王都の隠れた名店?レティシア、初めての買い食い
王立騎士団長がフランスパンを抱えて去っていった数日後。私は、少しだけ「自由」を求めていました。
いくら公爵令嬢とはいえ、毎日が屋敷と王宮の往復では、この世界の全貌……もとい「ソースコード」を理解するには不十分です。
「るぅ、準備はいい?」
「わぅん!」
私の足元で、白い毛玉(神獣)が元気よく返事をします。
今日は、ユリウス王子が「面白い場所に案内する」と約束してくれた日。私たちはパパとお兄様の目を盗んで(実際には見守られているのでしょうが)、城下町へと繰り出すことにしたのです。
王都テラニウスの目抜き通りは、活気にあふれていました。
石畳の道に、色とりどりの屋根の商店が並び、商人たちの威勢のいい声が響いています。
前世で言えば、大型ショッピングモールの初売りと、地方の夏祭りを足して二で割ったような、そんな熱気。
私は、地味なデザインの(といっても最高級シルク製の)ワンピースを身に纏い、ユリウス王子に手を引かれて歩いていました。
「……いいかい、レティシア。ここから先は『庶民の領域』だ。公爵家のような贅沢はないが、ここには真実の知識と……その、美味しいものがある」
ユリウス王子は、どこか誇らしげに胸を張っています。
彼は第一王子という立場でありながら、図書館に引きこもるだけでなく、お忍びで街を歩き回る「フィールドワーク」を趣味にしているようでした。
(……王子様、意外とフットワーク軽いのね。将来、いいデバッガーになれそう)
《報告。周辺に複数の高エネルギー反応を感知。……解析の結果、あなたの父アラリックおよび兄シエルが、特殊隠蔽魔法を用いて背後のゴミ箱や街灯に擬態しています。》
(……ゴミ箱に化けてまでついてくるなんて。パパ、公爵としてのプライドはどこへ捨てたの?)
私は溜息を吐きそうになるのを堪え、ルゥと一緒にユリウスの後を追いました。
やがて、大通りから一本外れた路地裏に、ひっそりと佇む一軒の屋台が見えてきました。
そこには、年老いた店主が一人で切り盛りする、香ばしい匂いの漂う小さなお店がありました。
「ここは『ハンスの串焼き屋』。見た目はボロいが、味は王宮の晩餐会にもひけを取らない……と、僕は踏んでいるんだ。さあ、食べてみるといい」
ユリウスが差し出したのは、黄金色に焼かれた「火鶏」の肉串でした。
少し焦げ目のついた肉からは、肉汁が滴り、スパイスの刺激的な香りが鼻腔をくすぐります。
(……お、美味しそう。前世の深夜残業中、コンビニで買った焼き鳥とは比べ物にならないオーラを感じるわ)
私は、小さな手で串を受け取りました。
ルゥが「自分も食べたい」と言わんばかりに尻尾を激しく振っていますが、まずは私が毒見(という名の実食)です。
私は、パクッと一口、そのお肉を頬張りました。
「…………っ!!」
《警告。個体名:レティシアの味覚センサーが上限を突破。……脳内麻薬の異常分泌を確認しました。》
(……美味しい。何これ、美味しい! お肉は柔らかいのに弾力があって、噛むたびにスパイスのハーモニーが口の中で爆発してるわ!)
それは、洗練された王宮の料理とは違う、野性的で、力強い「旨味」の塊でした。
しかし、同時に私の「デバッグ能力」が、ある欠陥を指摘します。
(……でも、惜しいわ。このスパイス、調合比率がコンマ数ミリずれている。それに、焼きムラがあるせいで、一部のマナが逃げ出しちゃってる……!)
私は、店主のハンスさんに微笑みかけ、串を持ったまま、空いている方の手を鉄板にかざしました。
「……おいしくなる、まほー!」
その瞬間。
《実行。固有スキル【言霊の法】発動。……対象:調理プロセス。……処理:熱伝導率の完全均一化、および香辛料の分子レベルでの再配置を実行します。》
シュゥゥゥ……!
