ルゥの正体、ついにバレる?
王宮図書館での騒動から数日。私の「お友達」になったルゥ(元・神獣フェンリル)は、公爵邸の庭ですっかり「もふもふの権化」として君臨していました。
しかし、隠しきれない本物のオーラというものは、時として意図せぬバグを引き起こすものです。
その日の公爵邸には、いつも以上の緊張感が漂っていました。
なぜなら、テラニウス王国最強の武力集団である王宮騎士団の団長、バルタザール卿が「先の王宮図書館での異常な魔力反応」の調査のために訪れていたからです。
(……ねぇ、システムさん。あの団長さん、すごくこっちを睨んでるんだけど。私のバグ(チート)がバレたかしら?)
私がパパの膝の上で、ルゥを抱きしめながら尋ねると、脳内の相棒は無機質に答えました。
《解析。対象:バルタザール・ド・ヴァイン。……二つ名:『真実を見通す瞳(真眼)』。……現在の状態:極度の警戒。……原因:あなたの腕の中にいる『もふもふ』から、世界の終わりを告げるレベルの神気が漏れ出ているためです。》
(……あ、やっぱり漏れてたのね。ルゥ、もっと出力を絞って!)
「わぅ?」
ルゥは首を傾げ、私の胸に鼻を埋めて甘える仕草を見せました。見た目はどこからどう見ても可愛らしい白い子犬。しかし、団長の目は誤魔化せなかったようです。
「……アラリック公爵。単刀直入に伺いたい。その、レティシア様が抱いておられる『生き物』は一体どこで手に入れられた?」
バルタザール団長が、腰の剣に手をかけたまま、鋭い視線をルゥに固定しました。
「これか? これは、レティシアが近所の森で拾ってきた、ただの『珍しい犬』だ。な、シエル?」
パパが冷や汗を流しながら、お兄様に話を振ります。お兄様は、眼鏡をクイッと押し上げ、全く動じない表情で手帳を広げました。
「ええ、団長。僕の解析によれば、それは『非常に毛深い、鳴き声の少し特殊な愛玩犬』に分類されます。魔力反応があるように見えるのは、レティシアの聖なる加護が移っただけのこと。……何か問題でも?」
(お兄様、その強引な理論、前世の無理な仕様変更(仕様です!)と同じぐらい無理があるわよ……)
「……ふざけるな! 私の『真眼』は誤魔化せんぞ! その生き物の背後に見えるのは、大地を裂き、空を喰らう銀色の影……伝説の神獣、フェンリルの残影だ! 貴様ら、あろうことか災厄の象徴を王都の中に持ち込んだというのか!」
団長が叫ぶと同時に、彼から凄まじい威圧感が放たれました。
王宮騎士団長の『真眼』。それは隠蔽魔法や変身魔法を無効化し、魂の正体を暴く最高位の探知スキル。
ルゥの擬態が、彼の視線によって剥がれようとしていました。
「ぐるるるる……ッ!!」
ルゥが牙を剥き、その瞳がサファイア色から紅蓮の赤へと変色し始めます。
周辺の空間がバチバチと音を立てて歪み、庭の噴水が凍りつき、空には雷雲が立ち込めました。
「な、なんだこの魔圧は……っ! やはり、フェンリルなのか! 全員構えろ! 王都を死守せよ!」
団長が抜剣した、その瞬間。
「……だめぇっ!!」
私は、ルゥを強く抱きしめ、精一杯の「言霊」を放ちました。
《緊急命令。固有スキル【言霊の法】発動。……対象:空間全域。……処理:『ピリピリした空気』の全消去、および『ほのぼのした解釈』への強制書き換え(オーバーライド)を実行します。》
ポワァァァァァン、という気の抜けた音が響きました。
次の瞬間、団長が構えていた魔剣は「巨大なフランスパン」に変わり、彼が放っていた殺気は「焼き立てパンの香ばしい匂い」に変換されました。
立ちこめていた雷雲は七色の虹に変わり、凍りついていた噴水からは温かいミルクティーが噴き出しました。
「……は?」
バルタザール団長が、両手で大事そうにフランスパンを握ったまま、呆然と立ち尽くしました。
「……あら、団長さん。お腹が空いていたのね。レティシアがおやつをプレゼントしたみたいだわ」
母様のルナが、何事もなかったかのように優雅にお茶を飲みながら微笑みます。
「な……な、何が……。私の剣がパンに!? 殺気が食欲に!? 馬鹿な、因果律が……世界の法則が、一歳児の声一つで捻じ曲げられたというのか!?」
団長が膝をつきました。彼の『真眼』が見せていたフェンリルの影は、私の言霊によって「レティシアに甘える、ちょっと大きなポメラニアン」という幻覚に上書きされてしまいました。
「わぅーん!」
ルゥも、私に叱られたことに気づいたのか、すぐに元の可愛い子犬モードに戻って、団長の足元にトコトコと寄っていきました。そして、彼の持っているフランスパンを一口、ぱくりと。
「……あ。……あ、ああ……」
団長は、自分の人生をかけて磨き上げてきた武人のプライドと、常識という名のデータが完全にクラッシュ(崩壊)したことを悟ったようです。
「……団長。見ての通り、これは『食いしん坊な犬』です。……それとも、まだ何か言いたいことが?」
お兄様が、冷たい微笑を浮かべながら団長を見下ろしました。
「……い、いえ。私の……私の見間違いだったようです。あそこにいるのは……ええ、そうですね。非常に愛らしい……パンを好む、珍しい犬……。はい、そういうことにしましょう……」
団長は虚ろな目で呟きながら、ふらふらと立ち上がりました。
彼はそのまま、手に持ったフランスパンを一口齧り、「……美味しい」と一言残して、騎士団へと帰っていきました。
《報告。個体名:バルタザールの精神的なデバッグが完了しました。……副作用として、彼は今後『パン職人』への転職を真剣に検討し始めるでしょう。》
(……システムさん、そこまで極端に書き換えなくてもよかったんだけど)
パパは、去っていく団長の背中を見送って、深く溜息をつきました。
「レティシア……。お前はまた、この国の最強戦力を一人、再起不能(?)にしてしまったな……。だが、お前がルゥを守りたかったのはわかった。パパは全力で隠蔽工作をしておくから安心しなさい」
「あい! ぱぱ、だいしゅき!」
私がパパの首にしがみつくと、パパの顔は一瞬で「団長を心配する親心」から「娘に溺れるダメ親父」へと再フォーマットされました。
「あああああ! レティシア! パパも大好きだ! もう神獣でも魔王でも何でも飼うがいい! パパが世界中のパンを買い占めてやるぞ!」
(パパ、それはそれで問題があるからやめて……)
こうして、ルゥの正体バレ危機は、「王宮騎士団長のパン職人志向」という斜め上の結末で幕を閉じました。
しかし、今回の騒動で私の「言霊」の力が、対象の装備品や感情までも書き換えてしまうことが明らかになりました。
前世でのバグ修正は、いつも「起こってしまったミス」を直すだけのものでした。
けれど、今の私の「修正」は、世界をより優しく、より美味しいものに変えることができる。
(……パンに変わるくらいなら、平和でいいわよね)
私は、ルゥのふわふわの背中に顔を寄せながら、次の「お出かけ」では何をパンに変えてやろうかしら……なんて、少しだけ危険な考えを巡らせるのでした。
もちろん、この日の夜、お兄様が「レティシアの言霊による有機物変換の効率計算」を徹夜で行い、翌朝には「王立騎士団の装備をすべて美味しい保存食に変える防衛計画」を真面目に提案して、母様に叱られるのはまた別の話です。




