ここは学校?それとも非効率なサーバーファーム?
国家存亡の危機を「システム全消去」の一言で解決してから、早いもので一年が過ぎました。
私は三歳になり、ついに自分の足でトコトコとどこまでも歩き回れる機動力を手に入れました。
(……ねぇ、システムさん。三歳になったお祝いのボーナスとかないの? 物理演算の処理速度アップとか、バックグラウンド実行の効率化とかさ)
《解。個体名:レティシアの三歳の誕生日に伴い、システム・コマンドの実行速度が15%向上しました。……また、新規称号:【歩くオーバーライド】が付与されました。》
(……称号がどんどん「人間辞めてます」感を出してくるわね。でも、いいわ。今の私には、この機動力が必要なんだから)
私は今、公爵邸の広大な図書室で、山積みになった「魔導工学」の専門書をルゥの背もたれにして読み耽っています。
前世のSE時代、仕様書やドキュメントを読み漁っていた頃を思い出します。この世界の魔法は、知れば知るほど記述が冗長で、非効率的なソースコードの塊に見えて仕方ありません。
「レティシア、またそんな難しい本を読んで……。パパは、お前がもっとお庭で蝶々を追いかけっこしたり、お人形で遊んだりする姿が見たいぞ」
扉を勢いよく開けて入ってきたのは、相変わらず親馬鹿の解像度が限界突破しているお父様(アラリック公爵)でした。
その後ろには、数枚の書類を手にしたお兄様のシエルが、苦笑を浮かべて立っています。
「お父様、おはようございます。蝶々との追いかけっこも良いですが、この本の『マナの流動曲線』に関する記述、非常に興味深いですよ。バグというか、計算ミスが散見されますが」
私は本を閉じ、すらすらと、しかし三歳児らしい透明感のある声で答えました。
お兄様がその本の内容を見て、少しだけ目を見開きます。
「レティシア……。それは王立アカデミーの四年生がようやく理解する『並列演算式魔導構築論』だよ。……それを『計算ミス』と言い切れるのは、世界中で君か、あるいは神様くらいだろうね」
「お兄様、ここを見てください。この回路の組み方では、出力の際にマナのロスが三割は生じています。非常に非効率です。ここをバイパスして直接接続すれば、もっとスマートに発動できるはずです」
私が本の端に書かれた複雑な魔方陣を指差すと、お兄様は眼鏡をクイッと押し上げ、その箇所を食い入るように見つめました。
「……! なるほど……。マナの『抵抗値』を逆手に取ったショートカットか。……父上、やはりレティシアをこのまま邸内で遊ばせておくのは宝の持ち腐れです」
お父様は私の頭を撫でながら、複雑そうな表情を見せました。
「わかっている。陛下からも、レティシアを『特別研究生』として王立アカデミーに招待したいと打診が来ている。……だがな、あそこは頭の固い年寄りばかりだ。三歳のレティシアが行って、変な虫がついたり、意地悪をされたりしたら……パパは、王都を更地にしてしまうかもしれない!」
「お父様、更地にするのは僕が手伝いますが、まずはレティシアの意志を聞きましょう」
お兄様が私の目の前にしゃがみ込みました。
「レティシア。王立アカデミー……この国で一番の魔法の学び舎に行ってみるかい? そこには、もっとたくさん本があるし、魔導を研究している大人たちがたくさんいるよ。君の知的好奇心を満たすには、最適の場所だ」
(……アカデミー。要するに、この世界の最高学府、あるいは中央演算センターね。そこにどんな『ソースコード』が眠っているのか、エンジニアとして興味がないと言えば嘘になるわ)
「はい、お兄様。ぜひ行ってみたいです。本物の魔導サーバー……いえ、大規模な魔法構築の現場を見てみたいですから」
私が落ち着いた口調で承諾すると、お父様は崩れ落ちるように膝をつきました。
「……ううっ、レティシアがパパの手を離れて外の世界へ……! 待っていろレティシア、パパがアカデミーの隣に『公爵家別邸・レティシア専用要塞』を今すぐ建設してやるからな!」
(……要塞はいいから、普通に通わせてください、お父様)
数日後。
私はお父様とお兄様に連れられ、王立魔導アカデミーの正門をくぐりました。
そこは石造りの重厚な建物が並び、アカデミックな空気が漂っているはずでしたが……。
《解析。……校舎全体の防犯結界に脆弱性を発見。……内部の魔導サーバーの冷却効率が極めて悪く、マナの熱暴走リスクが3.5%あります。》
(……早速バグだらけじゃない。この世界の最高学府、インフラ整備がなってないわね)
私たちは、アカデミーの最奥にある「特別試験室」へと通されました。
そこには、王国の魔導教育を司る数名の老教授たちが、気難しそうな顔で座っていました。
「アラリック公爵。お連れになられたのは、例の『無限』の魔力を持つというご令嬢ですかな?」
中央に座る、いかにも「私は賢いです」というオーラを纏った老人が口を開きました。
