旧市街のセキュリティホールと、過保護な監査チーム
学園という「ローカル環境」のクリーンアップを終えた私は、いよいよ本腰を入れて外の世界、つまり「広域ネットワーク」の監査に乗り出すことにしました。
ターゲットは、以前「深淵のエンジニア」が痕跡を残した王都の旧市街地区。あそこから不気味なノイズが、まるでバックグラウンドで密かに増殖するワームのように、じわじわと王都全域に広がっているのを感じるからです。
(……ねぇ、システムさん。旧市街のログ、やっぱりおかしいわよね? 昨夜から『未知の通信リクエスト』が急増してるんだけど)
《解。……旧市街区において、魔導回路の異常発熱を検知。……特定の座標を起点として、物理演算の「端数切り捨てエラー」が意図的に引き起こされています。……放置した場合、三日以内に局所的な空間崩壊が発生する恐れがあります。》
(……端数切り捨てエラーを積み重ねて空間を壊すなんて、相当に性格の悪いプログラミングね。完全に『Officeのバグ』を突いて世界をフリーズさせようとするタイプだわ)
私は、公爵邸のテラスで冷めた紅茶を一口飲み、小さく息を吐きました。三歳児の体には少々荷が重い案件ですが、このままフリーズ(世界崩壊)を待つほど、私はお人好しなエンジニアではありません。
「お父様、お兄様。……お話があります」
私が真剣な表情で切り出すと、お父様(アラリック公爵)は手に持っていた「レティシアへのプレゼント(特大のぬいぐるみ)」を落とし、お兄様のシエルは読んでいた魔導書を即座に閉じました。
「どうしたんだ、レティシア! 気分が悪いのか? それとも、誰かに意地悪をされたか!? パパが今すぐその原因をこの世からデリートしてこよう!」
「いえ、お父様。……王都の旧市街に、非常に質の悪い『バグ』が潜伏しています。放置すれば公爵家、ひいては王国全体に致命的なエラーが波及します。……今すぐ、私が現地に赴いてパッチを当てる必要があります」
私が淡々と説明すると、二人は顔を見合わせ、それから深刻な表情で私を見つめ返しました。
「旧市街か……。あそこは現在、原因不明の『魔導疫病』が流行しているとして封鎖されている場所だ。レティシア、お前が行くのはあまりに危険すぎる」
お兄様が諭すように言いますが、私は首を振りました。
「お兄様、それは疫病ではありません。魔力の循環システムに『ウイルス』が混入したことによる、バイオ・ハッキングの一種です。通常の治癒魔法では治りません。……根本的なソースコードの修正が必要です」
「……わかった。レティシアがそこまで言うのなら、間違いはないのだろう」
お父様が立ち上がり、私の肩に手を置きました。その瞳には、親馬鹿の皮を脱ぎ捨てた「王国最強の騎士」の鋭い光が宿っていました。
「だが、一人で行かせるわけにはいかない。パパが騎士団の精鋭を引き連れ、お前の『セキュリティ監査』とやらを全力でガードしよう。シエル、お前は後方支援だ。王宮の魔導師団に連絡して、旧市街周辺の結界をレティシアの命令一つで操作できるように調整させろ!」
(……お父様、話が早すぎて助かるわ。でも、騎士団を連れて行ったら、それだけで向こうの『ウイルス』が警戒して隠れちゃうんだけどな……)
数時間後。私はお父様の広い胸の中に抱かれ、重装歩兵たちが周囲を固めるという、およそ「お散歩」とは程遠い物々しい雰囲気で旧市街へと足を踏み入れました。
かつては活気のあったはずの街並みは、今や不気味な黒い霧に覆われ、建物の輪郭が時折「バグ」のようにガタガタと歪んでいます。
「……ひどいものですね。完全にリソースが食い潰されているわ」
私が呟くと、お兄様が手元の魔導探知機を見て顔をしかめました。
「レティシア、探知機が正常に機能しない。マナの波形がデタラメだ……。まるで見えない何かに、世界の定義そのものを書き換えられているような……」
「お兄様、それは『偽装パケット』です。探知機に嘘の情報を流し込んで、真実を隠しているんですよ。……システムさん、オーバーライド(強制書き換え)を開始。視界をクリアにして」
《了解。……【管理者権限】による視覚情報の正規化を実行。……レンダリング・エラーを修正しました。》
私の視界から黒い霧が消え、代わりに街の至る所に浮遊する「黒い電子の塊」のようなウイルス・プログラムが可視化されました。
「……見つけたわ。あそこが『感染源』ね」
私が指差したのは、街の中央にある古びた時計塔でした。そこから、血管のようにドロドロとした黒いコードが街全体に伸び、住民たちの魔力を吸い上げているのが見えます。
「――待て! 誰かいるぞ!」
お父様が魔剣を抜き、私を庇うように一歩前に出ました。
