バグの正体と、初めての『システム・コマンド』
王宮の祝宴から帰る馬車の中。いつもなら「レティシア、今日のドレスも世界一似合っていたぞ!」と親馬鹿全開で騒ぐパパ(アラリック公爵)が、今は珍しく神妙な面持ちで私の手を握っていました。
お兄様のシエルも、膝の上に乗せた白銀の魔導書――先ほど私が「浄化」したばかりの元・呪いの書――を鋭い眼差しでスキャンしています。
(……ねぇ、システムさん。さっきの『給仕の男』、ログに残ってる?)
私はパパの胸に顔を埋めながら、脳内でシステムに問い掛けました。
《解。対象の『魔力指紋』および『空間遷移ログ』の保存に成功しました。……現在、バックグラウンドで対象の残留思念を解析中。……警告:対象のコード記述形式が、この世界の標準的な魔法体系とは大きく異なります。》
(やっぱり。あの魔導書に仕込まれていた『呪詛バグ』、あれはただの嫌がらせじゃない。システムの根幹を狙った……いわば、OSのカーネルを破壊しようとするマルウェア(悪意のあるプログラム)だったわ)
前世のSE時代、何度も苦しめられた「外部からの組織的なサイバー攻撃」。その嫌な予感が、幼い私の背筋を冷たく撫でます。
公爵邸に戻ると、お兄様が私を抱き上げ、自室の「魔導研究室」へと直行しました。パパも鎧を脱ぎ捨てるなり、深刻な顔でついてきます。
「レティシア、さっきの夜会で何を見た? お前のあの視線……ただの子供のそれじゃなかった。何か、とてつもなく不吉なものを見つけていたね?」
お兄様が私の目を見つめます。その瞳には、私への底知れない愛情と、それと同じくらい深い「世界の違和感」への不信感が同居していました。
「……あう。くろい、おじさん。わらってた。ほんと、こわいこわい、してたの」
私は精一杯の幼児語で伝えました。
お兄様は即座に空中に魔導陣を展開し、私が指差した方向の空間データを再現し始めます。
「父上、やはりです。レティシアが指した場所には、通常の魔導探知では絶対に引っかからない『偽装された空白』がありました。おそらく、空間そのものをパッチワークのように切り貼りして、自らの存在を透明化させていた者がいます」
「何だと……!? 王宮の、しかも陛下の目の前でか!? 騎士団の結界は何をしていた!」
パパの怒声が響きますが、お兄様は冷静に首を振りました。
「結界が壊されたのではないのです。……『結界がそれを敵だと認識しないよう、定義そのものを書き換えられていた』。そう考えるのが妥当でしょう。これはもはや魔法ではありません。世界の摂理に対する、悪意ある上書きです」
(お兄様、正解。……さすが私の自慢のお兄様ね。理解が早くて助かるわ)
私は、お兄様の肩に乗っているルゥをなでました。ルゥもまた、低く唸りながら部屋の隅を見つめています。
《緊急通知。……公爵邸の庭園、北緯35度地点に『ロジック爆弾』の起動を確認。……起爆まで残り180秒。……爆発した場合、半径5キロメートル内の因果律が消失し、この一帯が『概念上の虚無』に変換されます。》
(……はぁ!? 今度は公爵邸を爆破するつもり!? しかも因果律の消失なんて、物理的な破壊よりタチが悪いじゃない!)
あの給仕の男――『深淵のエンジニア』と自称した存在。彼は私を試しているのか、あるいは邪魔な私を早々に「削除」しようとしているのか。
「パパ! おにいさま! おそと、いたいいたいくる!」
私はパパの首にしがみつき、必死に窓の外を指差しました。
「レティシア……!? 何かを感じているのか? シエル、庭だ! 庭に何かある!」
「……っ。探知に何も……いや、レティシアが言うなら間違いありません! 父上、防御結界を最大に!」
二人が動き出しますが、残念ながら彼らの魔法では、この「概念上のバグ」は防げません。ファイアウォールをすり抜けてくるウイルスに、物理的な壁を作っても意味がないのです。
(……仕方ない。まだ二歳(手前)だけど、やるしかないわね。……システム、管理者権限(rootアクセス)を私に。一括処理コマンドを実行するわ!)
《了解。……管理者権限、一時昇格を確認。……レティシア・ド・グランヴェルに『システム・コマンド』の実行許可を与えます。》
私は、お兄様の手の中からふわりと宙に浮きました。
驚愕するパパとお兄様の目の前で、私の周囲に無数の「黄金のウィンドウ」が展開されます。それはこの世界の物理法則を司るソースコードの羅列。
「レ、レティシア……!? お前、浮いているのか……? その光の文字は……」
パパの震える声を背に、私は全神経を北緯35度に向けました。そこには、どす黒い「エラーコードの塊」が、今にも弾けそうに膨張しています。
(……見つけたわ。汚染されたオブジェクト、デリート開始!)