学長のモーリスです。
「……左様だ。だが、私のレティシアをただの実験体のように扱うことは許さんぞ」
お父様が凄まじい威圧感で釘を刺しますが、学長は意に介さず、私に視線を落とし、鼻で笑いました。
「三歳……。いくら魔力量が凄まじくとも、理論が伴わなければただの危険な火薬庫と同じ。レティシア嬢、そこの教壇にある黒板を見てごらん。現在、我が校の天才たちが解こうとしている『高効率熱変換式』の未完成コードだ。これが理解できるかな?」
黒板には、目が回るような魔導数式と、幾何学模様が書き殴られていました。
それは、火の魔法をより効率よく発動させるための「最適化アルゴリズム」の途中のようです。
(……はぁ。わざわざこんな無駄の多い式を見せるなんて。煽り耐性の低いエンジニアを怒らせるとどうなるか、教えて差し上げたほうがいいかしらね)
私はお父様の腕から降りると、トコトコと教壇の方へ歩いていきました。
「学長先生。この数式、非常に美しくありませんね。無駄な再帰ループが多すぎますし、変数の定義が曖昧だからメモリリークを起こしています。これでは効率が良いどころか、ただの魔力の浪費です」
「な、なんだと……!? 幼児が何を……!」
周囲の教師たちがざわめく中、私はお兄様の鞄からこっそり拝借してきた「魔導チョーク」を手に取りました。
(……さて、リファクタリング(再構築)開始。システムさん、サポートよろしく)
《了解。実行。固有スキル【解析・最適化】をチョークに付与。……対象のアルゴリズムを最新の『レティシア式』に書き換えます。》
「ここをこうして、この不要な項は削除。条件分岐を簡略化して、並列処理を導入します……はい、完成です」
私がチョークを置いた瞬間。
黒板に書かれた数式が、黄金の光を放ち始めました。
「な……ななな、なんだこれは!? 私が十年かけても解けなかった収束計算が、わずか数行に……!? しかも、発動速度が理論上の限界を超えている!」
学長が、椅子を蹴り飛ばして立ち上がりました。
他の教授たちも、目を丸くして黒板に駆け寄ります。
「信じられん……! 燃焼効率が100%……。エネルギー保存の法則を無視しているわけではない、ロスをゼロにする記述だ! これを書いたのは……本当に、この三歳の少女なのか!?」
(……ふふん。前世で培った『究極のコード・クリーンアップ』を舐めないでほしいわね。三歳児の手に馴染むチョークで、世界の真理を書き換えるのは快感だわ)
私は平然とした顔で、お父様の方を振り返りました。
「お父様、終わりました。この程度の内容であれば、わざわざアカデミーに通う必要はないかもしれません。家で自習した方が効率的です」
「あああああ! レティシア! 天才だ、やはり我が娘は神の愛子だ! 今すぐこの黒板を国宝に指定しろ! 学長、これを消したらお前の首を飛ばすぞ!」
お父様が私を高く抱き上げ、全力の抱擁を開始します。
一方で、お兄様は冷静に黒板の数式を自分の手帳に写しながら、教授たちに冷ややかな視線を送っていました。
「……学長。これで、レティシアがあなたたちから『教わる』ことなど何一つないと証明されましたね。むしろ、あなたたちが彼女の『教え子』として、一からロジックを学び直すべきだ」
「……ぐ、ぐうの音も出ない……。……レティシア嬢。いや、レティシア閣下……。ぜひ、当アカデミーの名誉総帥として、いや、特別講師として、我々にその叡智を授けていただけないでしょうか!」
学長が、三歳の子供に対して最敬礼を行いました。
周囲の教師たちも、もはや私を子供としてではなく、未知の「超越者」として崇めるような目で見ています。
(……あちゃ。またやりすぎちゃったかしら。でも、この世界の『レガシーシステム』を放置しておくのは、エンジニアのプライドが許さないのよね)
《通知。個体名:モーリスおよびアカデミー講師陣の敬畏度がMAXに達しました。……新規クエスト:【アカデミーのシステム改修】が発生しました。》
(……クエスト? 学園生活を楽しむはずが、いきなり『ITコンサルタント』みたいな仕事を振られてる気がするんだけど……)
私は、お父様の胸の中でルゥと目を合わせました。
ルゥは「頑張れよ、主人」とばかりに、のんきにあくびをしています。
こうして、三歳の私の「学園生活」は、入学初日にして「最高学府の権威をコード一行で論破する」という、前代未聞のバグを引き起こして幕を開けたのでした。
前世の私なら、こんな過密スケジュール、過労死確定です。
けれど、今の私には、世界最強のお父様と、頼りになるお兄様がいる。
(……ま、まずは、この非効率なアカデミーの魔導通信環境から『デバッグ』してあげようかな!)
私の三歳児としての野望は、王国の最高学府さえも飲み込んで、どんどん肥大化していくのでした。