時計塔の影から現れたのは、ボロボロのフードを被った数人の男たちでした。しかし、その動きは緩慢で、瞳には生気がありません。
「……あれは、人間ではありません。……ウイルスに感染し、中身を書き換えられた『操り人形』です。……お父様、お兄様、彼らに触れないでください。感染が広がります」
「くっ、罪のない住民をこんな姿に変えるとは……! レティシア、どうすればいい!?」
「私が『ウイルス駆除(スキャン&デリート)』を行います。……お父様たちは、湧き出てくるノイズを近寄らせないでください!」
私はお父様の腕から降り、トコトコと時計塔に向かって歩き出しました。
小さな足取りですが、私の周囲には既に無数の「黄金のコマンドウィンドウ」が展開され、戦闘体制は万全です。
[実行コマンド: init_security_protocol(v_1.0) ]
[対象範囲: 王都旧市街全域 ]
「……さぁ、お掃除の時間よ。……ぽいっ、じゃ済まないわ。徹底的に『初期化』してあげる」
私が右手を掲げると、時計塔から伸びる黒いコードが、私を「排除すべき外敵」と認識したのか、一斉に牙を剥いて襲いかかってきました。
「レティシアに指一本触れさせんぞ! 『紅蓮の斬撃』!」
お父様の剣が空を裂き、迫り来る黒いコードを焼き払います。
お兄様もまた、数式を唱えながら巨大な氷の壁を作り、ウイルスの侵食を食い止めます。
「……お父様、お兄様、ありがとうございます。……これで、私の『管理者権限』のパスが通りました」
私は、三歳児の小さな指で、空中に浮かぶ巨大な「Enterキー」を叩きました。
[P(purge) = Σ (Logic_Pattern / Chaos_Entropy) × Root_Authority ]
「――『システム・パッチ:王都の救済』、適用開始!」
キィィィィィィィン……ッ!!
時計塔を中心に、純白の光の円が急速に拡大していきました。
その光が触れるたび、街の建物の「バグ」は修正され、黒い霧は浄化され、操られていた住民たちのコードが「正常な状態」へと巻き戻されていきます。
《Command: [World.Fix(OldTown_FullSector)] ……Success.》
《ウイルス・クラスターの99.9%を駆除。……周辺住民のバイタル情報を正常値へとリストアしました。》
光が収まった時、そこには静寂が広がっていました。
先ほどまでの地獄のような光景は消え、時計塔からは清らかなマナの風が吹き抜けています。
「…………え?」
倒れていた住民たちが、一人、また一人と意識を取り戻し、起き上がりました。
彼らは自分たちの体が軽くなっていること、そして目の前に立つ、純白の光を纏った「三歳の少女」に気づきました。
「……あ、ああ……。女神様……」
「救世主様が、私たちをお救いくださった……!」
一人が膝をつくと、ドミノ倒しのように次々と住民たちが跪き、私に向かって祈りを捧げ始めました。
(……いや、女神じゃなくて、ただのエンジニアなんだけど。……お父様、そんな誇らしげな顔で頷かないで。お兄様、それを手帳に『聖女レティシアの奇跡』ってメモするのもやめて!)
「見たか、諸君! これこそが私の娘、レティシアだ! 王都の不浄を払い、命を救いし、慈愛の化身だ!」
お父様が大声で宣言すると、騎士たちまでが剣を掲げ、「レティシア様万歳!」と唱和を始めました。
(……あちゃー。これ、完全に『教祖』として祀り上げられるパターンじゃない。……おまけに、システムさんが何か言ってるし……)
《通知。……王都住民の信仰心がカンストしました。……固有スキル【聖女の祈り(物理)】を習得。……称号:【王都の守護天使】を獲得しました。》
(……天使。ついに種族まで変わりそうな勢いね……)
私は、跪く住民たちに苦笑いを見せながら、内心では冷徹に時計塔のログを最終確認していました。
(……駆除は完了。でも、このウイルスの『作成者』のサイン……やっぱり、あのおじさんのものだわ。……しかも、今回の攻撃はただのテスト……いわば、王国のセキュリティレベルを測るための『ペネトレーション・テスト』だったようね)
「深淵のエンジニア」。
彼は、この国という巨大なサーバーを、本気でハッキングしようとしている。
「……いいわ。やりたい放題やってくれちゃって。……でも、この街の『管理者』は、私よ。……私の許可なくシステムを弄るバグは、一文字残らず駆除してあげるから」
私はお父様の腕に飛び込み、無邪気な子供の顔を貼り付けながら、心の中では次の「セキュリティアップデート」の計画を立て始めるのでした。
王都を救った三歳児。
その名は、一夜にして伝説となり、王国の隅々にまで響き渡ることになるのです。




