地獄のコードレビュー! 五百年前の遺物をリファクタリングします
帝都ガルアの深部、中央魔導演算所の最深階。
そこは、冷却用の魔力が激しく循環する音が唸りを上げ、肌を刺すような高濃度のマナが霧のように立ち込める、エンジニアにとっては「物理的にも論理的にも最悪な環境」でした。
(……ねぇ、システムさん。この部屋の湿度、じゃなくてマナ濃度、健康被害が出るレベルじゃない? サーバー室のエアコンが壊れてるどころの話じゃないわよ)
《解。……空間内の魔力圧が標準の400%を超えています。……演算機『大公』の廃熱処理能力が限界に達しており、基幹回路の一部が物理的に融解し始めています。》
(……冷却ファンが止まったまま高負荷のエンコードを回してるようなものね。……あぁ、もう、この匂い! コードが焦げるような嫌なノイズが鼻につくわ)
私は鼻をつまみながら、巨大な水晶の塊……「大公」の前に立ちました。
そこには、顔色を土に変えた帝国の高位魔導師たちが、必死に杖を振るって術式の暴走を抑えようとしていました。
「……退いてください。邪魔です」
私の低い、けれどよく通る声に、魔導師たちが一斉にこちらを振り返りました。
「な、なんだ、その子供は!? 今は非常事態だ、許可なき者は立ち入り……」
「黙れ。……レティシア閣下のご温情を無下にするな」
お父様が魔剣の柄に手をかけ、一歩前に出ました。
それだけで、部屋の空気が一瞬で「恐怖」という名の静寂に書き換えられます。
「あ、アラリック公爵……! しかし、この『大公』は我ら帝国の英知の結晶。それを、このような幼子に触れさせるわけには……」
「英知の結晶? ……冗談でしょう?」
私は、大公から伸びる無数の「魔導回路」を指差しました。
それは銀色の糸というより、泥にまみれたスパゲッティが幾層にも絡み合い、もはや原型を留めていない異様な塊に見えました。
「……五百年前の基本構文の上に、最新の増幅器を無理やり載せ、さらにその隙間を、名前も定義されていない『グローバル変数』で埋めている。……挙句の果てに、何をするためのものか誰も知らない『死んだ術式』が、全体の半分以上を占めている。……これを作ったのは誰? ……万死に値するわ」
私は、L-Pad(魔導板)を高速で叩き、大公の「ソースコード」を空間上に投影しました。
[計算式: Total_Error_Count = ∞ (Overflow) ]
[ステータス: Warning. Logical_Consistency = 0.001% ]
「……な、なんだ、その光る板は!? ……それに、この術式の羅列は……まさか、『大公』の内部構造を可視化しているのか!?」
帝国魔導師のリーダー格、ボルグという名の老人が目を見開いて叫びました。
「お兄様、第3階層の『マナ循環プロトコル』を見てください。……ここ、再帰関数の終了条件が設定されていません。……マナが無限に回り続けて、熱を出し続けている原因です」
「……あぁ、本当だ。……レティシア、それだけじゃないよ。第5階層の『セキュリティ・レイヤー』に、ハードコードされたパスワードが残っている。……これ、外部から入り放題じゃないか」
お兄様のシエルが、私の隣で頭を抱えていました。
彼もまた、あまりの「コードの汚さ」に目眩を起こしているようです。
「……い、意味がわからん! 術式とは、祈りと献身によって積み上げられるもの! それを、そんな、計算機のように……!」
「……だから、爆発しそうになっているんですよ、ボルグさん」
私は冷たく言い放ち、右手を大公へと伸ばしました。
「システムさん。……『大公』の全プロセスを一時停止。……ガベージコレクション(不要なメモリの解放)を強制実行して」
《了解。……【管理者権限】による割り込みを開始。……不要なプロセスの強制終了を実行します。》
「――『システム・フリーズ』!」
私が叫ぶと同時に、部屋全体を揺らしていた唸り声が、ピタリと止まりました。
暴走していた魔力の奔流が静止し、眩しかった紫の光が、穏やかな青色へと変わっていきます。
「……止まった? ……我ら百人の魔導師が三日三晩かかっても抑えられなかった『大公』が、一言で……?」
魔導師たちが、杖を落としてその場に膝をつきました。
「……喜ぶのはまだ早いわ。……これはただの『一時停止』。……これから、この中身を全部ひっくり返して、最初から書き直す(リプレース)んですから」