屋台から、先ほどとは比較にならないほど芳醇で、天にも昇るような香りが立ち上りました。
鉄板の上で焼かれていたすべての串が、一瞬にして「究極の黄金色」へと変貌を遂げます。
「な……な、なんだこの香りは!? ワシのタレが……ワシの肉が、まるで生きているように輝きだしたぞ!?」
店主のハンスさんが、ひっくり返りそうになりながら叫びました。
さらに、私の言霊の影響はそれだけでは止まりません。
《通知。調理スキルへの『恒久的バフ』を付与しました。……対象の店主は今後、全人類を虜にする『神の料理人』として覚醒します。》
「おい……レティシア。君、今、何をしたんだ……?」
ユリウス王子が、自分の串を持って固まっています。
彼が持っている串からも、聖なる光が漏れ出し、周囲の通行人たちが「なんだこの匂いは!?」「お腹が空いて死にそうだ!」と次々に集まってきました。
「……あう! もぐもぐ、おいちー!」
私が無邪気に二口目を食べると、私の体からも「満足感」が魔力となって溢れ出しました。
その魔力は王都の空へと広がり、街中の人々のストレスを浄化し、幸福感を植えつけていきます。
気がつけば、屋台の周囲にはたくさんの人が集まり、ハンスさんの串焼きを求める行列まででき始めていました。
「ハンスさん! 今日の串焼きはいつも以上に美味しいぞ!」
「こんな味、今まで食べたことがない!」
「もう一度食べたい!」
「ワシの店が……こんなに……?」
ハンスさんは、目を潤ませながら、自分の屋台を見回しました。
「お嬢ちゃん……。あんた、一体何者なんだ?」
私は首を傾げます。
「れちぃあ……?」
「レティシアだよ。彼女はグランヴェル公爵家の令嬢だ」
ユリウス王子が答えると、ハンスさんの顔が一気に青ざめました。
「こ、公爵令嬢様!?」
「しーっ」
私は慌てて人差し指を口元に当てました。
「今日は、お忍びなの」
「お、お忍び……ですか!?」
ハンスさんが声を潜めます。
「はい。……とっても、おいしかったです」
私は満面の笑顔を向けました。
その瞬間、ハンスさんは両手で顔を覆いました。
「……こんな小さなお嬢様にそんなことを言われたら、料理人冥利に尽きるってもんだ……!」
ユリウス王子も、嬉しそうに笑っています。
「気に入ってくれたようでよかったよ、レティシア」
(……うん。こういう庶民的な食べ歩きって、前世では普通にしていたことだけど……今は公爵令嬢だから、なかなかできないのよね)
私はもう一度、串焼きを見つめました。
「るぅ!」
「わぅ!」
ルゥが待ちきれない様子で私の足元をくるくる回っています。
「はい、ルゥもどうぞ」
私は串からお肉を少しだけ取り分け、ルゥに差し出しました。
「わぅ……!」
ぱくっ。
ルゥの尻尾が、ぶんぶんと激しく揺れました。
(……よかった。ルゥも気に入ったみたい)
その様子を見ていたユリウス王子が、ふっと笑います。
「……なんだか、君といると退屈しないね」
「……?」
「いや。なんでもないよ」
ユリウスは少しだけ頬を赤くして、視線を逸らしました。
(……あら?)
《解析。ユリウス・ド・テラニウス。現在の感情値:幸福度78%。親密度:上昇中。》
(……システムさん、そういうのは黙ってて)
私は少しだけ恥ずかしくなって、串焼きに視線を戻しました。
ところが――。
「……レティシア」
突然、ユリウスの声が低くなりました。
「どうしたの?」
「……あそこ」
ユリウスが視線を向けた先には、少し離れた場所からこちらをじっと見ている数人の男たちがいました。
(……あら?)
《警告。対象者たちから微弱な敵意を検出。……ただし、現在の脅威レベルは低いと判断します。》
私はそっとルゥを抱き寄せました。
すると――。
「レティシア!」
背後から、聞き慣れた声が響きました。
振り返ると、そこには――。
「パパ……?」
ゴミ箱に擬態していたはずのパパが、なぜか普通の姿に戻って立っていました。
その隣には、お兄様もいます。
「お父様……。尾行が下手すぎます」
お兄様が呆れたように言いました。
「何を言う! パパは完璧に気配を消していたぞ!」
「……ゴミ箱から出てきた時点で全部台無しです」
「なにぃ!?」
私は思わず笑ってしまいました。
「ぱぱ、いたの?」
「ああ! もちろんだ! レティシアが庶民の街を歩くなんて、危険すぎるからな!」
「……お父様。レティシア様が危険かどうかより、私たちが一緒に来ていることのほうが問題だと思います」
「何を言う、シエル! 娘の安全は最優先事項だ!」
(……やっぱり、パパはパパね)
私はルゥを抱きしめながら、ふふっと笑いました。
「ぱぱ、だいしゅき」
「…………っ!」
パパの動きが止まりました。
「レ、レティシア……。もう一度……」
「ぱぱ、だいしゅき」
「うおおおおおおおおおっ!!」
「お父様、街中です!」
お兄様が慌ててパパの口を塞ぎました。
(……やっぱり、重い)
でも――。
私は、そんな家族の姿を見ながら、胸の奥がぽかぽかするのを感じていました。
前世では、こんなふうに誰かと一緒に街を歩いて、美味しいものを食べて、笑い合うことなんてほとんどありませんでした。
今は違う。
私には、家族がいる。
そして――。
「レティシア。次は、どこへ行こうか?」
ユリウス王子が優しく微笑みます。
「わぅ!」
ルゥも嬉しそうに尻尾を振りました。
(……うん。次のお出かけも、きっと楽しいものになるわね)
こうして私は、初めての「買い食い」を思いきり楽しんだのでした。
もちろん、帰宅後に「お忍びで買い食いしたこと」がバレて、お兄様による「王都全店舗の衛生・栄養管理システムの構築」という、これまた国家規模のプロジェクトが始まってしまうのですが……それはまた、別の日のバグのお話です。