私は、小さな右手を天に掲げ、はっきりとその「命令」を口にしました。
「……ぜんぶ、きれいになーれ! 『全消去』!!」
その瞬間、私の喉から放たれたのは、幼児の可愛い声ではありませんでした。世界そのものを震わせる、重厚で絶対的な「神の言葉」。
《Command: [World.Execute(Purge_Malware_All)] ……実行中。》
ピカァァァァァァァァァァッ!!
公爵邸全体を、目も開けられないほどの純白の光が包み込みました。
爆発の衝撃はありません。ただ、世界が「あるべき姿」に一瞬で再構築される、心地よい静寂だけが広がりました。
庭に仕掛けられていた黒いノイズは、光の粒子となって霧散し、汚染されていた空間は、元よりもずっと美しい新緑の庭へと修復されました。それどころか、近所の枯れかかっていた花々までが、一斉に命を吹き返したように咲き誇ります。
「…………な……な……」
パパが、膝をつきました。
お兄様は、手にした魔導書を落とし、呆然と私を見上げています。
「今のは……魔法じゃない。……世界を……世界そのものを書き換えた……? レティシア、君は……」
《処理完了。……脅威度:0。……周辺環境のクリーンアップに成功しました。……警告:MP(魔力)を大幅に消費しました。強制スリープモードに移行します。》
(……ふぅ。……さすがに、世界レベルのパージは疲れるわね……)
私は、空中でバランスを崩し、パパの広い胸の中に真っ逆さまに落ちていきました。
「レティシア! 大丈夫か!?」
パパの焦った声が聞こえます。私は薄れゆく意識の中で、パパの鼻をちょんと触りました。
「……ぱぱ。……もう、だいじょぶ……。おやすみ……」
そのまま、私は深い眠りへと落ちていきました。
翌朝。
私が目を覚ますと、そこには一睡もしていない様子のパパとお兄様、そしてなぜか国王陛下までが、私のベッドの周りを取り囲んでいました。
「……起きたか! レティシア、気分はどうだ!? どこか痛むところはないか!?」
パパの顔はクマだらけで、丸一週間徹夜したプログラマーのような形相でした。
「公爵、落ち着け。……レティシア、昨夜の輝きは王都全域から確認された。そして、王都を覆っていた『正体不明の不浄な霧』が、一瞬にして消え去ったという報告も入っている」
国王陛下が、畏敬の念を込めて私を見つめます。
「……おにいさま、しらべたの?」
私が眠い目をこすりながら尋ねると、お兄様がボロボロの手帳を見せてくれました。そこには、昨夜の光の軌跡と、私が放った言葉の解析結果がびっしりと書かれていました。
「レティシア。君がやったことは、この世界の歴史が始まって以来の『救済』だよ。……あの給仕の男が仕掛けた罠は、王都の魔導回路を完全に麻痺させるものだった。君がそれを『一言』で消し去らなければ、今頃この国は地図から消えていたかもしれない」
(……やっぱり。結構ギリギリだったのね)
お兄様は、私の手を優しく握り、誓うように言いました。
「あいつ……『深淵のエンジニア』とやら。レティシアを、僕たちの宝を傷つけようとした報いは、必ず受けさせる。……レティシア、君はもう、一人で戦わなくていい。僕たちが、君という『世界の真実』を全力で守り抜くから」
「わぅーん!」
ルゥが私の布団の中に潜り込み、顔を舐めてきます。
《通知。個体名:アラリック、シエル、および国王の忠誠度がMAXを突破しました。……称号:【世界の救世主(幼女)】を獲得しました。》
(……救世主、ね。そんな大層なものじゃないわよ。私はただ、この愛すべき家族との時間を、誰にも邪魔されたくないだけ……)
私はルゥの毛並みに顔を埋めながら、昨夜見たあの男の笑みを思い出していました。
彼はまだ、どこかで新しいバグを生成しているはず。
けれど、恐れることはありません。
この世界は、私の大切な場所。
たとえどんな致命的なエラーが起きようとも、私がこの手で、一つ残らず「正常化」してみせるわ。
(……でもその前に。)
「パパ、おなかすいた! おいしいの、いっぱいたべるの!」
「おお! 今すぐ、王室の専属料理人全員を公爵邸に召喚するぞ! 陛下、いいですね!?」
「……許可する。というか、私もここで朝食を共にさせてもらおう」
こうして、国家存亡の危機を「おやすみ」の一言で解決した私は、最強の家族たちに囲まれて、また一つ、わがままな日常を取り戻すのでした。
【第5章 完】




