ。……どうしたんだい? そんなに激しいパケット(動揺)を隠さないなんて、君らしくないじゃないか」
隣で優雅に読書をしていたお兄様のシエルが、呆れたようにハンカチを差し出してくれました。
「……お、お兄様。……聞いて。……ユリウス王子が、私のL-NETに『勝手にポエムを流し込んできた』のよ。……しかも、婚姻関係による『管理者権限の共有』っていう、最悪に非効率な条件付きで!」
「……えっ!? ……ユリウス様が……君に? ……いや、彼は確かに君の才能を高く評価していたけれど、まさかこのタイミングで『直接ログイン』を試みるとはね」
シエルが眼鏡を押し上げ、鋭い視線を空へ向けました。
「……王家にとって、君の構築したネットワークは、もはや喉から手が出るほど欲しい『最強のインフラ』だ。……それを手に入れる最も手っ取り早い方法は、システムを買い取ることじゃない。……開発者を、自分たちの『身内』に取り込むことだ」
「……あいつ、私を『独占禁止法違反』で訴えるどころか、自分が独占する側に回るつもりなのね……」
私が苛立ちまぎれにキーボードを叩こうとした、その時でした。
「――お邪魔かな、愛しき『聖女様』」
背後から、柔らかく、しかし有無を言わせぬ圧を持った声が響きました。
そこに立っていたのは、光り輝くような金髪をなびかせ、完璧な微笑みを湛えた第一王子、ユリウス・フォン・王太子その人でした。
「……ユリウス様。……昨夜は、私のサーバーに不法侵入してくださったそうで。……おかげで、セキュリティの脆弱性調査の手間が省けましたわ」
私は椅子から降りることなく、冷ややかな視線を向けました。
三歳の幼女が第一王子に対してとる態度ではありませんが、私にとって彼は現在、「勝手にシステムにバックドアを作ろうとしている不届きなユーザー」でしかありません。
ユリウスは、私の無礼を気にする風もなく、むしろ楽しそうに笑って私の隣に腰を下ろしました。
「……ははは、相変わらず手厳しいな。……だが、不法侵入だなんて人聞きが悪い。……私はただ、私自身の『未来の仕様書』を君に共有したかっただけだよ」
「……その仕様書、だいぶ『設計ミス』が目立っていましたけど? ……特に、私のプライベートな領域に共有フォルダを作るっていう項目、あそこは永久に『アクセス拒否(403 Forbidden)』ですから」
「……おや、それは残念だ。……君のシステムと私の権限が完全に同期すれば、この国は千年続く『バグのない楽園』になるというのに」
ユリウスは身を乗り出し、私のL-Padの画面を覗き込んできました。
彼の瞳には、純粋な好意だけでなく、レティシアという「最強の道具」を手に入れようとする、冷徹な計算高さが混じっています。
「……ユリウス様、一つ教えて。……あなたは、私という人間が好きなの? ……それとも、私の作った『システム』が欲しいだけ?」
「……どちらも、と言ったら信じてくれるかな? ……君という開発者がいてこそのシステムだ。……君の描く数式、君の紡ぐコード、そして、それらを操る君の冷徹なまでの美しさ。……私はそのすべてを、王室の『秘密(変数)』として保護したいんだ」
「……『保護』という名の『暗号化』でしょ? ……ごめんなさい、私、オープンソース(自由)な環境が好きなの。……一人のユーザーのために、全リソースを割くつもりはありません」
私はL-Padを操作し、ユリウスの目の前に一枚の「論理回路図」を投影しました。
R_access = { 1 if (User = Public), 0 if (User = Royal & Request = Exclusive) }
※ここで R_accessはアクセス許可、条件は「王族による独占要求」があった場合に「0(拒否)」を返す。
「……これが私の答えです。……あなたが私と対等に話をしたいなら、まずは『管理者ログイン』なんて卑怯な真似はやめて、一人の『一般ユーザー』として、私のサービスの品質向上に貢献してください」
ユリウスは、投影された回路図をしばらく眺めていましたが、やがて小さく、しかし低く笑い声を上げました。
「……くくっ、……あははは! ……素晴らしい! ……やはり君は、私の想像を遥かに超えている。……数式で振られるなんて、王族の歴史始まって以来の快挙だよ」
彼は立ち上がると、私の手首をそっと取り、その手の甲に恭しくキスをしました。
「……いいだろう。……昨夜の『不法ログイン』は、私の負けだ。……だが、レティシア。……システムの脆弱性は、いつか必ず見つかるものだ。……君がいつか、一人では処理しきれない『無限ループ(孤独)』に陥った時、そのバックアップを受け持つのは私だと、改めてログに刻んでおいてくれ」
ユリウスは、最後まで完璧な王子の微笑みを崩さないまま、優雅な足取りで去っていきました。
彼の姿が見えなくなると、私は深く、深く溜息をつきました。
「……お兄様。……あの人、絶対に諦めてないわよね」
「……そうだね。……昨夜のログインは、ただの『ポートスキャン(様子見)』だったんだろう。……ユリウス様は、君のガードが固ければ固いほど、より高度な『ハッキング』を仕掛けてくるタイプだ」
シエルが眉をひそめながら、私のL-Padに新しい暗号キーを生成してくれました。
「……レティシア、次のアップデートでは、王族専用の『ハニーポット(罠)』を設置しておいたほうがいいかもしれないよ」
「……賛成だわ。……あんなに顔が良くて頭も切れるユーザーに、毎日『管理者権限をください』なんて粘着されたら、私の開発効率が落ちてしまうもの」
私は、ユリウスのログイン履歴を強制的に「スパムフォルダ」へと移動させました。
しかし、心拍数のログが微かに乱れているのを、システムさんは見逃しませんでした。
《解析。……レティシア様の心拍数に、不自然な『オーバークロック(高揚)』を確認。……原因は、ユリウス王子の外見パラメータによる物理的な影響(顔が良すぎること)と推測されます。……冷却ファン(扇風機)の使用を推奨します。》
(……っ、うるさいわよ! ……あれはただの『電圧の乱れ』よ!)
三歳の聖女と、野心溢れる王太子の「管理者権限争奪戦」。
それは、甘いプロポーズという形を借りた、この国で最も危険なハッキング対決の幕開けでした。
その夜、レティシアのL-Padに、ユリウスから一通の「公式メッセージ」が届きます。
それは、彼が主催する「王立魔導学院の設立パーティー」への招待状――。
そこには、レティシアの技術を公に「査定」しようとする、王室側の罠が待ち構えていたのでした。