私は、L-Padの画面上に、巨大な「ゴミ箱」のアイコンを表示させました。
「お父様。……これから大量の『不要な魔力』が外部に排出されます。……周囲に被害が出ないよう、物理的な障壁をお願いできますか?」
「任せておけ、レティシア。……我が娘の『大掃除』だ、埃一つ外へは出させん! ……『極大防壁・クリムゾン・シェル』!」
お父様の真っ赤な魔力が、演算室全体を包み込みました。
これで準備は完了です。
「……さぁ、お掃除の時間よ。……システムさん、八千万行の全スキャンを開始。……重複コードの削除、および論理構造の再構築。……仕上げに、私の『レティシアOS(L-OS)』を上書きインストールして」
[実行コマンド: format C: /Force_Rebuild ]
[進捗: 0.1% ... 1.2% ... 5.5% ... ]
私の視界の中では、文字通り「情報の洪水」が吹き荒れていました。
不要なコメントアウト、意味のないループ、そして、巧妙に隠された「深淵のエンジニア」のバックドア……。
私はそれらを、一つずつ、容赦なく「デリート」していきました。
(……あ、ここ。……王室の資金を密かに海外へ送金するスクリプトが仕込まれてる。……これもデリート。……こっちは、使用者の寿命を削って魔力に変える禁忌の術式……? ……最低ね、ゴミ箱行きよ!)
数時間が経過した頃。
私の全身からは、三歳児の体力を超えた集中力により、激しい汗が噴き出していました。
「レティシア! もういい、これ以上は無理だ! 倒れてしまう!」
お父様が心配して駆け寄ろうとしましたが、お兄様がそれを制しました。
「……お父様、ダメです! 今、彼女を止めたら、帝国の魔導バランスが完全に崩壊します! ……レティシア、僕の魔力を全部使っていい! ……最後まで走り抜けるんだ!」
お兄様が私の背中に手を当て、温かな魔力を流し込んでくれました。
そのおかげで、私の意識は再び鮮明になります。
(……ラストスパート! ……地脈の同期、完了! ……カーネル(核)の書き換え、完了! ……最後の一行を……コミット!)
「――『世界再構築』!」
ゴォォォォォォォォォォ……ッ!!
演算室の中心にある水晶が、これまでにないほど透き通った、美しい虹色の輝きを放ちました。
唸り声は、静かな、心地よい「ハミング」のような音へと変わり、部屋の温度は一気に適温まで下がっていきました。
《通知。……演算機『大公』のリファクタリングが完了しました。……総コード数は八千万行から、三万行へと圧縮されました。……処理能力は以前の5,000%に向上。……帝国全体の魔導インフラが、正常に再起動されました。》
「…………三万行?」
後ろでログを見ていたお兄様が、呆然と呟きました。
八千万行という、国家の歴史そのもののような膨大な記述を、私は「論理の純化」だけで三万行にまで削ぎ落としたのです。
「……あ、あぁ……。……なんという、美しさだ……」
ボルグ老人が、新しくなった大公の「構成式」を見て、涙を流しながら崩れ落ちました。
そこには、もはや難解な呪文の羅列はありませんでした。
あるのは、一つの無駄もない、究極に洗練された「数式という名の芸術」だけ。
「……ふぅ。……これで、とりあえずの『フリーズ』は回避できたわ」
私はふらつく足取りで、お父様の胸の中に飛び込みました。
「よくやった、レティシア! 本当に、本当によくやった! ……さあ、もう寝る時間だ。皇帝への報告など、パパが適当に……『娘が全部直したから、感謝してひれ伏せ』と伝えておくからな!」
「……お父様。……それだと、角が立ちすぎます……」
私は眠気に誘われながら、新しくなった「大公」のログの端っこに、ある「署名」が刻まれているのを確認しました。
[ Author: Leticia_de_Grandvelle ]
[ System_Status: God_Mode_Active ]
(……さて。……これでこの国も、私の『管理下』に入ったわ。……あのおじさん、自分のメインサーバーが乗っ取られたことに、いつ気づくかしらね)
私はお父様の温かい腕の中で、今度こそ深い眠りに落ちました。
帝国の「英知」を、わずか数時間で「自分の私物」へと書き換えてしまった三歳児。
翌朝、帝都中の魔導具が「以前よりも数千倍速く、かつ正確に」動き出したのを見て、帝国の人々が腰を抜かすことになるのは、まだ少し先のお話です。




